4.始まりのきっかけ
「んー……あとはなさそう」
ゴミ箱の中に入って漁ったが、食べる物はなかった。もっと下の方を探すっていう手もあるけれど、それだと腐って液状になっている可能性がある。とても食べられるものじゃない。
だったら、新鮮なゴミを漁ったほうがいい。もし、悪い物を食べてお腹を下したら、お腹が減ったどころでは済まなくなる。
ゴミ箱の中から出ると、辺りを見渡す。このゴミ箱は他のスラムの人が漁った後だから、周囲にゴミが散乱していた。この状態でこの場を離れるのは、矜持に反する。
散らばったゴミに近づくと、一つずつ拾い上げて、ゴミ箱の中に戻していく。またスラムの人が来て荒らすかもしれないけれど、見て見ぬふりは出来ない。
拾っては入れて、拾っては入れてを繰り返していた。視線はゴミにしかいかず、周囲に気を配ることはしなかった。
だから、近づく人の気配に気が付かなかった。
ゴミを拾おうと手を伸ばした時、靴が突然現れた。誰かが投げたものだろうか? そう思って、靴を見て見るとその靴はズボンを履いていた。
えっ、これって……。そう思うと、視線を上げていく。それで分かったのは、目の前に大柄な男性が立っていたという事だ。
「お前か」
険しい表情をしながら、こちらを見下ろしている。誰かが私の目の前にいる。その事実に驚き、息を呑んだ。
「ご、ごめんなさい! 今、片づけるので待っててください!」
スラムの孤児だって暴力を振るわれる! 恐怖を感じながらも、素早くゴミを拾い出す。
「……お前一人で片づけていたのか?」
「は、はい。ゴミが散らかっているのを見て見ぬふりが出来なくて……」
「そうだったのか。お前がいたから、ゴミが散乱していない場所が……」
この人、やけに私に話しかけてくる。普通の人なら嫌がるはずなのに、一体どういう事だろうか? 不思議に思いながらゴミを拾い、なんとかこの場所を綺麗にすることが出来た。
「これで終わりました。すぐに立ち去ります」
そう言って、この場を立ち去ろうとした。だが、それが出来なくなった。その男性が私の手を掴んだのだ。
大きな手に掴まれて、恐怖で体が固まった。こんな私を捕まえて、一体何を!?
「待て、話がある」
「な、何でしょう……」
「最近、ゴミ箱の周りが綺麗にされて、ゴミの回収の作業が楽だったんだよ」
「は、はぁ……」
ゴミの回収? じゃあ、この人がゴミ箱の中に溜まったゴミを回収する人だったんだ。そんな人にとって、スラムの孤児って目の敵だと思うんだけど……どうしたんだろう?
「ゴミの回収は重いし、時間がかかるし、臭いし……。すげぇ、嫌な仕事なんだ。でも、金はそこそこもらえて、いい仕事だ」
「そうなんですね。いつも、ゴミ回収ありがとうございます」
「いつもゴミを散らかしているスラムの奴らは本当に嫌いだし、ゴミを漁っている所に出くわすと殴りたい気持ちになる」
「ご、ごめんなさい……」
ゴミ回収が仕事だから、ゴミを漁るスラムの人達の事は良くは思っていない。それなのに、なぜそれをわざわざ私にいうのだろう? 本当なら追い返されてもいいのに……。
「だが、ゴミ箱の周辺を綺麗にされて楽になった。なら、ゴミ捨てもやってもらえば、もっと楽が出来るんじゃねぇかって思ったわけだ」
「まぁ、仕事が減るのは楽ですよね」
「で、だ。その仕事……やってみる気はあるか?」
……私にゴミ捨ての仕事を?
「一つのゴミ箱に付き、五百セルト支払う。五十セルトがあれば、黒パン一つは買えるし。百五十セルト払えば、肉の串焼きは買える。ゴミを漁って食べ物を探すよりも、仕事をして金を得て食べ物を買うのが建設的じゃねぇか?」
「それは……」
働いて稼いだお金で食べる物が買えれば助かる。ゴミを漁る必要はなくなるし、食べ物がなくてお腹を空かせる事もない。
これは、話を受けるべきなんじゃ……。でも、この人は本当にそれが目的なんだろうか? もし、何か違う目的があるんだったら、すぐに逃げた方が良い。
ジッと見つめると、その男性は少し困ったように眉を顰めた。
「その顔、信用してねぇな。ゴミ捨ての仕事をしてくれれば、ちゃんと金は払う。それに、別に危害を加えるつもりはねぇ」
「……本当に?」
「本当だ」
その男性を目を合わせる。じっと見つめ、その真意を見極める。
目は真っすぐに私を見ていて、揺らぎがない。嘘をついているようには見えなかった。……信じても大丈夫?
「分かった、信じます」
「そうか! だったら、今日から働いてもらうけど……いいか?」
「はい」
そう答えた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
なんだろう、この気持ち。喉の奥がつんとして、視界が少し滲む。だけど、それは悲しさなんかじゃない。今の人生で、こんなふうに誰かに頼られたことなんて、なかったから。
私はただのスラムの子ども。誰にも必要とされない、ゴミと一緒に扱われる存在。だけど今、たった一言で、その存在に意味が生まれた気がした。
信じてもらえた。任せてもらえた。働いて、自分の力で食べ物が手に入る。それが、ただただ、うれしかった。
ぎゅっと胸の奥でその気持ちを抱きしめるようにして、私は小さく、だけどしっかりと頷いた。
きっと、これは私の――はじめの一歩なんだ。




