お稲荷様と父なる……②
お待たせ致しました。
今回は後書きに素敵なイラストを貼らせて頂いております!
「元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神」
それはまるで歌うような、穏やかで美しい声であった。
しなやかな細腕をゆらりゆらりと操りながら、九尾の少女――カヨウが巨大な魔法陣の中で踊る。
気泡のような光の粒が足元から立ち昇り、下駄が床を叩く音が柏手の様に響く。
「害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し」
「■■■■■■――!」
異形が、ダゴン・アバターと名付けられた化け物が吼える。
粘着質な体液でまみれた胴からミミズに似た、それぞれがカヨウの身体を丸呑みに出来る程の大きさを持った触腕がぞぶりぞぶりと耳障りな音と共に現れ、まるで纏わりつく羽虫を払うかのように横薙ぎに振るわれた。
だが、それらが舞い踊るカヨウを薙ぎ払うより早く、醜悪な触腕は切り捨てられ、地へと落ちる。
それを成したのはライオンほどの巨大な体躯をもった金銀二頭の狐であった。
口元にはそれぞれ玉と巻物を咥え、隈取のように施された赤い化粧の上で、満月のような瞳が油断なくダゴン・アバターを睨み付けている。
そして二匹の獣に守られた巫女の祝詞は途切れることなく、カヨウの袖口から燕の様に飛び出した七十二の呪符たちが、いまだ唸り続ける異形の周囲を取り囲んでいく。
「元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」
柏手。
指先がゆっくりと印を結び、解き放たれた呪符がダゴン・アバターの身体に張り付いた。
「急急如律令!」
カヨウの命じる声に応じて七十二の呪符が眩い光を放ち、ダゴン・アバターが苦しむように身を震わせ、咆哮をあげた。
それと同時に、先程まで全身に感じていた圧迫感のようなものが、ふっと消えてなくなる。
「これ、何を呆けておる! おヌシも早う手伝わぬか!」
そのあまりにも幻想的な光景に目を奪われていたボクを、心なしか焦燥の色が浮かぶ声が叩いた。
はっとして見れば、そこには僅かに震える指先できつく印を結び、額に汗するカヨウさんの姿。傍に控えた二頭の狐も、どこか心配するように己が主を見つめている。
「こやつ、ただの怨霊物の怪の類かと思っておったが、どうやら神仏に近しいものらしい。妾の術では完全に封じ込めぬ」
そのカヨウさんの言葉を証明するように、彼女の足元に広がる魔法陣が水面のように波紋を描き、ダゴン・アバターに張り付いた呪符たちが力なく明滅する。
硝子が砕けるような音が響いたかと思えば、何枚かの呪符がダゴン・アバターの抵抗に抗えず剥がれ落ち、砕け散るさまが見えた。そしてその綻びから抜け出すように、数本の触腕が伸び始めている。
どうやら、そういうことらしい。
袖にしまい込んでいた扇と呪符を取り出し、ボクはいつものように自身にバフを施していく。
「わかりました。ちなみにどれほど持ちこたえられますか?」
「ようもって四半刻。ええい、こんなことならヨリミツの奴でも連れてくるんじゃった! 金狐、銀狐、結界の維持は妾一人でよい、お主らはタマモの露払いをせい!」
二頭の狐が頷き、鬨の声をあげて巨大な化け物へ向かって疾走する。
そして自身に迫る危機を感じてか、拘束を逃れた触腕たちが蠢き、今まさに飛びかからんとしていた二頭に襲い掛かった。
使用するスキルを選択し、実行。
九本の尾が紫電を帯び、雷鳴とともに放たれた中級妖術【雷獣】が悍ましい触腕たちを諸共に焼き払う。
「■■■■■■――!」
ダゴン・アバターが耳障りな悲鳴をあげ、焼き切ったばかりの触腕たちが一斉にこちらを向いた。
粘着質な体液が沸騰するように気泡を吐き出しながらその先端部分に人間のものに似た眼球が浮き上がり、こちらに視線を向けてぴたりと止まる。
ぞっと、背中に氷を放り込まれたような悪寒。生理的嫌悪感。
その直後、視界にシステムメッセージが走った。
――状態異常【狂気】
――正気度が減少します。
――正気度【90】
――一時的狂気。状態異常【幻覚】【失語】
「……なるほど、そういうことか」
視界がぶれる。
現れるのはその輪郭を幾重にも揺らしながら、奈落のような眼孔をこちらに向ける者たち。
それらは半魚人のみならず、里から攫われた妖狐族や人間族の男女も混ざっていた。
だが、先程かけられた状態異常の事を鑑みると、これらは全て幻覚、こちらにダメージを与えてくることはないだろう。
しかし〝正気度〟なんていう初めて見るステータスも合わせて考えれば、一概に無視していいものとも思えない。
合わせてこの【失語】の状態異常が厄介で、どうやら【沈黙】と同じく詠唱系のスキルを使用不可にする効果があるらしい。
何度使用を試みてもうんともすんとも言わなくなったスキル覧を眺めながら、ボクは溜息を吐いた。
とにかく、この幻覚には極力触れない方がいいだろう。
どこぞのゾンビゲームよろしく、両手を前に突き出しながら呻き声をあげて近付いてくる幻影たちを避けながらフィールドをぐるりと確認する。
ダゴン・アバター本体に動きは無し。触腕は四本。恐らくは本体にダメージを与えないと効果がないタイプのボスなのだろう、先程【雷獣】で与えたダメージは回復済み。
さてさて、どうしたものか。
「こらタマモ、容易く敵の術中に嵌まるでない! 金狐、銀狐!」
その時、発破をかけるような溌剌とした声がボクの背を叩き、それと同時に狐の鳴き声が響いた。
身体を優しい光が包み、目の前の幻影たちが霞の様に消え失せていく。
――正気度【100】
――一時的狂気が解除された。
システムメッセージが流れていく中で、ボクの身を柔らかく大きな銀色の尾が包み込む。
ステータス画面には【神使の護り】というバフ効果が表示されており、どうやらこの銀の狐がダゴン・アバターが撒き散らしているバッドステータスからボクを守ってくれているようだった。
それと同時に前方へと陣取った金の狐がひと鳴きすると、弾けるようにダゴン・アバターの触腕に浮き出ていた目玉が弾け飛び、化け物は苦しむようにその巨大な身を捩る。
なるほど、つまりはそういうギミックであるらしい。
幻影が霧散し、障害が無くなった神殿の中を、心なしか軽くなった身体で前へ。前へ。
拒むように振るわれた触腕が、右肩を掠めた。
「このボスの属性は間違いなく水、なら土属性の攻撃が有効なはず」
スキルを選択、実行。
袖口から飛び出した呪符たちが魔法陣を描き、詠唱に伴う硬直時間が発生、一定時間身動きが取れなくなる。
無論、その隙を逃す程敵も甘くはない。詠唱が完了するまでに計三発、触腕からの攻撃を受けて四割ほどの体力が削られてしまう。
だが、この程度ならば許容範囲内だ。幾らでもリカバリーは可能。
詠唱が完了。巨大な魔法陣の中央から、十二の星の一つが現れ出でる。
「宜しく頼むよ、勾陳」
細く、鋭い息遣いと共に現れたのは、金色の鱗をもった大蛇であった。
口元には二本の鋭い牙を伸ばし、身体全体に草の根に似た模様を走らせている。
十二天将が一つ。京の中心を守護するといわれている土神である。
呼び出した勾陳はまるで幽鬼の如くゆるりとその鎌口をもたげると、その金色の瞳でダゴン・アバターを睨み付け、身を震わせた。
「瓦解土砲」
指先で標的を指し示し、スキル発動を命じる。
甲高い嘶きと共に、開け放たれた巨大な顎から放たれたのは地を抉り、敵を粉砕する土石流の一撃であった。
土剋水。
土は水を堰き止め、流れを止めて腐らせる。故に、土は水に克つ。
放たれた強力な一撃はダゴン・アバターの触腕を諸共に薙ぎ払い、巨大な胴体に喰らいつく。
名前の上に表示された体力バーが、目に見えて減少した。
いける。
ボクは心の内で拳を握り込んだ。
「さあ、反撃といこうか!」
狐と蛇の、そして歪められた水神の咆哮が重なった。




