美しい変化、大切な思い出
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「なる、ほど、ね……」
ぽたり、ぽたりと、滴り落ちる雫をぼぅっと眺めながら、竜胆さんはひどく落ち着いた様子でそう呟いた。
ぽたり、ぽたり。
一定のリズムを刻むその雫は透明なチューブを伝い、それはやがてか細い少女の腕へと辿り着く。元々白かった肌はさらに白くなり、死装束のような白いワンピース姿も相まってまるで死人のようにも見える。
その胸が浅く上下していることに気が付かなければ、きっと私も勘違いをしていたことだろう。
眠れる少女が目覚める様子はない。竜胆さんの話では、手持ちの端末――ぱっと見はスマホのようだが、何やら夜桜の体調を管理しているものらしい――が異常な数値を検出したあと、大急ぎで駆け付けた時には既にこの状態だったそうだ。
「自我に目覚めた人工知能が夜桜の意識を連れ去った、ねえ。なるほど、まるで安っぽいSF小説だ」
心電図を眺め、手に持ったカルテに何やらがりがりと書き込みながら、どこか呆れたような声で竜胆さんがそう口にする。
実際、その場に立ち会った私たちからしても映画のような、ファンタジーめいた話だ。しかしこれは、私たちがあの時目にした、そして今この場で起こっているこの出来事が間違いなく現実だ。むしろこれがゲームであれば、どれだけよかっただろう。
顎に指を添え、竜胆さんが眉をひそめる。その姿が夜桜のそれと重なって、私の胸をぎゅっと締め付けた。
「うん、まあ、信じるよ」
そして彼女の口から、それこそ呆気なさすぎるほどすらりと出たその言葉に、私ははっとして顔を上げた。
押し入っておいて言うのもなんだけれど、ここまであっさりと信じてもらえるとは思っていなかったのだ。それぐらい荒唐無稽で、人によっては馬鹿馬鹿しいと思われるぐらいの話だった。
目を丸くする私たち三人を無表情のまま見回しながら、竜胆さんは小さくため息をつく。
「まあ、あの姉の妹なんてやってると、ちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなっちゃうんだよね。あの人自体、現実離れした化け物みたいな人だったし」
曰く、“一”を問えば“十”を答える人。
曰く、人が全力疾走している横を、スキップしながら追い越していくような異常者。
曰く、天才。
曰く、化け物。
竜胆さん自身、幼い頃から姉の異常性に触れていたことが原因で、随分と世間知らずというか、常識とは少しズレて育った自覚があるのだという。
「だから人工知能が自我に目覚めたって聞いても、ああ、ついにそうなったか、ぐらいのもんだよ、うん。まあどこから夜桜のことを知って、拉致しようだとか、そういうことになったのかはわからないけれど。実際、その方面からのアプローチは私も試したことがあるし」
つらつらと語られる言葉に、私はどこかで感じたことのある違和感を覚えた。どこか落ち着かない、認識のずれとも呼べるような何か。
視点の違い。まるで目の前の人が私たちよりも少し高い場所に立っていて、私たちが見えない遠くを見ながら語られているような、わずかなズレ。それは何より、夜桜と接している時にも時折感じていた、疎外感にも似た感覚だった。
ハヤトが手を挙げる。
「アプローチって、竜胆さんは人工知能を開発したことがあるんですか?」
「ん? ああ、違う違う。そっちじゃなくて、この子の方だよ。まあ、延命措置というか、一種の治療法みたいなものでね。魂、意識のデジタル化、あるいは肉体の完全機械化、そっちの方からこの子を助けられないものかと、色々とやっていた時期があってね」
どちらも中途半端で成果もあげられず、加えて当人の反対もあって中止になった研究なのだけれども。
それを聞いて、私たちはさらに信じられないといった表情を浮かべた。
当たり前だ。それこそまさに映画の中のお話だし、何よりそんな研究をしている人ならテレビや雑誌で少しぐらい名前を聞いたことがあってもいい筈だ。しかし私は勿論、あの様子から察するにハヤトとコタロウも、竜胆さんの名前は今日知ったばかりのようだった。
コタロウがそのことを指摘すると、彼女はさも当然とばかりにそっけなく答えた。
「ああ、そりゃあ私たち一家の名前は、公の場には一切出ないように検閲されているからね。その中途半端になった研究自体も、そのうち他の先生方の成果として発表されるんじゃないかな?」
「け、検閲って……いったい誰が……」
「いや、そんなものこの――うん、これ以上は健全な少年少女に聞かせる内容じゃないね。まあ、世界中の学会をしっちゃかめっちゃかにしたうえ、禁忌といわれる人造人間の製造にも手を出したんだ、巻き込まれたこっちはたまったもんじゃないよまったく。もっとも、そのおかげでこんなに可愛い娘と出会えたんだから、そこだけは感謝してもいいのかもしれないけれど」
そうして竜胆さんは眠り続ける夜桜の髪をそっと撫で、ともかく、と一呼吸置いて。
「この子の意識が戻らない原因がゲームの、そのナイア何某という人工知能にあるのなら、とりあえず詳細なデータは貰わないとね。魂のデジタル化、それが本当に実現できたとすれば、あるいは、この子にとってもそれが一番良い選択肢になるのかもしれない」
「な、タマモが、夜桜がこのままでもいいんですか!」
まるで夜桜がどうなってもいいような、彼女を軽視するような物言いに、私もつい言葉を荒げて立ち上がる。
だが凍て付くような竜胆さんの目を見たその瞬間、私はまさしく凍り付いたかのようにその場に立ちすくむ。それはまるで刃物のような、氷のような瞳だった。
「では君はこの子に、あと数年ともたないであろう肉体に帰って来いと、延命する手段も何も思いつかないけれど、自分の自己満足のために死ねと、そう言うつもりか?」
違う。頭では否定するものの、肝心な言葉が出ない。口が、体がまるで凍り付いたように動いてくれない。
「私はつい先ほど確認したはずだ。本当にこの子のことを思っているのなら、先に進めと。この子を救うこと、それはただゲームの中からこの子の意識を引っ張り戻すことだけではない。傲慢で身勝手なあの人からの解放。それが成せるのならば、この子を救えるのならば、私は悪魔に魂を売り払ってもかまわない。それでも、どうしても君たちがこの子を殺すためにこの子を連れ戻すというのなら、君たちは私の敵だ」
瞳が、雄弁に語っていた。
選べと。それでもお前たちは向う見ずにただ走っていくのかと。彼女を、夜桜を辛い運命が待つこちら側へと引き戻すのかと。
痛いほどの静けさが、部屋の中を満たす。規則正しく流れる心電図の音が、痛いほど頭に響いた。
だけど、どれだけ考えても答えは出ない。それはそれだ。控えめに言ってもそれほど良い出来ではない私の頭を少し捻った程度で出てくる答えで解決するなら、とっくの昔に夜桜の身体は回復しているはずだ。
悔しい。結局私は、涙でぐちゃぐちゃになった目で彼女を睨みつけることしかできなかった。
本当に、私は最低だ。
大切な人を助けることすら、満足にできないなんて。
「方法は、ないんですか?」
ようやく絞り出した言葉は頼りない、吹けば飛ぶような情けないものだった。
いくら拭っても、涙があふれてくる。今やもう、私の顔は涙と鼻水で大変なことになっていた。
それはまさしく堰を切ったように、止めどなく、止めようもなくあふれ出る。
「夜桜にはずっと生きていてほしい。でも、私は彼女の傍に居たい。一緒に笑って、一緒に泣いて、たまに喧嘩して、仲直りして、色んなことを、一緒に感じたい。私、頭悪いから、どうしたら夜桜にとって一番良いかなんてわからない。ただのわがままだってわかってる。でも、好きだから、大好きだから、私は夜桜と一緒に居たい!」
きっとそれは、一目惚れだった。
現実で、『玉津嶋夜桜』と『有栖川紅葉』として出会うよりもずっと前。あの時、あの場所で、どこか寂しそうな目をする彼女を見た瞬間から、私は彼女が大好きなってしまったのだ。
理屈なんてどうでもいい。ただ、傍に居たい。共に在りたい。
ただそれだけの、いかにも子どもっぽい、ただのわがまま。
くすりと、笑みがこぼれた。
ぐちゃぐちゃになった顔を袖で拭って見上げれば、そこには先ほどまでとは打って変わって優しい、まるでお母さんのような柔らかい笑みを浮かべる竜胆さんの姿があった。
「うん、まあ、及第点やな」
ポケットからハンカチを取り出しながら、彼女はそっと私の頭をなでる。
「いやいや、珍しくおねだりされて買ったったあのゲームでまさか、こんな想ってくれる彼女さんゲットしてくるやなんて、なんとも、羨ましいやら妬ましいやら」
そんな、まるで人が変わったような様子に言葉を失ったのは、きっと私だけではなくて。
「なんも考えんとただ猪みたいに突っ込むつもりやったら、ケツ蹴り上げて叩き出そう思とったけど、その調子やととりあえず大丈夫そうやな」
さらさらと流れてくる、流暢な関西弁。
目を白黒させながら、文字通り呆気にとられる私たちを見て、彼女はしたり顔で意地の悪い笑みを浮かべた。
騙された。どこから。ここの部屋に入った時から。あるいは、入り口のエントランスで話した時から。どこまでが演技だったのか。いや、あの身体の芯まで凍える瞳はとても演技には見えなかった。だが今はあの氷のような雰囲気はなく、まるでお日様のような温かいものを感じる。まるで真逆。信じられないような二面性。いやそれよりも、私は今勢いに任せてとんでもないことを口走ったのではないだろうか。好きとか、一緒に居たいとか、一目惚れだとかなんとか――
私の頭の中は、まさに混沌に塗れていた。
「あの、その話し方……」
誰よりも我に返るのが早かったのは、ずっと後ろで様子を見守っていたコタロウだった。
「ん、あれ、君ら知らんかったんか。ウチは母方の実家が関西でなあ、私らもちっさいときは向こうに住んどってん。夜桜は生まれも育ちも関東やし、お姉もこっちに来てからはずっと向こうの言葉遣いは使ってなかったみたいやけど。この子はおばあちゃんっ子やから、てっきりその辺話しとるんかと思っとったわ」
いや、たしかに以前そんなことを聞いたことがあるような気もするが、それにしたってこの変わりようは衝撃的だ。さっきまでは凄く知的でクールなお姉さんだったのに、今はもう気の良い親戚のお姉さんといった風である。
ハンカチでぐしぐしと顔を拭かれた後には、涙もすっかりと止まってしまっていた。
「ん、これでよし、と。こっから忙しなるからな、シャキッとせえよシャキッと」
力強く肩を叩かれる。
見上げた彼女の顔には、とても力強い何かが宿っていた。
「忙しくなるって、どうするんですか?」
「まあ、色々とな。聞いたところ、相手さんも随分ヤクザな方法使ったみたいやし、こっちだけ礼儀正しく正攻法でいく必要もないやろ」
蛇の道は蛇ってな。
そんなことを言いながら、竜胆さんはその豊かな胸元から一台の携帯端末を取り出した。
どうでもいいことだけど、実際にそこから何か取り出す人って、本当にいるんだ。
ふと、端末に何やら打ち込む彼女と目が合った。
にたりと、小悪魔的にその口元が歪む。
「あんだけ啖呵切ったんや、ひと肌もふた肌も脱いでもらうで、モミジちゃーん」
彼女を、私の大切な人を取り戻す最後の戦いが今、始まろうとしていた。
次回、ようやく主人公の出番




