お稲荷様と最終決戦
明けましておめでとうございます。
今年も何卒宜しくお願い致します。
球体の表面に波紋が広がる。中心部分から突如として広がったそれはしだいに激しさを増し、やがて球体の中央に大きな窪みを作り出した。
そしてその窪みはやがて巨大な穴となり、身も凍るほどの深淵の奥底から、鷹のような甲高い鳴き声が響く。
産み落とされたのは嵐の具現、荒れ狂い、渦巻く風そのものであった。
天を覆い隠す程の巨体。ひとたびその両翼を羽ばたかせれば竜巻が巻き起こり、剣のような羽毛が闘技場に降り注ぐ。温かさを感じさせぬ、凍てつくような赤い瞳が妖しく光る。
【幻影のハスター】。
窮極の神に産み落とされた風神。薄緑に色づいた大鷲が、魂を揺れ動かす悍ましい産声をあげた。
「慌てるな、打ち合わせ通りに動くんだ!」
嵐の如き暴風が吹き荒れる中、バルムンクの振るう大剣が風神の鉤爪とぶつかる。鉄が震える鈍い残響のあとから、彼を攻撃する為に地表近くまで降りてきたハスター目がけて強者たちが殺到した。
拳が、短剣が、曲刀が、槍が、斧が、大槌が、鎌が、スキルを発動し光を放つ多数の武器が、まさしく怒涛の勢いで敵の巨体へと打ち込まれていく。
光、闇、炎、水、土。あらゆるエフェクトが色鮮やかに【幻影のハスター】の身体を飾りつけ、その頭上に表示されている体力バーを大きく減少させる。
狂鳥が吼える。
トンビにも似た甲高い声が舞台を震わせると、【幻影のハスター】はその巨大な身体をきりもみ回転させながら空高く舞い上がった。巻き上げられた大気が竜巻を生み、そこから鮮やかな緑色の羽が機関銃のように打ち出されていく。
「各員、回避しつつ指定位置に移動!」
範囲攻撃に巻き込まれ、多くのプレイヤーがHPバーをごっそりと減らす暴風圏内において、その声は不思議とよく通った。
その大剣で降り注ぐ羽を打ち払いながら迷いなく駆けるバルムンクのあとを、何とか範囲攻撃から抜け出したプレイヤー達が続く。
向かうは舞台の隅。雲がかかり、落下すれば間違いなく即死――無論、ゲーム的な意味で――は免れないだろうその縁、正確にはヨグ=ソトース=アバターが鎮座する場所を十二時として、三時と九時の二か所へ全プレイヤーが集結する。
「可能な者は出来る限り回復と補助の更新を!」
その声が響くのとほぼ同時に、集結地点を様々な詠唱エフェクトが埋め尽くした。空から清らかな光が降り注ぎ、陰陽師や踊り子のスキルによってプレイヤーたちの身体を淡い光が包み込んだ。
「はいはい、お仕事お仕事ー!」
【禹歩】のスキルを発動させるボクの隣で、華やかな衣装に身を包んだムギが軽やかにステップを踏む。しゃらり、しゃらりと鈴の音が鳴り、真っ赤なパレオとリボンが艶やかにその身を翻した。
【ヘイストステップ】という、範囲内の味方に移動速度上昇のバフを付与することができるスキルだ。
その踊りが終わるのとほぼ同時に、大空から狂鳥の咆哮が響く。
十二時の方向。ヨグ=ソトース=アバターの遥か頭上から、緑の流星が落ちてくるのが見えた。
それは甲高い風切り音を伴いながら、舞台の中心を抉るように駆け抜けていく。
事前の説明でこの場所が安全地帯であることはわかっていたが、それでもジャンボジェット機大の物体が目の前を高速で通り過ぎていく様はぞっとするものがあった。
そして残念なことに、このボスのギミックはこれだけではない。
「集合、中央!」
攻撃をやり過ごし、ほっと息を吐く間もなくボクたちは舞台の中央へと駆ける。猶予はかなり少ないが、先程付与された移動速度上昇の効果があれば余裕だろう。
そしてプレイヤーたちが再び一か所に集結するのと同時に、頭上から降り注ぐものがあった。
それは宇宙の彼方から緑の尾を引きながら、一切減速することなくこちらへと突っ込んでくる。
「タマモ!」
名を呼ばれ、手を握られる。
ハヤトたちを引き連れて合流したモミジに頷き返すと、ボクは指先で印を結びながら一歩前へと踏み出した。
それと同時に躍り出たのは、タマをはじめとする百狐繚乱のメンバーたち。
金に銀、黒、白、赤茶や灰色と、色とりどりの稲穂を揺らしながら、円陣を組んだ妖狐族のプレイヤー達が一斉にスキルを発動させる。
地面が隆起し、現れ出でるは土色の巨大な土壁。
妖狐族のスキルが一つ、初級妖術【塗壁】。その効果は使用したプレイヤーの前方に三メートルほどの防壁を出現させるという単純なもので、主に前方からの攻撃を受け止めてダメージを減少させる防御バフとして使用されるスキルである。
プレイヤーたちと同じく円陣を組むようにして出現した防壁は、今まさに頭上より襲い掛からんとする流星を受け止める為の盾のようであった。
「来るわよ! 気合い入れなさい!」
タマの凛とした声が響く。
直後、頭上から降り注いだ緑の流星が舞台上で炸裂する。
閃光。轟音。暴風。
それはまるで台風を閉じ込めた巨大な風船が破裂したかのような破壊力であった。
展開された【塗壁】は薄紙のようにあっさりと吹き飛ばされ、余波というにはあまりにも強烈な突風がボクたちを吹き飛ばす。
地を転がり、或いは何とか踏ん張りながらもじりじりと身体を後ろへと押しやられながら、プレイヤーたちは舞台から落とされまいとあがき続ける。
「あっ」
聞き慣れない誰かの声。ボクの頭上を、見知らぬ人間族のプレイヤーが風に攫われて飛んでいくのが見えた。
落下すれば、戦闘不能は免れない。そしてこの戦闘においては、僅かな戦力の低下が命取りになりかねない。
何とかして、彼を助けなければ。
そう思いスキルを選択するボクであったが、それよりも早く動き出すプレイヤーがいた。
突風の中で、長い兎の耳が揺れる。
「エリック、キャッチ!」
飛び出したイナバさんの背後から、漆黒のマントに身を包んだ人形が現れる。
真っ白な仮面で顔の半分を隠したその人形は今まさに舞台から落下しそうになっていたプレイヤーへと片手を向けると、その関節をばねのように伸ばしながら砲弾のように打ち出し、プレイヤーの足首を掴み取った。そのまま引き寄せられたプレイヤーが、人形の足元にばたりと落ちる。
彼は滝のように冷や汗を流したまま、地獄で仏を見つけたような鬼気迫る表情でイナバさんを拝み倒した。
「ありがとう、おかげで脱落せずに済んだよ!」
「あ、いえいえ! 間に合ってよかったです!」
何故か頭を下げ合う二人をしばし眺め、視線を前方へと戻す。
どうやら今ので脱落したプレイヤーはいないようだが、戦闘はまだまだ序盤。いまだ佳境すら迎えていない。
流れ落ちてきた狂鳥が辺りを一瞥し、三度雄叫びをあげる。
「第二フェーズ、来るぞ!」
切り替わる。
【幻影のハスター】の身体は紐を解くようにして立ち消え、その奥から新たな神性が這い出てくる。
立ち昇る黒煙。粘着質な液体が弾け、ひたひたと地に落ちる音。死霊のような、悍ましい呻き声が背筋を撫でる。
狂鳥の奥から浮かび上がってきたのは、ヘドロを固めたような二つの異形であった。
泥団子のような醜悪極まりない身体の表面には巨大な目玉と口が浮かび上がり、所々から鉤爪のついた触手が不気味な液体に塗れながら伸びている。
【狂気の双子ナグの残滓】【冒涜の双子イェブの名残】。
これがヨグ=ソトース=アバター戦の第二フェーズ。ここからはAとB二つのグループに別れ、それぞれが各個撃破のために動き始める。
ちなみにボクはAチームだ。
「さあ、かかってこい!」
バルムンクが右手で自身の胸を強く叩き、敵の注意を引く効果を持つ聖騎士のタウントスキル【宣戦布告】を発動させる。対象となった【狂気の双子ナグの残滓】はぶるりとその醜悪な身体を震わせると、巨大な目玉をぎょろぎょろと動かしてバルムンクを睨み付け、不快感を煽る粘着質な水音を伴いながら彼に向かってゆっくりと移動を始めた。
そしてその不気味な背中目がけ、先程と同じように様々な魔法スキルが撃ち込まれていく。
「こいつは物理を反射する! 魔法職以外のアタッカーはもう一体の相手を頼む!」
「団長、危ない!」
絶え間なく戦況を確認し、指示を飛ばし続けるバルムンクに生じた一瞬の隙を縫うように【狂気の双子ナグの残滓】の目玉が怪しく光る。
直後放たれたのは光さえ飲み込むような黒い極大の光線。直進し、その余波だけで舞台の床を削り続ける光線から騎士を守るように飛び出したのは、ボクもよく見知ったプレイヤーであった。
その身をすっぽりと覆い隠すほどの巨大な盾が光線を受け止め、堰き止められた光の奔流が大輪の花を咲かせる。
「チャーハン君!」
バルムンクが叫ぶ。
ゴリゴリと削られていくチャーハンさんのHPバー。すかさず後方部隊の治癒術士たちが回復魔法の詠唱を開始し、ボクも【泰山府君祭】――対象が戦闘不能になるダメージを受けた際、HPを1だけ残して耐えるスキル――を発動させるも時すでに遅し。無情にもチャーハンさんのHPバーは砕け散り、彼は力なくその場に倒れ込む――その直前で、後方から撃ち込まれた蘇生魔法を受けて寸でのところで踏みとどまった。
おお、ナイスリカバリーだ。
「いやあ、危うく床ペロするところだった!」
「はっはっは、俺の筋肉ヒールがもう少し遅ければ致命傷だったな!」
「いやいや、ぺロってたから! 完全にぺロってたからね!?」
「流石はテッシンさん! こんな時でもブレねえぜ!」
額の汗を拭うチャーハンさんに、白い歯を輝かせながらポージングを決めるテッシンさん。
そんな二人の様子を見た周囲のプレイヤーたちが野次を飛ばし、蘇生によるステータス低下のペナルティを受けたチャーハンさんがそれを笑い飛ばしながらボスの背後へと移動を始める。
「すまないチャーハン君。恩に着るよ」
「いえいえー、死ななければ安いですよ団長!」
幸い、蘇生魔法を使った際のデスペナルティは通常のそれよりも効果時間が短い。
ボスの攻撃を直接受けない後方からのサポートに回っていれば、そう待つこともなく前線に復帰できるだろう。
その後は事前の打ち合わせ通り、さしたるトラブルもなく戦闘は進み AとB双方にそれなりの被害をもたらした醜悪な双子はついに最後の時を迎えた。
「Bチーム、イェブ撃破!」
「こちらも撃破! 全員中央に集合!」
ナグとイェブが悍ましい断末魔をあげ、ぐずぐずに崩れて消えていくさまを見届けるよりも早く、ボクたちはまた舞台の中央へ向けて駆けだす。
これで残すは最終フェーズのみ。ここからが正念場だ。
舞台の前方で佇んでいたヨグ=ソトース=アバターが一際激しく明滅すると、その体表がパズルのピースのようになって次々に崩れ落ちていく。
そしてその下から現れたのは泡立ちのたうつ肉の枝に覆われた、虹色に輝く球体の集合体。まるで魚類の卵巣にも似たその化け物は――やっ■つ■■った――なんだ?
ノイズ。
視界が壊れたテレビのように歪み、酷い頭痛と耳鳴りにボクは頭を押さえ、目を閉じる。
そして次に目を開けた時、そこにはもう先程のようなノイズ交じりの光景はなく、頭痛も耳鳴りもまるで嘘だったかのように収まっていた。
なんだ、今のは。
「タマモ、大丈夫?」
「……いや、何でもないよ。少し耳鳴りがしただけ」
こちらの手を握り、心配そうに顔を覗き込むモミジにボクは微笑みながらそう答える。
今回のような大人数での戦闘に参加するのは、ボクにとって初めてのことだ。先程の不調はきっと、そこからくる緊張や疲労が原因だろう。その証拠にもう身体のどこにも異常はないし、意識も非常にはっきりとしている。
だけど、そうだな。
この戦闘が終わったら、何日かゲームから離れてのんびりと過ごしてみよう。モミジを誘って、二人でまたあのショッピングモールに出かけてみるのもいいかもしれない。
今まさに最終決戦が始まろうとしている舞台の上で、ボクはそんなことを考えながら武器を構えるのだった。




