第109話 この時ばかりはその素養に縋りますよ
俺は成美さんから貰ったデータをもとにとある場所に向かっていた。
それは高級レストランから少し離れた場所にあった学習塾だった。
マップにはそこに目印が置いてある。
外から建物を眺めれば、教室の明かりが見える。
今は夏期講習の真っ最中ということだろうか。
となると、どのくらい時間がかかるかわからないな。
そもそも今日に永久先輩がいるかどうかも怪しいし。
炎天下の中、近くにある公園の木陰で待ち始めた。
傍から見ればずっとそこにいて、時折学習塾の様子を確かめてるので不審でしかないだろう。
しかし、いつチャンスがあるかもわからないんだ。
こうなったらもう意地でも待ってやる。
そう意気込んでから3時間後。時刻は16時頃
さすがにいつまでも外にいられなかったので、学習塾の様子が確認できる位置にあるカフェに寄っていた。
カフェの中は実に快適だ。
慣れてくるとちょっと冷房強くない? と思うが、外の地獄よりはよっぽどマシだ。
さて、さすがに3時間は長居しすぎだと思うから出たいんだけど......と?
学習塾からちらほらと生徒が出ていく。
正直、塾なら夕方までかかるんじゃね? と思ってたから、この想定外はとてもありがたい。
問題はそこに先輩がいるかどうかだが。
あの隼人の姉が手に入れた情報が間違っているとは思えないから......信じてるぞ!
「あ、いた!」
他の人達と混じって先輩が出て来た。
とても清楚感ある服装だ。普段小悪魔的なのに。
そんな先輩が遠くからでもわかるほど、あからさまに俯いて歩いてる。
俺は会計を済ませ、すぐに店を飛び出した。
先輩は公園に向かって歩いていく。
丁度いい、話を聞くには絶好の場所だ。
俺は先輩に追いつくと声をかける。
「先輩!」
先輩はビクッと肩を小さく上げた。
一拍の停止後、振り向くことなく足早に去ろうとする。
ちょ、それは無い!
「待ってください、先輩!」
俺はすぐに追いかけ、先輩の手を掴んだ。
瞬間、先輩は抵抗せずに止まってくれる。
だけど、一切こちらを見ようとしない。
「......何の用かしら? 早川君」
「何って......急に音信不通になればそりゃ心配するでしょ」
「それでわざわざこんなところまで?
誰に情報を貰ったか知らないけど、あなた随分とストーカーの素養があるようね」
「正直、嬉しくない素養ですけど、先輩と話をするためならやぶさかじゃないですね」
先輩の言葉がトゲトゲしい。
そこには以前まであったからかいの中にある楽し気な様子も一切ない。
ただ冷たく、突き放すような感じだ。
林間学校の時のゲンキングと全く同じ。
自分一人で悩みを抱え込み、誰かに迷惑かけまいとわざと冷たくあしらう。
それで真に追い込んでるのは自分自身だというのに。
「なら、今ここであなたをストーカーとして通報するわ。
人生が悲惨になることを覚悟しておくことね」
「なら、せめてこっち見て言ってくださいよ。
その言葉が本気であることを示してください。
それがわかるまでこっちも引きません」
肩を小刻みに震わせてよく言う。
強い言葉の中に確かに聞こえる震えた声。
そんなに言いづらいなら無理して言う必要もないでしょうに。
先輩は息を吸ったかのように肩を上げると、今度は大きく息を吐いて肩を下げた。
つま先をこちらに向け、コンマ数秒遅れて顔が向く。
先輩の目は潤んでいた。
涙こそ流してないが、そこに怒っているという気迫は感じない。
むしろ、助けを求めてるようにすら思える。
「やっとこっちを向いてくれましたね」
「あなたがしつこいからよ。まさかここまで粘着質とは思わなかったわ」
「あんな突然の別れみたいな連絡の途絶え方したらそりゃ気になりますって。
それでここ数日の間、先輩は元気でしたか?」
「全然」
先輩はゆっくり首を横に振った。
それから、先輩が腰を据えて話そうと誘ってきたので、近くのベンチへ移動。
程よく距離感が開いた状態で座っていく。
「それで、あの時何があったんですか?」
俺は率直に聞いた。
あの時とは当然、海での帰り先輩の様子についてだ。
誰もが夏の海を楽しみ、おおむね満足した様子で帰って行くのに対し、先輩だけは一人何かに恐怖するような表情をしていた。
あの様子が気にならないはずがないだろう。
じゃなきゃ、俺だってここまで思い切った行動はしない。
俺の質問に先輩はすぐに答えない。
膝の上に乗せた両手で拳を作り、目線はずっと下を向いている。
重たい口が開くまでの数秒の時を要した。
「お母さんから連絡があったのよ。簡単に言えば、無断で塾を休んだことがバレたの」
「塾? ってことは、あの日先輩は本来塾に行ってたってことですか?」
「そうなるわね」
母親に内緒で来てたってことか。
確かにバレたら怖いだろうけど、あの時の様子はあまりにも酷かった。
「どうしてそこまで? 都合なら合わせられたと思いますけど」
「どうしてかはわからなかったわ......あの時までは。
でも、“早川君”と距離を置いて、家族と向き合って理由が分かった気がする」
永久先輩は顔を上げた。
見つめる視線の先には暗雲が立ちこみ始め、ウザったいほどの太陽光が遮断された。
“不穏”という言葉がよく似合う天候だ。
「たぶんね、ワタシはお母さんに自分を見てもらいたかったのよ」
先輩はポツリと言葉を漏らす。
「覚えてるかしら? ワタシが兄さんとの思い出を話した時のこと。
あの時、ワタシはずっと自分の行動が兄に対しての憧憬だと思ってた。
実際、今もそう思ってるし、間違いないと思う。
ただ、どこかスッキリしない部分があった」
先輩が初めて話した時も似たようなことを言ってた。
むしろ胸のモヤモヤが増した的なことも。
その正体に気付いたってことか。
「何だったんですか?」
先輩はそっと目を閉じる。
網膜に何かを思い浮かべたような表情をして。
「単純な話よ。ワタシ、褒められたかったの。お母さんにね。
お母さんはずっと兄さんを見ていた。
実際、兄さんは凄かったし、褒められてる兄さんを見て自分のように嬉しく感じることもあった。
でも、それは心が満たされるほどじゃなかった」
先輩の顔が沈んでいく。
暗い雲はどんどん速度を増して空を覆っていった。
「お母さんはワタシを見ていない。今もずっと。そして、これからも。
見て欲しかった。どんな感じであれ、どんな感情であれ、そこにいるのはワタシだって。
だから、ワタシはあの海の日初めてお母さんの意に背いた」
隼人と共通点があると思っていたが、まさか全く似たような境遇だったとは。
ただ、違う点を挙げるとするなら、家族に対する接し方だろうか。
隼人は自分を見てくれなかった親を憎み、感情的なままに擦れていった。
対して、先輩は今でも母親を憎んでる様子はなく、ただ母親が望む姿になろうと足掻いた。
別にどっちが良いとか悪いとか言うつもりは無い。
ただ、同じ家族でもこうも捉え方が変わるってのは、当たり前のはずなのに驚いた。
「正直、あの時の海を心の底から楽しめたって言ったなら、それは嘘になるでしょうね。
でも、不思議とあの時......色んな遊びをしたあの時だけは、“本来”のワタシで楽しめてたと思う」
「先輩......自信を持ってください。きっと楽しめて――」
「ここにいたの」
一気に5度ぐらい気温が下がった気がした。
それほどまでに冷たく、鋭く、抑揚のない言葉。
隣では先輩が震えながら俯いてる。
もう今更目の前の相手が誰かなんて考える必要はないだろう。
俺は顔を上げた。
そこにはミドルカットほどの白髪の女性が、日傘を片手に気品よく立っていた。
読んでくださりありがとうございます(*'▽')
良かったらブックマーク、評価お願いします




