第167話 文化祭#8
俺は急いでステージ近くに寄る。そして、脇から劇の様子を見た。
状況はヒロインであるユリエッタが家族のもとへ会いに行くために野獣伯爵と語らうシーンだ。
つまり、物語も終盤に差し掛かり始めたという状況。
そこで聞こえた「私には好きな人がいる」発言。
結論から述べよう。そんなセリフは一切出て来ない。
台本を読み込んだからわかる。どこにもそのセリフはない。
ない......はずなのに、こんな状況で言葉として現れた。
「何がどうなってる......?」
それが率直な感想だ。こんなシーンを用意する必要が無い。
なぜなら、隼人が試練を課すのはあくまで俺であり、それを乗り越えるのが契約だからだ。
しかし、今物語は俺が介入しないタイミングで別方向に動こうとしている。
そもそもユリエッタは野獣伯爵と過ごした時間によって野獣伯爵に恋心を抱く。
だから、この時点でユリエッタが好きな相手は野獣伯爵でなければならない。
にもかかわらず、この発言。ストーリーを根本的から覆しかねない。
つーか、どういう流れからそんな話になった!?
『私にはね、故郷に昔一緒によく遊んだ男の子がいるの。
その男の子は騎士団に入って、そこで武勲をあげて貴族になるって言ってた。
だから、私はその子が旅立つ時に約束したの......必ず迎えに来てって』
やめろやめろやめろ! なんなんだこの展開は!
もはや完全オリジナルストーリーに突入し始めてるじゃないか!?
誰なんだその男の子って! 一度広げた風呂敷はそう簡単に畳めねぇぞ!
『そ、そうなのか......なら、俺が無理に引き留めるのは無粋というものだな。
だが、これだけは忘れないで欲しい。俺は君が困っていたら必ず助けると』
『ありがとうございます。ですが、どうしてそこまで......』
『俺はその真っ直ぐな心根が好きなんだ。勤勉で努力家で直情的だけど裏表がなくて。
そんな姿を見ていた。ずっと見ていた。だから、そんな君の幸せに手助けしたいんだ。
ハハッ、惚れた弱みというやつかな。俺はズルく、醜い人間だ。
だけど、せめてこれぐらいは真っ直ぐでいたい。だから、手伝わせてくれ』
『.......ありがとうございます。では、行きますね』
そう言ってユリエッタは野獣伯爵と向かい合って座っていた丸テーブルの席から立ち上がり、足早にステージ脇に外れていく。
その光景を見た後、野獣伯爵は静かに立ち上がり、同じくステージ脇にはけた。
二人ともはけた場所は俺がいる場所とは反対側だ。
「.......」
口をぽかーんとしたまま固まる。それぐらい衝撃的なシーンだった。
東大寺さんにも言いたいことは沢山ある。
隼人とはグルなのか? とか。あのオリジナルストーリーはなんだ? とか。
だけど、だけど! それ以上に問題なのは先ほどの大地の発言だ!
東大寺さんの発言から劇の様子を確認したせいでその前に話した内容はわからない。
しかし、大地の発言内容から大まかな流れは理解した。
その上で言わせてもらう――あれはもはや本心の告白じゃねぇか!
ユリエッタは勤勉で努力家だ。だけど、直情的で裏表はないわけではない。
姉二人にいじめられ、感情を表に出すことを止めた悲しい少女だ。
それに彼女は淑女である。商家の娘では一番落ち着いている。
だから、本来のストーリーでも自由に喜びを見せても、それは少女のように華やかな感情を見せることはなく、まるで大人びた家政婦のように微笑みを見せるだけ。
それがこの話におけるユリエッタという人物像だ。
一方で、獣人伯爵は紳士な人物だ。
自分が野獣の姿をしているから誰かに怖がられることに恐怖し、常に相手の様子を伺っている。
そもそも野獣伯爵がユリエッタに惚れている描写などラストシーンぐらいしかありはしない。
だが、それを百歩譲って一緒に過ごしているうちに惚れたとしても、あの内容はさすがに東大寺さんに向けたものしか聞こえない!
頭が痛くなる。なんだこの展開は。なんで野獣伯爵がこの時点でフラれてんだ。
もはやその時点で物語としてはバッドエンドだろ。これ以上続く要素あるのか?
それに仮に続いたとして、ユリエッタに待ち受けてるのは姉二人の策略ぞ!?
野獣伯爵もユリエッタもダブルでバッドエンドになった話に誰が喜ぶ!?
物語はハッピーエンドだからいいんだ。だから、読まれるんだ。
こんな劇ならもはや盛大にぶち壊した方がマシなレベル。
だけど、落ち着け。さすがに隼人とてここまで残虐なストーリーにするはずがない。
つーか、それだと俺が介入以前に修正不可能になるだろうかな。
「とはいえ、これマジでどうすんだよ......」
俺はフワッと匂う良い香りに顔を横に向ける。
俺と同じく玲子さんが見ていた。ただし、思考停止の様子だが。
まぁ、気持ちはわからんでもない。
もはやこの先は隼人とそいつの仲間以外わからん展開になってるからな。
「玲子さん、大丈夫か? 玲子さん!」
「へ?......あ、え、えぇ、大丈夫よ。
少し......いえ、だいぶ困惑してしまっているけど、大体の状況が読めたから。
だけど、こうなってしまった以上終着点が見えないわね。いえ、見えなくさせてる?」
玲子さんが腕を組んで熟考モード。
そんな玲子さんの意見は今となっては貴重だからそっとしておきたい。
だが、ユリエッタと野獣伯爵がステージからはけた以上、次は姉サイドの話になる。
つまり、玲子さんとの出番というわけだ。物語を止めるわけにはいかない。
「玲子さん、次出番だよ。
今は語り部である隼人の声で繋いでるけど、そんなの数秒も持たない。
ここからは未知の展開でアドリブは避けられない。
玲子さんなら大丈夫だと思うけど、なんとか無事に切り抜けてくれ」
「そうね。もうここまで来るとラストまでノンストップ。
だから、拓海君、最後に一つだけ助言を送るわ」
「何?」
「どんな展開になろうとも冷静に。私は拓海君なら乗り越えられるって信じてる」
そんなことを言う玲子さんは心配する目をしていた。
自分だってとんでも展開に動揺してるはずなのに。優しい人だ。
だったら、俺もいい加減覚悟を決めなければいけないと思う。
どんな展開でも受け止める覚悟を。もはやなるようになれだ。
「行ってくるわ」
玲子さんはそう言ってステージに上がる。反対側からはゲンキングが。
早速玲子さんことロベリアはしゃべり始める。
先程の動揺が嘘のように力強く、耳にスッと入って来る声量だ。
俺も深呼吸して心を落ち着ける。完全には落ち着かないか。そらそうだ。
だが、遅かれ早かれ出番はやって来る。特に後半ともなれば。
俺は出番までのタイミングを計るようにステージを注視し始めた。
『ゼラニス、例の計画準備の方はどうなってる?』
『はい、お姉さま。ぬかりなく順調でございます。
森に配置した雇った傭兵からはユリエッタは何の疑いもなく街に向かってるそうです』
『そう。それは重畳ね。それにお父様には申し訳ないけれど、この催眠薬で計画のことが済むまで大人しく操り人形になってもらいましょう』
『くふふふ、あの雑用しか役に立たない妹もようやく消えるのね。
容姿がすこーしいいからって周りからチヤホヤされていい気になって。
みすぼらしい姿に相応しい惨めな人生を送ればいいのよ』
『まぁまぁ、そこまで言うのは品が無いわよ。
これから侯爵様の肉便器になる妹を心から祝福して送って差し上げようじゃない』
『まぁ、お姉さまったらやっさしい~』
ちなみに、先の玲子さんの「肉便器」というのはガチの台本通りである。
いくら悪女感を際立たせようとするためとはいえ言葉のチョイスに品が無さ過ぎる。
いや、だからなのか。しかし、それを玲子さんの口から聞くとは思わなんだよなぁ。
そんなことを思っていると突然ゲンキングが仕掛けだした。
『そういえば、お姉さま。こんな噂をご存じです?』
『噂?』
『魔女に呪われて身も心も醜くされてしまった殿方がいると』
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