お稲荷様と父なる……④
お待たせ致しました。
かくして邪神の幻影は討たれ、静寂を取り戻した玉座の間でボクはへとへとになりながらその場に座り込んだ。
これほど長時間、同じコンテンツにのめり込んだのも久しぶりである。
「よく頑張ったのう、タマモよ」
そうしてぼんやりと天井を眺めていると、背後から声がかかった。反射的に振り返れば、そこには金と銀の大きな瞳が二対。
空白。
わっと声をあげて仰け反ったボクを見て、カヨウさんは悪戯が成功した子どものようにかんらかんらと腹を抱えて笑った。
こちらをじっと見つめる二対の瞳。それは彼女が呼び出した二頭の狐のものであった。
間近で見ると、改めてその大きさに言葉を失う。大型犬を通り越して、それはまるで馬か牛かといったところである。
大きな耳がぴくりと動く。
二頭は何を思ったかボクの首元に鼻を寄せると、くぅくぅと甲高い音をあげながら喉を鳴らした。
鼻息とふさふさの毛並みが首に当たって、なんともくすぐったい。
「ほぅ、こやつらがこうも気を許すとは、流石はタマモじゃな!」
「あの、お褒め頂いて光栄なんですけど……」
少しぐらい止めてくれてもいいのではないだろうか。
そんなことを思いつつ、ふすふすと鼻を鳴らしていた金色の方に手を伸ばしてみる。
そっとあごの下を撫でてみれば、それはまるで高級なシルク生地のような、きめ細やかで柔らかな手触りであった。
おお。おお。
そんな間抜けな声をあげて、ボクの両手は瞬く間にその毛並みへと吸い込まれていく。
これはダメだ。悪魔的な心地良さである。
この毛並みに埋もれながら眠れたならば、それはもう良い夢を見ることが出来るだろう。
「いいなぁ、タマモ。いいなぁ」
そんなボクの様子を、文字通り指をくわえながら眺める少女がもう一人。
今回、最後の最後でまんまと美味しいところを持っていったアワリティアである。
相も変わらずこちらに害意は持っていないようで、ボクにじゃれつく銀狐の背におっかなびっくり手を伸ばしては、寸でのところでひらりひらりとかわされて頬を膨らませていた。
そうして欲求不満な彼女がようやく掴んだのは、黒い毛並みの大きな尻尾。ゆらりゆらりと九本ゆらめくうちの一本であった。
いや、どうしてそうなった。
「あー、もふもふぅ」
「いや、もふもふぅ、じゃなくてね?」
相当お気に召したのか、もはや掴むどころではなく両手両足を使ってがっちりとホールドされている尻尾を眺め、毒づく。あげくそのありさまが興味を引いたのか、金銀の大狐たちまでも鼻を鳴らしながらその周りをうろうろとやりだす始末である。
初めて出会った頃から変わりのないそのマイペースっぷりには呆れたものだが、このまま昼寝でも始められてはたまらないとボクは残った八本の尻尾で、人様の尻尾を抱え込んだ挙句に涎まで垂らし始めている不届き者の顔面を思いっきり叩いた。
乱打、乱打である。相手はレイドボス以上なのだから、遠慮はいらない。
フルボッコだドン。
あばばばば、と壊れたテレビのような奇妙な声をあげて、ティアが猫のように飛び上がった。
「むー、何すんのさあ!」
「なにもへちまもないのだけれど、とりあえずここでだらだらしてても大丈夫なのかい?」
そもそも先に何かされたのはこちらの方である。
愉快愉快と、ボクの背後でカヨウさんが笑う。
「そういえばお主は初めて見る顔じゃな。見たところこの国の者でもなければ来訪者でもないようだが、何者じゃ?」
「いつぞやか温泉にやってきた男がいたでしょう。あれの仲間ですよ」
「んんー? おぉ、あの男とも女ともつかん格好をしたあやつか! ではこの娘も魔王だのなんだのの手先ということでよいのか」
「ちょっと待ってそれってルクスリアのこと!? 温泉ってなに私聞いてないそんなの!」
がしりと今度はボクの肩を掴み、口角泡を飛ばす勢いで迫ってくるティアの顔面にもう一度尻尾の一撃をお見舞いする。
きゃん、と小気味のいい悲鳴があがった。
「はいはい、話が進まないからそれはあとで。それよりも、よかったのかいティア。魔王様とやらからは、調べてこいとしか言われてなかったんだろう?」
調べるどころか元凶を倒すところまで手を貸してしまったわけだけれど、命令違反だとか、その辺りは大丈夫なのだろうか。
いや、メタな言い方をしてしまえば、『そう設定されているイベント』なのだからそれこそ問題も何もないのだろうけれど。どうにもこのゲームのNPCたちは妙に生々しいというか、人間よりも人間臭いところがあるのでつい情が沸いてしまう。
だがそんなボクの心中を知ってか知らずか、当の本人は人差し指をあごに当てながら何のことかと可愛らしく小首を傾げてみせた。
「んー、たぶん大丈夫じゃないかなっ! 魔王様やさしいし!」
そんなんでいいのか、魔王軍。というかもはや隠す事さえしなくなったね。
とはいえ、そもそもその魔王とやらもティアの人となりを把握した上で命令を下したわけであるし、こうなることも承知の上だったのかもしれない。
「もし、もし……」
呑気に開き直るティアに呆れかえっていると、どこか聞き覚えのある声が不意に背を打つ。
すわ深きものどもでも沸いて出たかと懐に手を伸ばしながら振り向けば、そこにいたのは意外な人物であった。
波打つ金髪に青い瞳の美女。
その身なりこそ貝殻の水着から純白のドレスへと変わっているが、その美貌は忘れようもない。
ボクをこの海底神殿に招き入れた張本人、人魚族のミズクサが見惚れるような微笑みを浮かべてそこに立っていた。いや、どういう魔法を使っているのか、下半身は魚のようになったままふわふわと宙に浮いているので、『立っている』というと語弊があるのだが。
僅かに身構えるボクに、神妙な顔をするカヨウさん。ティアに関しては我関せずといった風で、再びボクの尻尾にじゃれついている。
どうにも締まらない絵面になったので呆れてまた溜息を吐いて肩の力を抜くと、すぐ傍まで歩み寄ったミズクサが深々と頭をあげた。
ほう、と背後からカヨウさんの感心するような声が響く。
「よくぞ、よくぞ成し遂げてくれました」
それは慈愛に満ちた、身体を優しく包み込むような声色だった。
違和感。
顔も、体格も同じの筈なのに、以前会った時とはまるで違う存在感に気圧される。
まるで中身だけを入れ替えたような――いや、どちらかといえばより中身の濃度を上げたような、それほどの濃密な気配。
「やはりお主か。タマモをここへと引き入れたのは」
溜息交じりにカヨウさんが零す。
その瞳には呆れの色がありありと浮かび、いまだに事態が飲み込めていないボクは二人の間で馬鹿のように立ち尽くすことになった。
「ええ、その通りです。かの邪神に囚われ、力の大半を奪われたわたくしにできることは分身を操り、力ある者に助けを求める程度が精々でしたので……。しかし事情を知らぬタマモを謀ったこともまた事実。如何様な責めも甘んじて受ける覚悟にございます」
目を伏せ、再び頭を下げるミズクサ。
その言葉に嘘偽りは感じられず、しずしずと首を垂れるその姿には、このまま首を撥ねられても構わないというような潔さがあった。
ボクはその細い肩に手を置くと、こちらを見上げる瞳に首を振った。
「貴女が、龍王だったんですね」
ミズクサが静かに頷く。
近くでよく見てみれば、その頭には珊瑚のような赤い角が二本、捻じれながら後ろに伸びていた。
なるほど、なるほど。
彼女が真に龍王と呼ばれる存在ならば、まるで別人のようなその神聖な雰囲気も納得である。
「わたくしの真の名はワタツミ。あまねく海を統べ、守護する者。タマモよ、よくぞ、よくぞ我が民たちを救ってくれた。今はただただ言葉を尽くすことしかできませんが、この大恩は必ずや、この身を尽くしてでも報いると誓いましょう」
柔らかく、ひんやりと冷たい両手がボクの手を包む。
頬からは涙が一筋流れ、上気して赤みがさした頬が香りだつような色香を放っていた。
しかしそこに割って入る者があった。言わずもがな、カヨウさんである。
彼女はボクとミズクサ――ワタツミの間にその身を割り込ませると、九本の尾を目いっぱい広げながら鼻息荒くワタツミへ食って掛かった。
「おい、おい。生憎じゃがタマモは我らが同胞であるぞ。それともお主ら水底の民にはあの耳と尾がえらにでも見えるのかのぅ」
「あら、あら。かの女神ウカノ様に仕える者とは思えぬお言葉。愛を注ぐに狐も魚も、ましてや龍もありましょうや。老婆心も過ぎれば毒になりますよ?」
あはは。うふふ。
傍から見れば親し気に笑い合いながら、しかしその間には静かに火花が散っているように見えるのはボクだけだろうか。
竜虎相搏つという言葉があるが、この場合は虎ではなく狐という字の方が正しいな。
いがみ合う二人を見ながら、呑気にそんなことを思う。
というか、この二人は知り合いなのだろうか。
なんというか、こう、互いに随分と気安い感じがするのだけれど。
「知り合い、そうじゃな、まあ知人ではある。長生きをすると、こういう余計な縁も寄ってくるから困ったものじゃ」
「あらあら、わたくしはカヨウ様のことはそれなりに好いておりますのに、意地悪な御方ですね」
「だー、わかった、わかったから子どもをあやすような真似はよさぬか!」
ほんわかと笑みを浮かべながらワタツミがカヨウさんを抱きしめれば、彼女の腹に顔を埋めるような形になったカヨウさんが珍しく慌てたような声をあげた。
そうして這う這うの体でボクの背中へ回り込むと、尻尾の陰から顔だけを出してうーうーと唸り始める。常に不敵でふてぶてしい彼女にしては本当に珍しい。
まるで見た目相応の少女のようだ。
「もうよい、帰るぞタマモ! ここにおっては生臭くなってかなわん!」
「うふふ、これはこれは、随分と嫌われてしまいましたね」
力いっぱい袖を引いてくるカヨウさんに和んでいると、ワタツミがおもむろに袖口から何かを取り出し、こちらへと差し出してきた。
こちらの手にそっと自身の手を添えながら、慈しむように渡されたそれはまるで深海のように暗く、しかし鮮やかな青の光を湛える硝子玉であった。
【龍王の宝玉】――龍王の頸にあるとされる宝玉。持つ者に強大な魔力を与え、万難を排すると伝えられている。
渡されたそれを見つめ、表示されたテキストにボクは目を見張った。
「残念ながら宿っていた力はあの邪神に奪われ、今はただの硝子玉に過ぎません。しかしそんな硝子玉でも、貴女の旅路の役には立つでしょう。貴女への大恩を思えばとても足りるものではありませんが、どうかお持ちになって下さい」
これはもしかして、もしかするのではないだろうか。
というのも、龍王の宝玉――つまり竜の玉といえば、思い浮かぶのはかのお姫様が提示した五つの難題。そのうちの一つに、竜の頸の玉を持って来い、というものがあるのだ。
クエスト自体はまだ発生していないが、アイテム名とそのテキスト内容からして無関係ではないだろう。
なんというか、予想外というか、棚から牡丹餅というのはきっと、こういうことをいうのだろうか。
「もしわたくしたちの力が必要なときは、波打ち際でわたくしの名を呼びなさい。タマモの為ならば、たとえそこが海の果てだろうと助けになりましょう」
ぎゅっと手を掴み、熱っぽい視線がこちらを見つめる。
種族を超えた愛、といえば聞こえはいいが、ここまで情熱的だと火傷してしまいそうで扱いに困ってしまう。
でもきっと、男性プレイヤーには垂涎のイベントなのだろうなあ。
見た目は文句のつけようがない程の絶世の美女であるし。
「だーかーらー、色目を使うなと言うておるだろうがー!」
背後から、尻尾の毛を逆立てながらカヨウさんが吼える。
そこからまた、あらあらうふふと二人のじゃれ合いが始まった。
恐らくだが、ワタツミはカヨウさんとああして気兼ねなく戯れるのがたまらなく楽しくて、その為にボクにちょっかいをかけているのではないだろうか。
そして無論、弱輩者のボクが察せる程であるので、カヨウさんもそのことは薄々感づいているのだろう。知っていて、ああして無遠慮に言い合いをすることを受け入れているのだ。
なんというか、二人とも素直じゃないなあ。
そんなこんなで、結局最後は犬のように威嚇するカヨウさんに袖を引かれ、神殿をあとにすることと相成った。
なんだろう、なにか一つ忘れている気がする。
まあ、いいか。忘れていたということは、さほど大事なことでもないのだろう。
きっと、たぶん、そういうことなのだ――
「この度はご苦労だったな、アワリティアよ」
「ふふ、流石の彼の者であっても、少しばかりは手を焼いたようだな」
「しかしそれも彼奴等の意志によるもの。我らは所詮傀儡、舞台で踊る道化に過ぎん」
「彼の者もまた然り。否、あるいは彼の者こそが、彼の者だけが道化なのかもしれんな」
「嗚呼、悲しい哀しい、憐れな道化よ――」
――君を救えるのは、私だけだ……
設定集も随時作成中なので少々お待ちを!
そして見え見えの伏線ですが、この辺で貼っとかないと最終章纏まらないのでご了承下さい。
あと他職の小話挟んで最終章です。




