第266話 バレンタインの乙女達#1
2月14日......その日は世間一般的に「バレンタインデー」とされる日だ。
その日だけは、男は女性からチョコを貰えるか一喜一憂する。
しかし、大抵の人は貰えなければ、義理でももらえれば十分だ。
一方で、俺はある種義理を超えたものが貰えることが確定している。
そう、俺は朝起きてから絶賛ソワソワ中だ。
普段なら低血圧で朝起きてもそこそこ眠いのに、今日だけは目がパッチリ。
期待してしまっている......この日のことを。
これまで俺には縁もゆかりもない世界と思っていただけに。
だいぶ前からこの日をチートデイにしようと張り切る具合には、今日を楽しみにしてる。
「やばい、完全に天狗になってる気がする。
俺は立場が特殊なだけなのに......でも、貰えるなら欲しい!」
普段なら世間がどれだけ騒ごうが、俺にとってただの日常の一つに過ぎないのに。
その日がこうも特別に感じるなんて思いもしなかった。
ふぅ、一旦落ち着け。これ以上考えても仕方ない。
あんまソワソワしすぎても童貞臭いぞ。って俺、童貞だったわ。
ともかく、今日もいつも通りいこう......いつも通りってなんだっけ?
「一先ず顔洗って歯を磨いて着替えよう」
俺はいつもの朝の日課までの流れを口にしつつ、それ通りに行動した。
朝のジョギングを開始すれば、少しだけ気持ちが落ち着いた。
ついでに音楽も聞きながらは、俺をその意識から遠ざけてくれる。
しかし、それも束の間の出来事であった。
なぜなら、そういう時に限って突然エンカウントするものであるから。
俺が信号の前で軽く足踏みしながら待機してると、右側から玲子さんがやってきた。
彼女はいつぞやの柴犬ちゃんを連れて散歩をしている。
そして当然、視界に入れば挨拶もなく素通り出来るわけもなく。
というか、俺と玲子さんの仲でそれをやったら気まずいだろ。
信号が青になる。俺は足を前に出すと、玲子さんに近づいた。
そしてすぐに「おはよう」とあいさつをすれば、彼女からも同じように返される。
しかし、いつもなら何かしらの話題がでるはずなのに、今日は出なかった。
「「......」」
玲子さんと目が合わない。
それどころかバチッと合った瞬間、逸らされる。
そして同時に、彼女の頬がほんのり朱色に染まるからこそ余計に気まずい。
今日を意識してることが、鈍感な俺にも手に取るようにわかってしまう。
とはいえ、それが嬉しくないかと問われれば、それは嘘になる。
それはそれとして、玲子さんもこういうイベント意識するんだな。
「......その柴犬ちゃんって確かご近所さんの飼い犬だったよね?」
「えぇ、そうよ。また少し遠出する用があるらしくて、しばらくうちで預かることになったの」
「名前はなんだっけ? デイドリーム?」
「惜しいわ。ドリームよ。散歩が大好きな、ね」
玲子さんはしゃがみ込むと、シバちゃんことドリームの頭を撫で始めた。
その行動に、ドリームは耳をぺたんと伏せ、気持ちよさそうに目を細める。
うむ、可愛い。俺もモフらせてもらっていいですか、ドリームさん!
俺は「ドリームさん、触ってもいい?」と聞き、特に嫌がられなかったので触れた。
瞬間、手のひらに伝わるフワフワな毛並み。
もうこれだけで暮らしが豊かなのがわかる。
やばい、抱きしめたい。しかし、そこまではさすがに失礼か。
そんなこんなでドリームのおかげで、少しだけ俺達の間の緊張感は解けた。
しかし、今の俺に話題がないのも確か。
このままでは、せっかくドリームさんに作ってもらったこの空気が壊れてしまう!
「今日、何の日かわかる.....?」
ドリームさんをモフモフしていると、不意に玲子さんが仕掛けてきた。
思わず顔を見れば、玲子さんは目線を逸らしていた。頬が赤ければ、耳も赤い。
たとえ、口元をマフラーで隠していようと、透けて見える感情は隠せてない。
そんな明らか「勇気出しました」みたいな仕草に男は弱いのだ。
なんだったら、ヲタクには特攻がつく。
つまり、俺は非常に刺さった。
変にあざとさがなく、自然に醸し出るような、思わずニヤニヤしてしまう雰囲気。
あぁ、甘めぇ。空気が甘めぇよ。その状況に自分がいる。
これこそ本当にデイドリームなんじゃなかろうか。
ねぇ、ドリームさんどう思う?
「......なんか答えて。あと見すぎ」
「え、あ、ごめん......」
脳内の軽口で空気をごまかしてたつもりが、本当に自分の想像に耽ってた。
てか、その間ずっと玲子さんを見てたのか。
確かに、玲子さんの顔が心なしかさっきよりも赤い気がする。
マフラーで隠す範囲もかなり大きくなっている。
しかし、それは俺とて同じわけで――、
「その、わかってるよ。というか、ぶっちゃけむちゃくちゃ意識してます......はい。
うぬぼれとはわかってはいるんだけど、どうにも期待が止まりません」
「本当にぶっちゃけたわね。でも安心したわ。必ず渡すから期待して待ってて」
「はい.....」
玲子さんが少しだけ頬を柔らかい。
まるで母親のような慈愛の笑みを浮かべている。
いや、違う。あの目、永久先輩みを感じる!
つまり、俺の顔を見てニヤニヤしているということだ。
そんな普段見ないような玲子さんの表情に、俺の心はドキッと跳ねる。
それと同時に、俺の顔がハッキリと熱を帯びるのを感じた。
玲子さん相手にこの感じか.....恐らく他の三人もヤバイかもしんない。
不覚にもこの感じも悪くないと思っている自分がいる。
なんというか、これは俺の覚悟が足りなかった。
「と、とりあえず歩こうか......」
手の甲で口を隠しつつ、俺はそっと立ち上がった。
そして歩き出す......が、上手い話題が見つからない。
あんな心を動揺させられた状態で一体なんと話しかければいいというのか。
そんなことを思っていると、玲子さんの方から話題を振って来た。
「そういえば、今更ながらだけど渡そうと思っているのはチョコなの。
でも、作った前日で気づいたの。拓海君に贈るものとしてどうなのかって」
「そうだね。普段ならもしかしたら遠慮してたかもしれない。
だけど、玲子さん達にちゃんと向き合うと決めたのは俺自身だ。
だから、玲子さん達は何も気にしなくていい。気を遣わなくていい。
俺をただ一人の友人と思って、気兼ねなく接してくれればそれで」
玲子さん達がずっと俺の心情を慮ってくれていたのは知っている。
知っているからこそ、もう彼女達に遠慮して欲しくない。
少しわがままなぐらいが、本当の彼女達を見れるかもしれないし。
「友人と思うのは無理ね」
すると、不意に玲子さんはそう言った。
その言葉に目線を向けると、彼女は少しの邪気とそれを内包した笑みを浮かべ、
「それはどういう――」
「それは言わなくてもわかるはずよ。
それとも言わなければわからない?
なら、特別に言ってあげても構わないわ」
「――ぁ、いえ、尊慮しておきます......」
そんなん聞いてしまったら俺の心は死んでしまう。
恥ずかしさで体が爆散してしまう。
ヲタクの部分は聞きたいと叫んでいるが、ここは我慢だ。
俺はまだ生きたい。
そんな俺に対し、玲子さんは「そ、残念」と言葉を零した。
少し口を尖がらせて、なんだかその仕草はこどもっぽい。
.......もしかしたらこれが玲子さんの素なのかもしれない。
彼女の精神は大人だ。
だからこそ、普段は精神に肉体が引っ張られている。
大人っぽい態度や普段のクールさはそこに起因しているだろう。
つまり、これが玲子さんの肉体に精神が引っ張られたありのままの姿、かもしれない。
昔の俺はこれを知らなかったのか。
状況が状況とはいえ、非常にもったいないことをしていたんだな。
「私以外のチョコでドキドキしちゃダメよ」
「......善処します」
「出来なかったら意地悪しちゃうかもだから」
と、それからしばらく玲子さんと話したが、彼女は終始小さな子のようにテンションが高かった。
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