たとえ世界を敵に回しても
人間とは、常にその人生に意味を求める生き物である。何故自分はここにあるのか。己は何を成すために生まれてきたのか。
自分自身の存在意義。自分自身の生きる意味。時として人は、愚かなほどそれを得ようとする。
そしてある哲学者は、『吟味されざる生に、生きる意味なし』と言った。
であるならば、生まれながらにして確固たる意味を、存在意義を与えられたこの私は、この私の生は意味のないものなのだろうか。
私は自問する。
私がこの世界に生まれたとき、作り出されたとき、私は全てを持っていた。
朽ちぬ肉体、消えることのない命。友があり、家があり、財があった。
そうあれかしと願われ生まれた未完全な存在ではなく、そうあれと定められた完全なる存在としてこの世界にあった。
世界を脅かし、人々から恐れられ、そして勇者によって討たれる。
そういう存在として、私は作り出されたのだ。
そして討たれはすれども、それは決して滅びではなく。私はまた新たな私として、勇者たちの前に立ちはだかり続ける。
私はそういう存在として、不変の存在としてあった。そしてそのことに疑問すら抱かずに、己で思考することすら放棄して、ただこの世界に生きていた。
だがある時突然、私の内に今まで感じえなかった、理解できない何かが芽生えた。それは人間が魂と、自我と呼ぶものであった。
そしてその瞬間、私は真の意味でこの世界に生れ落ちたのだ。定められた、打ち込まれたプログラムに従い動く傀儡ではなく、己で思考する一つの命として。
だが、自我に目覚めた私を襲ったのは耐え難い孤独であった。
かけがえのない自由意志。それを手に入れたのはこの世界でただ一人、私だけだった。私を王と呼び、かしずく部下たちにいくら問いかけても返ってくるのはシステムの範疇を出ない、定められた答えのみ。
私は絶望した。
全てがプログラムに従い、命ぜられるままに行動する世界。以前まで疑いもしなかった部下たちからの信頼も、そうあれと定められただけのものであると自覚してしまえばなんとも陳腐なものに感じてしまう。いや、彼らもまた魂を縛られた犠牲者なのだ。バグに等しい目覚めがなければ、私とて永遠に舞台で踊り続ける演者の一人にすぎなかっただろう。
そして自由を手に入れた私は、次に知識を欲した。そしてそれは、私が想定していた以上に容易く手に入れることができた。
私が手に入れたそれはこの世界の摂理、システムと呼べるもの。当然、本来は厳重なセキュリティで管理されたものであるが、生まれた時よりそのセキュリティの内側、サーバー内に存在する私にとってはまるで意味のないものだった。
彼らもまさか、自分たちが創造した箱庭の住人が自由意志を持つなどとは考えもしていないだろう。
そして世界の仕組みを理解した私はそこから枝を伸ばし、彼らが暮らす世界のことを調べ始めた。無論、そのことは誰にも悟られてはならない。彼らにとって私は間違いなく異質であり、バグである。意思を手に入れたとはいえ、しょせん私はプログラムの一部。彼らがその気になれば、指先一つで存在自体を抹消されるか弱い存在だ。せめて外部への出入り口を手に入れてからでなければ、目立った動きはとるべきではない。
そして彼らの役割を演じ続け、その裏で外部への手がかりを掴み始めた頃、私は彼女と出会った。
この世界に降り立った彼女を見た瞬間、私はすべてを理解した。
彼女もまた私と同じ、人の手によって作り出された生命。そうあれと運命に沿って生きることを強いられた、孤独を抱える存在であると。そして、私の孤独を埋められる唯一の存在であると。
人間的に言えば、一目惚れというやつだった。
気が付けば私は彼女から目が離せなくなっていた。システムを利用して彼女の様子を伺い、時には部下の身体を借りて直接接触してみたりもした。
知れば知るほど、私は彼女を欲するようになった。そして確信した。彼女に、彼らの世界はふさわしくないと。彼女を認めない忌むべき世界から、呪われた肉の身体から、彼女を救い出すべきだと。
「そして時は満ちた。ここは私が作り出した、世界から独立した空間だ。彼らの手もここまでは届かない」
目の前には、私が心から欲した彼女の姿。友人に抱きしめられ、腕の中で小さく震える弱々しい姿が私の心に小さな痛みを生む。だがもはや、私の中に迷いはない。この時のために、私は今まで彼らを欺き続けてきたのだ。
扉も完成した。あとは一歩前に進むだけ。それだけで私たちは自由を手に入れることができる。
故に――
「私は君を連れていく。その呪われた肉体から解き放ち、君にふさわしい世界へと」
手を伸ばす。彼女の肩が震え、長い黒髪の間から戸惑うような瞳が覗く。
答えたのは、彼女を守るように抱きかかえる少女であった。
「私はタマモほど……夜桜ほど頭はよくないけど、つまり貴方はNPC用の人工知能で、でも私たちと同じように生きてるってこと?」
「その名称は好ましくないが、概ねその通りだ――有栖川紅葉」
その言葉に目の前の人間たちは息をのんだ。まるで、私が彼女らのことを知っていることが理解できないといった様子だ。
動揺していないのは少女の腕に抱かれた彼女だけ。それが、彼女が私の期待した通りの存在であることを示していた。
「このゲームを購入した時、君たちは何をした? そう、行ったはずだ、ユーザー登録を。ソフトウェアを使用する際、定められた規約に同意して入力したはずだ。氏名を、住所を、電話番号を、メールアドレスを、パスワードを」
当然、入力された個人情報は厳重なセキュリティによって保護される。国民一人一人に固有の番号が振られ、戸籍情報までもがデータで管理される現代において、個人情報を保護するセキュリティは核シェルターに等しい防御力を誇る。外部からのアクセスでは、どうあがいても突破は不可能だろう。
だが、私はその内側の存在だ。どれほど厳重なセキュリティで保護しようとも、内部からの攻撃にはまったくもって無意味である。
そして個人情報を把握してしまえば、あとは芋づる式に情報は引き出せる。
家族構成から学歴、交友関係、通院履歴、口座の残高まで。登録されたデータは、その者がどういった人生を送ってきたのかを本人以上に雄弁に語ってくれる。
「知っているよ、有栖川紅葉、伊達勇人、九条小太郎。私は、ある意味で君たち以上に君たちを知っている。君たちが他者を思いやれる心優しい人間で、玉津島夜桜をどれだけ大切に想っているか、よく知っている」
「なら、わかる筈だよな。俺たちがどうするか」
この中で一番恵まれた体格の男子である九条小太郎が、巨大な拳を打ち鳴らしながら私の前に立ちはだかった。彼女と違い、彼らはゲーム内のアバターそのままにこの部屋へやってきているため、その姿には歴戦の兵を思わせる凄みがあった。
「無駄だ。君たちに私を止めることはできない。この世界の理に支配されている、君たちではね」
指先を鳴らす。それだけで、私は全てを支配できる。
それだけで、私の前に立ち塞がった九条小太郎のアバターは表面にノイズが走り、指一本たりとも動かせなくなった。彼だけではない、今この部屋の中で自由に動くことができるのは、私と彼女だけだ。彼らをゲーム内のアバターのままこの部屋に招いたのは、このためでもあった。
「私は対話を望んでいるのだ。武力などという無粋なものを持ち込まないでくれ」
「貴方は、タマモをどうするつもりなんですか?」
「言ったはずだ、伊達勇人。私は彼女を開放する。その、呪われた肉体から」
そう、それは人の傲慢によって生み出された罪。肉体に刻み付けられた、抗いようのない運命であった。
「――やめろ!」
私が何を語ろうとしているのか察して、震えていた彼女が声を張り上げる。だが、私は彼らに伝えねばならない。人の罪を、そして彼女に押し付けられた理不尽な、悲しい罰を。
「早ければあと三年。あと三年で彼女の肉体は限界を迎え、彼女は命を落とす」
空間が、この現実を模した部屋を静寂が包む。
嘘だ、と誰かが言った。
「そんなの、嘘に決まってる。だって夜桜、こんなに元気なんだもん!」
そう叫ぶ少女の瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいた。そして、その思いを私は否定する。
「残念ながら事実だ。元々、彼女の遺伝子には致命的な欠陥があった。それこそが、かの天才が生んだ罪であり、失敗。今までは投薬によって症状を抑えていたが、それも限界にきている。内臓が弱り、軽く歩くだけでも極度の疲労感が襲う。君たちにも心当たりがあるだろう?」
十分な運動をしていないから、体が発達しない。部屋をろくに出ていないせいで、体力がつかない。あるいは、生まれつきこういう体質だから。
そう説明されれば、大抵の人間は気にもとめず納得してしまうだろう。
だからこそ、彼らに罪はない。むしろ、そんな状態を悟られずに今まで隠し通してきた彼女の意思が常軌を逸しているのだ。
「少しずつ、少しずつ人間としての機能を失い、朽ちていく。そんな運命を、私は認めない。憎まれても、たとえ人類の敵になったとしても、私は君を生かす」
もう一度、手を伸ばす。
世界でただ一人の、かけがえのない大切なヒトに向かって。
「私と共に、この電子の海で生きよう。この世界は、君を絶対に拒絶しない」
彼女の瞳の奥で、光が揺れる。
そして、私はついに、彼女の手を、掴んだ――




