お稲荷様とお稲荷さん
お待たせ致しました。
狐の大好物といえば何か。
そんな事を尋ねてみると、恐らくは大多数の人間が、それは油揚げだと答えるだろう。
では実際に狐が油揚げを好んで食べているかといえば、勿論そんな事は無い。
食べる事は食べる。
狐の食性は雑食である。基本的には他の小動物を狩って食べているが、必要に応じて草類をかじる事もあれば、カニやエビなどの海産物をバリバリ食らう事もある。
ではなぜ、狐の大好物が油揚げだなんて言われ始めたのか。
これには、色々と信仰やら宗教観やらが絡みややこしくなるので、ざっくりと説明しよう。
こんな、今となってはインターネットで検索すれば数分で見つけ出せるような、どうでもいいうんちくを垂れ流しにしたところで、誰の得にもなりはしないのだから。
始まりは、狐を使いとする稲荷神、通称お稲荷さんに油揚げを奉納したのが発端だと言われる。
尤もこれには注釈がつき、元々は油揚げではなく、油で揚げたネズミを供物として捧げていたらしい。
それが後に、どんな生き物でも殺生をすればあなた、地獄に落ちるわよ、という仏教の教えが広まった事もあり、豆腐を揚げた油揚げに変じたのだとか。
つまり、狐の好物であるから油揚げを捧げているのではなく、狐、お稲荷さんを信仰する者たちの都合でそうなっているのだ。
狐からしてみれば、どうしてそうなったと首を捻りたくなる事だろう。
ではそろそろ、どうしてボクがこんな冒頭から、五百字あまりも費やして長々と話しているのか、その理由を語るとしよう。
全ては夏のとある日、我が家の扉がノックされるところから始まった。
「ほほー、此処が其方の寝床か。うむ、侘の心を感じる良きところではないか」
「こらカヨウ、そうじろじろと見るもんじゃありんせん。タマモや、お許しなんし。 あとできつぅい灸を据えておきんすから」
板戸を引いて見れみれば、そこには九本の尾を揺らしかんらかんらと朗らかに笑う巫女服の少女と、頬に手を添え困ったように微笑む着物姿の美女が立っていた。
金と銀で合計十八本。中々に衝撃的な光景である。いや、ボクの分も含めれば計二十五本か。
もうここまで来ると、流石のボクでもちょっと引く。
もはや尻尾がゲシュタルト崩壊を起こし、何か別の生き物にさえ見えてきた。
「えーっと、お久しぶりです、カヨウさん、クズノハさん」
「うむ、久しいなタマモよ!」
にぱー。
そんな効果音さえ聞こえてきそうなほど、清々しい笑みであった。
いやはや、体型さえ現実のボクと似通っているが、ボクにはこんな笑顔は一生かかっても出来そうにない。
いや、そうではなく。
「わっちはよしゃれと申しんしたが、この子は昔から、人の言う事を聞かん子でござんしてなあ」
溜息交じりにそう口にするクズノハさんの表情はどこか憂いを帯びていて、着崩した着物姿も相まって妙な色香を醸し出していた。
実際のところは、鉄砲玉のような妹に手を焼く年の離れた姉、といったところなのだが。
いや、外見的に言えば親と子と言っても――いえ、なんでもないです。
ほんの一瞬、正しく獲物を狙う狐のような鋭い眼光を浮かべたクズノハさんに対し、ボクは即座に白旗をあげた。圧倒的上位者に対し、一切の抵抗は無駄なのである。
しかしこの人、しばらく見ない間にちょっと茶目っ気が増えているのではなかろうか。
「ま、まあ、立ち話もなんですので、どうぞあがっていってください」
「うむ、苦しゅうないぞ!」
「待ちなんし、カヨウ。あんまり下卑蔵みたいな真似をしんすと、わっちにも考えがありんすえ?」
ふんすと可愛く鼻を鳴らし、カヨウさんが我が家の敷居を跨ごうとしたその時、彼女の首根っこを後ろからクズノハさんがむんずと掴み上げた。
その顔にはいつもの見惚れるような微笑みがあったが、目が全く笑っていない。
一説によると、微笑みの起源は威嚇、敵に対し牙を剥く表情にあるのだという。
なるほど、確かにこれは威嚇である。
彼女の背にボクは、真っ赤な目で相手を睨み付け、牙をぎらつかせる狐の姿を幻視した。
尻尾を立てろ! そう叫んでしまいそうなほどであった。
いや、あれはイタチなのでどちらかといえば狐の捕食対象なのだけれど。
でもあのイタチ、催眠術使ったり馬に勝ったりするからなあ。 本当にイタチなのだろうか。
ちなみに下卑蔵とは、心が卑しい、浅ましい人をさす言葉である。
「す、すまんかった姉上。久しぶりにタマモの顔を見て、妾も少し気が昂っておったのじゃ」
「頭を下げる相手を間違えていんすよ。タマモや、おまえさんにもほんに迷惑をかけんすなあ」
「いえ、ボクは迷惑だなんて思っていませんよ」
二人を居間に案内し、お茶を淹れる。
「どうぞ、粗茶ですが」
お約束の台詞と共に茶碗を二人に差し出すと、改めてその異様ともいえる光景を目にボクは思わず吹き出しそうになった。
カヨウさんが小柄な分幾らかマシに見えるが、やはり九尾のお二人が並んで座ると、うちの居間ではどうしても狭く見えてしまう。
向かいに座ったボクを見て、カヨウさんが小首を傾げた。
「なんじゃ、妾の顔に何かついておるかや?」
「ああ、いえ、すみません。九尾のお二人が並ぶと流石に圧巻だな、と思いまして」
「カヨウは里の長としてのお役目もあって、都には滅多にきいんすからなあ」
話を聞けば、どうやら今回は海岸の隠し湯に現れた七将軍の件でヤマト様に呼び出されたようであった。
といっても、色欲を冠するあの将軍は特にこちらに攻撃を加えるわけでもなく、本当に温泉を楽しむだけ楽しんで帰ってしまったし、場所が場所だけにあのお殿様も迂闊に兵を派遣する事が出来ず、相当頭を悩ませていたそうだが。
「まさか、妾が入る湯を見張る為に兵を立てる訳にもいかぬしなあ。かかっ、あの男は昔から、抱えんでもいい頭を抱えておるのう」
それはまあ、ただでさえ信仰者が多い女神ウカノを祀る本社の傍、そしてその巫女が住まう土地なのだ。万が一不手際があれば、いったいどれほどの民草から非難される事になるのか、想像もつかない。
恐らくは現状維持に留まるだろう、それがカヨウさんの予想であった。
「そして、聞けばいつか来た七尾の娘が、城下町に家を建てたと言うではないか。これは一つ、祝いの品でも持っていってやろうと思うのは当然じゃろうに」
白銀の尻尾を揺らしながら、カヨウさんが胸を張って言う。
そうしてあっと声を漏らすと、その祝いの品というのを思い出したのか、いそいそと巫女装束の袖口から小さな包みを取り出して見せた。
「妾たちが贔屓にしておる店の逸品じゃ。遠慮なく受け取るといい」
「これはご丁寧に。お二人に祝って頂けるとは、恐縮です」
「タマモの口に合えばようござんすが、ささ、開けてみてくんなまし」
和紙で丁寧に包まれたそれを受け取り、紅白の糸を解いてみれば、そこには予想しえなかった、いやある意味では予想通りの品が。
黄金の輝きを放つ長方形のそれを見て、ボクは思わず小首を傾げていた。
「えっと、油揚げ、ですか?」
「うむ! そのまま焼いても良いし、うどんやそばに添えても良い。妾や姉上も、これにばっかりは目が無くてのう」
なるほど、確かに油揚げは狐の好物だと言われているし、妖狐族であるボクへ贈る品としてはこれ以上の物は無いのかもしれない。
しかしまあ、油揚げ、油揚げか。
「もしや、タマモはあまり好きいせんかったでありんすか?」
「む、それは悪い事をしたのう。同族じゃからてっきりタマモも好物かと思っておったのじゃが」
「ああ、いえ、そういう訳ではないのですが」
むしろ大好物である。
うどんの甘辛いつゆが染みたお揚げなんかはいつも最後まで残してから食べているし、おでんの具に餅巾着は絶対に外せないものだと思っている。
それでもボクが思わず言葉を濁してしまったのは、つい先日調理師のレベルが上がり、新たに作成できるようになった品目の中に油揚げを使うものがあったからだ。
実にタイムリーなタイミングであるので、もしやそれが二人がここを訪れるイベントのフラグになっていたのかもしれない、なんて勘ぐってしまったのだ。
そうして、調理師の件を二人に話してみれば、カヨウさんはその瞳を爛々と輝かせ、その尻尾をいっそう忙しなく動かし始めた。
そんな彼女の様子に、クズノハさんは困り顔である。
「えっと、折角こんな良い物を頂いたのですし、宜しければ召し上がっていかれますか?」
ちなみに稲荷寿司なのですが。
そう口にした途端、カヨウさんは瞬きする間にこちらへと身を乗り出し、ボクの両手をはしと握りしめていた。
尻尾はもはや千切れんばかりに左右へ振られ、狐というよりはもはや犬のような有様である。
顔が、顔が近い。
「おお、それはよい、実によい提案じゃ! ちなみに具は人参か、椎茸か!? 紅生姜という手もあるのう!」
どうやらカヨウさんは、油揚げを使った料理の中でも稲荷寿司が好物らしい。
そんなにはしゃいだら、またクズノハさんに叱られてしまうのでは。 そう心配になって彼女の背後をちらりと見やると、クズノハさんは袖で口元を隠しながら、なにやら視線を右往左往させていた。
気のせいかその頬は僅かに赤くなり、尻尾もあっちへふらふら、こっちへふらふらと落ち着きがない。
いつもとまるで違うその様子にボクは面食らうが、そういえば関西では稲荷寿司を“信田寿司”と呼ぶことがあるのだとか。
そして、クズノハさんのモデルになっている妖狐、葛の葉狐の別名は信田妻。
その名の元は、彼女の伝説が伝わる大阪府の地名にあるのだが、やはりその辺りの繋がりでもあるのだろうか。
明らかに稲荷寿司に首ったけな彼女の様子を伺いながら、そんな事を思った。
こほん。 彼女は視線を逸らしながら咳ばらいを一つ。
「た、タマモの厚意を無碍に扱うのも失礼でありんしょうし、おまえさんさえ良ければ、ご同伴に与かるのも吝かではありんせんかと」
「見てわかるかとは思うが、姉上は妾以上に酢飯が詰まった油揚げに目がなくてのう。はしたないだの何だの気にして、いつもああしておるのだ」
そう耳打ちするカヨウさんに視線を向け、ボクは小さく声を漏らした。
わからなくはないが、いつも優雅で余裕のあるクズノハさんにこんな一面があるとは、少し意外である。
恐るべし、油揚げ。
というか耳打ちするときって、やっぱりそっちの耳にするんですね。
現実とは少し違った感覚なので、少しむず痒いものがある。
「と、とりあえず、すぐに用意しますのでしばらくお待ちくださいね」
可能であれば、この可愛らしいクズノハさんの姿をもうしばらく眺めていたいのだが、下手をして彼女の機嫌を損ねてしまっては元も子もない。
ボクは咳ばらいをして席を立つと、メインメニューを操作して職業を調理師へ変更する。
そうして、今となっては随分と着慣れてきた割烹着に袖を通すと、ボクは台所へと向かうのであった。
大阪府にあるのは正確には信太と、少し字が違います。
ところで、もの欲しそうに頬を赤らめる未亡人ってなんだか(ry




