お稲荷様と三日月猫
――太陽の街≪ヘリオス≫
地の果てまで続くヘリオポリス大砂漠の中心地点に位置する、緑豊かな都市である。
砂漠の真っ只中だというのに〝緑豊かな〟、なんて言うのはおかしいと思われるだろうが、この都市は巨大なオアシスの中に存在しているのだ。
中央にある湖の恩恵を受け、街の中には瑞々しい葉を揺らす木々が並び、湖の傍には美しい花々の姿を見る事が出来る。
「はいよ、いらっしゃい」
そんな街の一角、砂と同じ色をした煉瓦造りの通りを少し脇に逸れた場所にある、こじんまりとした酒場の扉を開けば、頭にターバンを巻いたマスターらしい男性と目が合った。
流石に真昼間である店内は閑散としており、ボクはマスターに目礼を返すと、掃除が行き届いた小奇麗な木製のカウンターに腰を掛ける。
板張りの床に煉瓦が剥き出しになった壁。梁が走る天井からはお洒落なランプがぶら下がっており、店内をぼんやりと照らしていた。
「おや、見慣れない顔だね。旅の人かい?」
「まあ、そんなものです。すみません、準備中でしたか?」
「いや、構わねえよ。時間が時間だからな、酒は出せねえが」
とりあえずコーヒーを頼んでみると、小さめのカップに淹れられた、一般的なものとは少し違ったものが出てきた。表面には小さな気泡がぷつぷつと浮かんでおり、一見ココアのようにも見える。
なるほど、これは所謂アラビアコーヒーと呼ばれるものだろう。
アラビアコーヒーとはその名の通り、中東のアラブ地方で飲まれているコーヒーの事だ。
通常のコーヒーは豆を挽いた後、その粉をフィルターを使い漉してから飲むのだが、アラビアコーヒーの場合はコーヒーの粉をそのままお湯で煮詰め、フィルターを通さずに淹れる。
勿論そのまま飲めばコーヒーの粉末が口に入ってしまうので、粉末が底に沈むのを待ち、上澄みだけをすする様に飲むのだ。
ちなみに飲み終わった後にはカップの底にどろどろとしたコーヒーの粉末が残るのだが、これを使ったコーヒー占いなるものも存在する。
さて、うんちくを披露するのもこの辺りにして、本題に入るとしよう。
あ、このコーヒー凄く美味しい。
「マスター、ボクはとある物を探してこの街にやってきたのだけれど、【仏の御石の鉢】という品に心当たりはないだろうか」
初めて味わうアラビアコーヒーに舌鼓を打ちつつそう尋ねると、マスターはその浅黒い両腕を組んでううむと唸った。
「悪いが、聞いた事が無いな。市場にいる商人たちなら、何か知っているかもしれんが」
市場といえば、今は丁度イナバさんが買い物をしている筈である。
ボクもこの辺りの名産品、民芸品には少し興味があるので、あとで向かってみる事にしよう。
「お邪魔するよ、マスター」
そんな事を考えていると、ちりんとドアに下がった鈴の音が響き、どうにも聞き覚えのある――あまり覚えていたくはなかった声が耳に届いた。
渦巻き模様の目玉にカギ尻尾、口元には三日月形につり上がった不気味な笑みを張り付けた、ボクの胸ぐらいの背丈をした二足歩行の三毛猫。
腕利きの情報屋。【TheAnotherWorld】攻略サイトの管理人。二足歩行するチェシャ猫。
そしてボクにとっては忘れようにも忘れられない事件を巻き起こした張本人――Kittv-Guvはマスターに一礼すると、何を思ったかカウンターの、よりにもよってボクの隣に腰かけた。
「マスター、いつものやつ」
手慣れた様子でマスターにそう告げる三毛のチェシャ猫。まさかまさかだが、どうやらこの店の常連らしい。
マスターもその注文に短く返事を返すと、これまた慣れた手つきでカウンターの奥から何やら取り出すと、それをマグカップに注いでKittv-Guv――ガブさんに差し出した。
「あいよ、冷えたミルクだ。しかしまあ、アンタも飽きないねえ」
マスターの口から出た言葉に、思わずコーヒーを吹き出してしまうところだった。
牛乳って。真昼間に酒場まで来て、そのアバターで牛乳って。
いや、真昼間から酒場まで来て、呑気にコーヒーをちびちびやっているボクもボクではあるのだけれど。
ともかく、彼がこの場にやってきた以上、長居は無用である。
「まあ、そう邪険にせんといてえや。前にえらい迷惑かけてもうたし、一杯ぐらいおごらせてんか」
マスターに代金を支払い、足早に店を出ようとしたところで背後から声がかけられる。
相変わらず、胡散臭い関西弁だ。
ちらりと背後を見やれば、ガブさんが不気味な目をこちらに向けて、ちびちびとミルクを飲んでいた。やはりというか、三日月形の口元に変化はない。
「いや、折角だけどお気持ちだけ頂いておくよ」
「そりゃ残念やなあ。折角【仏の御石の鉢】の情報掴んだから、教えたげよ思うてたのに」
ドアノブを掴んだ手が、その言葉にぴたりと止まった。
背後で意地の悪い――実際には表情に一ミリも変化はないのだが、不思議とそう見える――笑みを浮かべたガブさんが、自身の隣にある椅子を叩いている。
やれやれと息を吐き、鉛のように重くなった足で席へと戻った。
「ボクがそのアイテムを探していると、どこで聞いたのかな?」
「ふふん、伊達に全鯖一の情報屋って看板背負っとるんちゃうでえ。わいにかかればレアアイテムが掘れるダンジョンから、噂のお稲荷様の居場所まで全部お見通しや」
「帰る」
凄腕の情報屋だと思っていたが、ただのストーカーだったようだ。
おもむろに席を立ったボクの袖を隣の変質者が必死に掴もうとするが、残念ながらフレンド以外のアバターへの接触は出来ないように設定している。
伸ばされた肉球の付いた両手は無慈悲にも見えない壁に阻まれ、つるりと手を滑らせた変態猫は、その勢いのまま板張りの床と熱烈なハグを交わした。
ぐえ、とカエルが潰れたような声。
「そ、そういや自分、接触設定オフにしてたんやったね。ちゃうねん、タマモはんのおる場所がわかったんは、偶然街に入ってくるんが目に入ったからやねん」
エロ猫曰く、今日も今日とて街で情報収集に努めていたところ、丁度街にやってきたボクたちの姿を見つけたので後を追ってきたという。
やっぱりストーカーじゃないか。
「何言うてんねん、知り合い見つけたら挨拶しに顔だすんは基本やろ」
「なら、皆がいる時に出てくればよかったじゃないか」
「いや、わいタマモはんのパーティの面子にえらい嫌われとってなあ。せやかてタマモはんには改めて頭下げやなあかん思って、こうして菓子折り持って会いに来たっちゅう訳や」
そりゃあ嫌われもするだろう。
出会って早々セクハラをかましてくる相手に対し、好意を抱く人間はそういない。
しかも下手人が、後悔はしていない、なんて開き直っていれば尚更である。
「そら後悔はしてへんよ。でもタマモはん、あん時の反応見る限りリアルも女の人やろ? 流石に悪いことしたなあ、とは思うって」
「ネカマだと思ってたのか」
「いや、あん時はアバターの性別がわからんかったさかいにな。まあ女アバターやったとしても中身は男やろな思って手え出したんはあるけど」
やっぱりネカマだと思ってたんじゃないか。
確かに昔からMMORPGのプレイヤーは男性の比率が高く、女性のアバターを使う人も多い事は事実なのだが。
「まあ、とにかく、その【仏の御石の鉢】についての情報とやらをさっさと話してくれ」
まるで仲の良い友達のように肩を並べて座っているが、ボクは一刻も早くここを出たいのである。
こんなところを誰かに見られて、あの二人って仲直りしたんだな、なんて思われでもしたらたまったものではない。
「辛辣やなあ、もう」
「早くしないと帰るよ」
「はいはい。【仏の御石の鉢】やけど、どうやらこの国の女王様が持っとるみたいやで」
詳しく聞いてみると、どうやら市場で得た情報らしい。
その昔、とある商人が女王陛下に謁見した際に献上した品だそうだが、そんな物をあっさり譲ってくれるとは考えにくい。
十中八九、手に入れる為に何かクエストをこなす事になるだろう。
「ちなみにその女王様やけど、来訪者ですー言うて会いに行ったらあっさり会えるみたいやから、一回行ってみたらええと思うよ。街の真ん中にある、あのおっきい宮殿におるわ」
えらい別嬪さんやったわ。
そう鼻の下を伸ばすガブさんを見て、やはりこの猫は根っからの助平なのではないかと溜息を吐きつつ、ボクは改めて席を立つ。
「それだけ聞けたら充分。それじゃあ、早速その宮殿に向かってみるとするよ」
「ほんまはギャラ貰うとこなんやけど、タマモはんは特別や。またいつでも頼ったってや」
そう言って差し出されたのは、一枚の名刺だった。
情報なら猫屋へ。そんな謳い文句と、本人の名前が入っている。
どうやら生産職のプレイヤーが作った物らしいが、こんな物まで作ってしまうとは驚きだ。
「まあ、気が向いたらね」
ボクは受け取った名刺をインベントリにしまうと、今度こそ酒場を後にする。
どうにも奇妙な縁に恵まれてしまったものだが、こればっかりは人の力でどうこう出来るものでもないし、気持ちを切り替えて行く事にしよう。
「あまり無茶な事を言われなければいいのだけれど」
そんな事を一人ごちながら、ボクは街の中心部にそびえ立つ、黄金の宮殿へと向かうのであった。




