お稲荷様と深淵からの呼び声
お待たせしました。
今回も百合成分入ってますのでご注意下さい。
あれから、ボクの世界はほんの少しだけ変わった。
肩の荷が下りた訳ではない。変わったのは、目線の高さ。
俯いていた顔をようやく上げる事が出来たような、やっと前を向いて歩き出せたような、そんな些細な心境の変化。
本当に、ボクという人間は思いのほか単純な作りになっていたらしい。
そう、それこそたった一言。ただそれだけで救われた気になってしまえる程度には。
「これで、チェックメイト」
ビショップの駒が、硝子製の盤を叩く。
静かに息を吐き、向かいに座る、背後で真っ白な九本の尾を揺らす狐の少女――タマの顔色を伺う。
「うぐ、うぐぐ……うにゃあー!」
彼女は声にもならない呻き声を漏らしながらしばらくチェス盤と睨めっこをしたあと、やがて火中の栗が弾けるように叫び声をあげ、テーブルに突っ伏した。
九本の尾が椅子の背を叩き、小さな足が地団太を踏めば、胸元を飾る朱色の帯がふわりと揺れる。
わっと、ボクの背後で声があがった。同時に背中へ伝わる温かな感触と、ふわりと漂う甘い香り。
「すごーい、これで十連勝だねタマモ!」
背後からもたれ掛かるように抱き着いたモミジが、頬が触れ合いそうな距離で笑う。
これもまた、一つの変化。
百狐繚乱のクランホームでの一件以来、彼女と一緒に過ごす時間が少しだけ増えた。
それと比例してこういったスキンシップを行う頻度も増えたが、不思議と不快感はなく――本人の前では絶対に言わないが――むしろ安心感にも似た感情を抱くことの方が多い。
彼女を独占しているようでハヤト、そしてコタロウには少しばかり申し訳ない気持ちになるが、あの二人と一緒に遊ぶ機会も以前より増えているので我慢してほしい。
「もおー! どうして勝てないのよっ!」
「だから言ったじゃないか。この手のゲームで勝とうとするのはやめた方がいいって」
頬を膨らませながらこちらを睨み付けるタマに、ボクは溜息交じりに言った。
そういえば、タマがこうして我が家までやってきて勝負を挑んでくるようになったのも、あのイベントに参加してからだったか。
なにやら相当自信があったようだが、残念ながら相手が悪すぎる。
勝負事でボクに勝ちたいのなら腕相撲や短距離走などを挑むのが一番簡単で確実なのに、変なところで真面目というか、負けず嫌いな子だ。
「特にチェスでは負けたことがないんだ。すまないが諦めた方が良い」
「やだっ!」
子どもか。
いや、子どもだったな。うん。
だが、こうして対峙してみるとなるほど、百狐繚乱のメンバーたちが頼りにするのも頷ける。
勝負の際にも時折見せるその地頭の良さはいわゆる天才と呼ばれる人種のそれであり、その頭脳は竜胆姉さんにも届きうるだろう。
「ああ、なるほど」
そこまで考えて、ボクは手を打った。
そうだ、この勝負好きで負けず嫌いな性格、出会ったばかりの竜胆姉さんにそっくりだ。
丁度チェスを教わったのもその時で、はじめは遊び半分で打っていたのだが、負けが込んでくる度に意地になって連日勝負を挑んでくるようになったのを覚えている。
しかし、当時のボクは今よりも輪をかけて可愛げのない生意気な子どもだったのに、あの人もよく愛想をつかさずに面倒を見てくれたものだ。
身内の事情をなしにしても、相当な物好きだと思う。
「……なによ」
「いや、きみはあんな捻くれた人間になっちゃだめだよ」
「何の話よ! っていうか頭撫でるなあ!」
ついつい頭に伸ばしていた手を払い、ご機嫌斜めな子狐が威嚇するように唸る。
ははは、こいつめえ。
何というか、妹がいたらこんな感じなのだろうか。
「ごめんくださーい」
そんなことを考えながら嫌がるタマの頭をくしゃくしゃにしていると、不意に我が家の扉が叩かれ、その向こうから聞き覚えのある声がかかった。
尾を立てながら吠える妹分から手を離して戸を開ければ、そこにはいつものように困り顔を浮かべた糸目の狐男が。
タマのお目付け役でもあるテウメッサだ。
「ああ、すみませんタマモさん。またうちのマスターがお邪魔しているみたいで……」
「きみも毎回大変だね。あの可愛らしい子狐なら、あそこにいるよ」
苦笑いを浮かべながら頭を下げるテウメッサに、ボクは室内をあごでしゃくりながら答えた。
そこには膨れっ面で不機嫌そうにしながらも、黙ってモミジに抱えられて尻尾に手櫛を通されるタマの姿。
あれも最初は随分と嫌がられたのだが、モミジの勢いに負けてか、それとも彼女がもつ不思議な魅力故か、今となってはああして嫌々ながらもある程度のふれあいを受け入れるようになっている。
その姿はまるで本当の姉妹のようで、まあ、なんというかボクとしては複雑な――ありていに言えば少しばかり妬けてしまう思いなのだが、それはそれで自分の新たな一面を発見したようで悪くなかったり。
まったく、以前までのボクでは考えられなかったことだ。
「あらら、相変わらず愛されてますねえ。ところで例の件、考えてもらえました?」
仲睦まじい二人の様子を眺めながら、半ば不意打ち気味に投げかけられたその問いにボクは肩を竦めた。
例の件とは他でもない。以前より勧誘されていた、百狐繚乱へ加入するか否か、という話のことだ。
正直、ボクとしては別に入ってもいいかな、ぐらいには天秤は傾いている。
つい先日までのボクであればクランなんていう、いるだけで息が詰まるようなコミュニティには絶対に入ろうとはしなかったのだろうが、モミジと真に打ち解けたあの時から、そういった繋がりも悪くはないと思えるようになってきたのだ。
だが、それでもボクがいまだ首を縦に振っていないのは、きっと依存なのだろう。
心の中でそう自虐的に呟いて、ボクはじゃれ合うモミジの方を見る。
一緒にいるだけでこんなにも心穏やかにいられる人間なんて、竜胆姉さん以外には存在しないものだと思っていたのだけれど、しぶとく生きていれば面白い事もあるものだ。
「すまないが、もう少しだけ時間をくれないか」
ボクが短くそう答えると、テウメッサは何も言わず、ただ静かに微笑むだけだった。
「テウメッサ! あんた来てたのなら少しは助けなさいよっ!」
「クリティカルっ!?」
そうしてしばらく二人して眺めていると、ようやくモミジから解放されたタマが大股でこちらへやってきて、テウメッサの向う脛に鋭いローキックを見舞った。
濡れたタオルで肌を打ったような、小気味の良い炸裂音が響く。
なんとも理不尽極まりないが、その頬がほんのりと赤くなっているところを見るに、あれも一種の照れ隠しなのだろう。
ひとしきり蹴り終え、タマの九尾が満足げに波打ち始めた辺りで、テウメッサは何か思い出したのか唐突に手を叩いた。
「そうだタマモさん、たしかクトゥルフ関係にも詳しかったですよね?」
「行かないよ」
ぴしゃりと言い放った。
「そんなご無体なぁ」
「ボクが知らないとでも思ったのかい? おおかた、噂のレイドダンジョンの話だろう」
むしろ今やあのダンジョンの話は旬と言ってもいいほどで、それなりにこのゲームをやり込んでいるプレイヤーならば知らない者の方が少ないぐらいである。
では、そんな話題沸騰のレイドダンジョンとは何か。
新エリアで発見された地下迷宮か、はたまた運営が用意した新たな公式イベントか。
答えは否。
それはかつてボクが訪れた砂漠の国、太陽の街ヘリオスで挑んだあの地下墳墓。王家の谷のその奥底に眠っていた巨大ピラミッド。
あの先に挑み、活路を開いたプレイヤーがついに現れたのである。
そしてその勇者が深淵にて覗いたのはある意味予想通りの代物で、予想通りに厄介なものだった。
パーティの一つ二つでは埒も明かず、なんとあの暁の騎士団さえも攻略できずにいるという。
「実は、その暁の騎士団から共同戦線を組もうという話がありまして」
「それはまた、物好きな話だね」
たしかに百狐繚乱にもそういったレイドコンテンツの攻略に熱を上げるプレイヤーは多いが、当然ながらその全員が妖狐族であるのでそのバランスは著しく傾く。
要は色物。魔法職以外の職業にはてんで適性がなく、よくて器用貧乏にしかならないのだから当然である。
だからこそ、ボクは思考を巡らせる。
人員においては全鯖一と言ってもいい暁の騎士団。その彼らが他のクランにまで応援を求める理由。百狐繚乱に、妖狐族にあって彼らにないもの。
つまり――
「最大火力。DPSチェックが超えられないのか」
「ええ、詰め込める最大人数で挑んだようですが、プレイヤースキルにムラがあるのか、なかなか思うように進んでいないようで」
「なるほどね。ちなみにその最大人数とは?」
「六四名。公式イベントを除けば最大規模のレイドコンテンツです。可能ならば十名ほど募ってほしいと言われましたよ。」
六十四名とは、これまた大所帯だ。
しかしまあ、妖狐族の魔法職、それもレイドコンテンツに挑める練度のプレイヤーを十名とは、仮にも騎士団と名乗っておきながらなかなかの図々しさである。
「残りの五十を自前でどうにかできるのなら、身内だけでやればいいものを」
「辛辣ですねぇ。まあ、そんな訳でタマモさんにもお声をかけさせて頂いたわけで」
ちなみにタマとテウメッサは参加が決まっているらしい。
それを聞いてボクはふむ、と顎に指を添え考える。
六十人を超える程の大型レイド。海底神殿に続く、あの神話絡みのダンジョン。待ち構えているであろうボスモンスター。そのさらに奥に眠る何か。レアアイテムか、はたまた新エリアか。
興味は尽きない。
が、攻略組のような意識高い系のプレイヤーたちにただ囲まれるのは流石に我慢ならない。
「わかった、ボクも参加しよう」
熟考の後、ボクはゆっくりと口を開く。
手を叩くテウメッサ。自分が行くのだから当然だと何故か胸を張るタマ。少しだけ心配そうな目をするモミジ。
三者三様の視線を浴びながら、全員に待ったをかけるように人差し指をぴんと立ててみせた。
「ただし、条件がある。なに心配はいらないさ。向こうの副団長とはそれなりに交流があるからね」
そう言って、ボクはフレンドリストを開き、見慣れた名前をタップする。
それが世界を崩壊させる引き金になるとは、この時誰も予想だにしていなかった。
――蓋が開く。
――それは決して開けてはいけない禁断の箱。
――世界の底のさらに奥。
――嗤う悪魔の瞳が光る。
六十四人レイド。
攻略に一時間とか二時間とかかかる。
最強武器を入手する為に何十回も潜らないといけない。
なお完成するのに年単位で時間がかかる。
完全にニート量産コンテンツである。




