74.義弟ルーク
「今日の授業はこれまでですね」
「ありがとうございました」
先生に挨拶をして、私は軽く一礼した。授業が終わると同時に、胸の奥が少しだけ高鳴る。今日の予定を思い出して、私はすぐに席を立った。
「おや、急いでいるようですね。何かご用事でも?」
「はい。義弟と夕食までの時間を一緒に過ごす約束をしているんです」
「それは素晴らしい。家族との交流は大切ですからね。きっと良い時間になりますよ」
先生の穏やかな笑顔に、背中を押されるような気持ちになる。「ありがとうございます」と頭を下げ、私はファリスを伴って部屋を後にした。
「ルークの様子はいかがでしたか?」
「向こうは準備万端とのことです。いつでも伺えます」
「分かりました。それでは、すぐに行きましょう」
昨夜、使用人たちと相談を重ねたばかりだった。そして今日、その計画を実行に移す時が来た。
朝食の席で、私はルークに「一緒に時間を過ごしたい」とお願いした。彼は少し驚いたように目を見開き、ほんの短い沈黙の後で「……いいよ」と返してくれた。
拒まれなかった。それだけで胸がじんと温かくなる。この小さな一歩が、きっと大きな変化のきっかけになるはず。
彼との時間を通じて、心の距離を少しずつ縮めていこう。そうすればエルヴァーン家の空気も、少しずつ良くなっていくかもしれない。
私が、この家を変える。その決意を胸に、私はルークの部屋の前まで歩を進めた。
ファリスが扉を軽くノックすると、中から静かな声が返ってくる。扉がゆっくりと開かれた先に広がるのは、広々とした空間。
重厚な家具が整然と並び、上質な絨毯が床を覆っている。そしてその中央には、豪奢なテーブルと椅子が配置され、そこでルークは座って待っていた。
「お待たせして、ごめんなさい」
「……ううん、大丈夫。席に座って」
「はい。失礼しますね」
軽く声をかけると、ルークは首を振って、席に案内してくれた。私はそれに従い、席へと座る。すると、すぐに傍で控えていたメイドがお茶を淹れてくれた。
それを一口口に含むと、体から余分な力が抜けてホッとした。だけど、ホッとばかりしていられない。ルークと交流を深めなくては。
「ルークはお勉強をしていますか?」
「僕は午前中だけ勉強をしている。ルアは午前も午後も勉強なんだよね?」
「はい。大変ですが、とても楽しい時間ですね。色んな事を知るのがワクワクして堪りません」
「……僕も。色々と知るのが楽しい」
どうやら、ルークは勉強が好きなようだ。聡明と言われるだけの事はある。
自分が学んでいる内容を話すと、ルークはおずおずとだが会話をしてくれる。始めは少したどたどしかったが、次第に言葉の数が増えてきた。
始めは私が話していたのに、次第にルークからの言葉が多くなり、今ではルークの方が話していると言ってもいいだろう。
あの時、メイドが言った通りにルークは話すのが好きらしい。始めは暗かった表情も少しずつ明るくなっているように見える。
「ルークはとても物知りなんですね。ルークがもう一人の先生だったら、私はとても心強いです」
「えっ、僕が先生?」
「良かったら、私の勉強に付き合ってくれませんか? ルークに教えて貰ったら、もっと色んな事が知れると思うんです」
そうやってルークとの接点を作っていく。始めは驚いたルークだったけど、少し嬉しそうに口元が上がっていた。
「……うん、いいよ。僕がルアをフォローしてあげる」
「本当ですか? 助かります。これで、勉強が遅れることはなくなりました」
「それは気が早いんじゃない?」
「いいえ。こんなにしっかりしたルークが教えてくれるんですから、私は凄い勢いで頭が良くなります」
「……何それ」
自信満々に言うと、ルークが笑ってくれた。やっぱり、この子はいい子だ。心を開いてくれれば、きっともっと楽しくなる。
「私のお願いを聞いてくれてありがとうございます。もし、ルークから何かお願いがあれば、なんでも言ってください。全力で協力しますよ」
「僕のお願い?」
「何か困った事はありませんか? 一人で抱えていたり、不安に思っていることはありませんか?」
「……それは」
尋ねてみると、ルークは元気がなくなったように俯いた。やっぱり、そういうのがあるんだ。だったら、協力してあげたい。
「一人で悩んでいても、仕方がありません。よければ、二人で悩んでいきませんか? 一人で悩むのは辛いでしょう?」
「……うん」
「何も遠慮はしなくてもいいですよ。誰かと一緒に悩むことで、解決出来るかもしれません」
優しく諭すように言う。そうすると、元気がなかったルークの顔に力が籠る。ギュッと手を握ると、意を決したように口を開く。
「僕、魔法が使えるようになりたい」
「そういえば、言ってましたね。魔法が使えないって」
「……うん。このまま魔法が使えなかったら、お父様にもお母様にも迷惑がかかる。いや、本当は二人の子供じゃないかもって……」
「そんな事はありません。ルークはちゃんとお義父様とお義母様の子供です」
「でも、今のままじゃそう思えないんだ。だから、貴族としてちゃんとしたい。ちゃんとお父様とお母様の子供だって胸を張りたいんだ」
ルークの言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。まだ幼いはずなのにこんなにも真っ直ぐで、芯のある考えを持っているなんて。
「ルーク……あなた、すごいですね」
思わず、そう口にしていた。褒められたのが意外だったのか、ルークはきょとんとした顔をする。
「え?」
「だって、自分の力で立とうとしているじゃないですか。誰かの期待に応えるためじゃなく、自分の誇りのために努力しようとしている。そんな風に思える子って、そうそういませんよ」
「……そう、かな」
ルークは頬を少し染めて、照れくさそうに目を逸らした。けれど、握っていた手の力は先ほどよりも強くなっている。その小さな手の温もりから、彼の決意が確かに伝わってきた。
「私は、ルークのそういうところが素敵だと思います。だから、その気持ちを応援します」
微笑みながら言うと、ルークははにかんだように笑った。その笑顔をみるだけで、何倍もの力になる。
「魔法が使えるようになりたい、というのなら、私に出来ることは全部協力します。きっと、何か方法がありますよ」
「……ありがとう、ルア」
「お礼なんていりません。ルークが本気で頑張るなら、私も全力で支えます」
そう言って、ルークの手を握った。それには戸惑った様子だったが、恥ずかしそうに握り返してくれた。
とりあえず、今日は一歩だけルークに近づけたと思う。こうして少しずつ、家族との距離を縮めていこう。




