第278話 俺はだいぶ君を舐めていたと思う
琴波さんの家で、依然俺とゲンキングの静かなる攻防が行われている。
人の太ももを弄ぶ性悪な右手首を左手で掴み、俺はキッと睨みを利かせてゲンキングを見た。
このイタズラに関しては、さすがの俺も怒り半分の気持ちだ。
ちなみに、残りは困惑四分の一と、興奮四分の一だ。
興奮に関しては、思春期特有のアレなので許して欲しい。
それはともかく――、
「ゲンキング、もう一度言おうか。やめよう」
琴波さんが集中して気付いてないのを横目に見つつ、俺はゲンキングをたしなめた。
にもかかわらず、彼女の表情は若干の頬が緩んだ顔で変わらない。
それどころか、俺を見る目には邪気がある。
困らせて相手の反応を楽しむ、と言った感じのクソガキ感を纏った目だ。
反応してしまったことが、むしろ彼女の思うつぼ。
おいおい、飽きに耐性があるかまちょとか厄介この上ないぞ。
「だったら、無視すればいいんだよ。さっき言ったみたいに」
「やめてくれたら、それで話は解決するんだよ」
「そうだね、そうかもね。でも、それだと琴ちゃんに意識が行っちゃうでしょ?」
ゲンキングの目つきが細くなる。
その瞳からは嫉妬の色が見えた気がした。
とはいえ、その認識はあんまりだ。
俺が琴波さんと話す会話が多いのは、あくまで彼女の学習レベルの差異からだ。
彼女は「勉強会」という形式に乗っ取り、真面目に質問してきている。
であれば、そこに多少の雑念が含まれていようと、俺が指摘するとこではない。
もう一度言うが、あくまで彼女は真面目に取り組んでいるから。
「確かに、そうかもしれないが、それは仕方ないことだ。
だけど、ゲンキングの行動は仕方ないでは済まない」
一方で、ゲンキングはどうだ? 今じゃなくても良いことを今やってる。
それがたとえ彼女の性癖を刺激したものだとしても、それは違うだろ。
これに限っては俺の方が正論のはずだ。俺は正論で戦う。
「......わかった。さすがにこれ以上は止めとく。もうこの手は使えなさそうだしね」
「わかってくれたなら嬉しいよ」
正直、ゲンキングの嫉妬心も寛容的に受け止めてるよ。
場所がここじゃなければ、だいぶ振り切るのは難しかったかもしれない。
少なくとも、俺が好意を自覚してる今では。
ゲンキングの諦めた答えに、俺はホッと胸を撫でおろす。
しかしその横では、なにやらあごに指を当てて思案顔する彼女の横顔があった。
その時、彼女の口がニヤリと動いたのを、俺は見逃さなかった。
「それじゃ、『仕方ない』状況なら問題ないわけだね?」
「なんも懲りてねぇ!?」
妖しい顔をするゲンキングを見て、俺は思わず声を荒げてしまった。
その瞬間、琴波さんがビクッと肩を震わせ、サッと顔を上げる。
「ど、どうしたの......?」
「え、あ、いや......ごめん、その......ちょっとうたた寝で微かに夢を見てって感じで」
「そっか。ちょっと暖房効きすぎた?」
「いや、全然。そのままでも大丈夫だよ」
必死に言葉を並べる俺を見て、どこか胡乱な眼差しを送る琴波さん。
しかし、特に追及してくることはなく、視線を机のノートに写した。
そんな彼女を申し訳なく思いつつ、俺は眉を寄せてゲンキングを見た。
「拓ちゃん怖いよ。そんな睨まれることしてないよ」
「自覚ないのは恐ろしいな。今、ゲンキングは堂々と俺に宣戦布告したんだぞ」
「さっきみたいにチートを使ったわけじゃないよ。
グリッチを使うって教えてあげただけ。
いや、もはやグリッチでもないかな。ルールの穴を突くだけだよ」
んぐ、琴波さんという前例がいる手前、その言葉に否定できない。
いや、この際だ、思考を切り替えよう。
否定できないなら、迎え撃つ前提で構えていればいい。
相手が攻撃してくるタイミングはわかりきってんだから、それに合わせて防御するだけ。
「んじゃ、早速教えてもらおっかな」
「っ!?」
俺の思考が完全にまとまり切るよりも速く、ゲンキングが距離を詰めた。
俺の床につけている左手の上に、彼女の肉感たっぷりな太ももが乗る。
同時に、体を俺に預けるように、肩と肩がぶつかり合う。
その瞬間、ポニーテールに束ねた茶髪が揺れ、制服のニオイと一緒に風に流れる。
そのニオイを、俺の備考はダイレクトに捉え、思春期を大いに刺激した。
不意にゼロになった距離感に、童貞丸出しの心臓が早鐘を打つ。
「それでここなんだけど......」
そんな俺をよそに、ゲンキングは左手で髪を耳にかけ、そのまま逆の手の人差し指で質問の該当箇所を指さす。
その一挙一動、紡がれる言葉から一切の動揺が、乱れが見られない。
それに関しては、少しだけムッとした感情を覚える。
こっちがこれだけドギマギさせられてるのに、こうもやられっぱなしは癪だ。
とはいえ、そう簡単に打開策が見つかれば苦労しないか。
とりあえず、このセクハラまがいの左手をどうにかしなければ――、
「んっ......」
「――っ!」
不意に小鳥のさえずりのような小ささで、甘く唸る声が聞こえた。
理由は言わずもがな、俺が左手を抜き取ろうとしたのが原因だ。
なぜ、なぜなんだ、なぜ抜き取ろうとしただけなのに、俺の方がこんな悪い気分になるんだ。
これじゃ、俺の方がむしろセクハラしてるみたいじゃないか!
「.......こ、これはな――」
平静を装いつつ、俺も残った右手で使って説明を始めた。
そして、説明を始めて気づいたことだが、ゲンキングの耳が赤かった。
器用に表情がそのままだから騙されてた。コイツもめっちゃ意識してんじゃん!
つーことは、ここからはどちらかが意識したらバカを見る化かし合いのバカ試合ってか。
「――って感じなんだけど、わからないとこある?」
「う~ん、さっきのこの文章の辺りなんだけど......」
この状態で割と真面目に解説してるし、聞いてるしでよくわかんねぇな。
つーか、そろそろ左手の感覚無くなって来た。
時折、手首の少し上あたりがゲンキングの太ももに当たることで、適度に状況を思い出すけど。
「.......あのー、近くないかな?」
「「っ!」」
その時、突然琴波さんからかけられた声に、弾むように体を震わせる俺達。
二人して横合いの彼女を見れば、厳しい目つきでこちらを見ていた。
その視線が意図するところは、先ほどの言葉の通りだ。
「え、あ、ご、ごめん、話聞いてたらだんだん近づいてたみたい......」
ゲンキングが慌てた様子で言葉を並べて、いそいそと距離を取る。
顔が真っ赤だ。たぶん彼女にとってゲームオーバーになったのだろう。
離れたことでようやく俺の精神に安息が訪れる。
左手も圧力が消え、一気に血が巡った。
わずかばかりにある感触の残滓が、俺は変態なんだと自覚させる。
それもちょっとばかし名残惜しく感じてることも含めて。
「ん? 雨......?」
じーっと目線を向けていた琴波さんが、何かに気付いたように立ち上がり、窓のカーテンを開ける。
彼女の後ろ姿に被って視認しづらいが、確かに雨粒の影が見えた。
耳をすませば、屋根を打つ雨音も聞こえるので、雨が降っているのは確定だろう。
「なーんか忘れてるような......あ、洗濯もの!」
弾かれるように顔を上げたゲンキングが、気付いた瞬間にはサッと駆け出して部屋を出ていく。
そんな慌てた様子を見て――、
「衣服なら取り込むの手伝った方がいいんじゃ......」
「そうだね――ってストップ。拓ちゃんは動かないで。わたし一人行くから」
ゲンキングは中腰になり、俺を制止させるように手を伸ばしつつ、ゆっくりドアへ移動。
その言葉の意味に理解しかねていた俺だが、数秒後に気付く。あ、俺、男だ。
それから数分後、ひと汗かいた様子の二人が戻って来た。
お疲れな様子の二人は、机に置いてあるお茶を飲もうとして、
「あ、おかわり用のボトルも飲み物ない......」
「ごめん、俺が飲みすぎたかもしれない」
勉強中ってどうも喉乾くんだよな。
まぁ、別の意味での汗の方が多かったんだが。
「別に大丈夫だよ。それじゃちょっと取ってくるね」
そう言って、琴波さんはボトルを持って一回に降りていった。
タッタッタッ、と軽快な足取りがドア越しから聞こえてくる。
そんな音を聞きながら、俺は横にいるリラックスモードのゲンキングに声をかけた。
「お疲れ」
「うん......なんで雨降って来た時の洗濯物取り込む時ってあんな焦るんだろうね。
洗濯物を濡らしたくないのはわかるんだけど、必要以上に焦らされるというか」
「わからんくもないな、その気持ち」
言語化はしにくい。だけど、よくわかる。
まぁ、強いて言うなら、時間制限付きだからかもしれないが。
そんなことを思っていると、ゲンキングの双眸が俺を捉える。
じーっと見つめる視線の先には俺しかいないが......ん? 俺しかいない!?
「へへ、チャンス到ら~い」
「ちょ、落ち着けゲンキング。早まるな!」
「そんなこと言って、実はまんざらじゃなかったり――」
―――プルルルル♪
その時、スマホの電話の音が部屋の中を響き渡った。
瞬間、ゲンキングの眉が寄り、仕方なさそうに息を吐くと、彼女はカバンからスマホを取る。
「はい、もしもし――」
それから、ゲンキングは誰かと話し始めた。
俺の予想が正しければ、相手は恐らくおばあちゃんだろうけど。
電話が終わると、彼女は耳からスマホを放し、そのまま振り返って――、
「ごめん、私帰らなきゃいけないっぽい」
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