6話 悪夢から覚めて
逃げても、逃げても、
――やだよ、こんなの。まるで太った豚じゃないか!
あの声が、耳の奥でぐるぐるとこだまする。
逃げたいのに、足がもつれて上手く走れない。私の顔を笑う声が、遠く、近く、幾重にも重なって押し寄せる。
――見て、あれが殿下の婚約者ですって!
――ふふ、まさか本当に豚姫だったなんてね!
いや――やめて……お願い……!
「……っ!」
息を呑んで、私は飛び起きた。心臓がばくんばくんと胸の奥で暴れている。冷たい汗が額を伝い、背中に貼りついたナイトドレスがじっとりと湿っていた。
薄いカーテン越しに、朝の光が部屋の奥へ差し込んでいる。どこか霞がかったような視界のなかで、私はしばらく、夢と現実の境界を見失っていた。
「夢……だったのね」
ぽつりと呟いた声が、ひどく掠れていた。
けれど、その一言で、ようやく意識が現在に引き戻された。これは、エリザベートの過去。笑われた屈辱も、目の前が真っ暗になった瞬間も、あまりに鮮やかすぎて、現実と区別がつかなくなるほどにその記憶は根付いているようだ。
私は胸元を押さえて、深く息を吐いた。
「もう、いい加減にしてほしいわよ。夢にまで出てこなくても……」
呟きながらも、喉の奥にひっかかった嗚咽は隠せなかった。涙はこぼれていない。ただ、胸の奥に、つんとした痛みだけが残っている。
侮辱された日々。努力が報われなかった悔しさ。何度も何度も、否定されて、笑われて、それでも……諦めきれなかった、昔の私。
ぽっかりと空いた心の穴を埋めたくて、ひたすら食べ物を口に運び、咀嚼して胃に流し込んでいた。
あの頃の私に、言ってあげられる言葉があればよかったのに。
それでも、私はゆっくりと身を起こす。もう、あの夢に支配されているだけの私じゃない。前世の記憶を思い出し、私は変わった。今も変わろうと、もがいている。
寝台から降りると、床に触れた足の裏が軽いことに気づく。まるで地面が遠くなったかのような感覚だった。小さな達成感が胸に灯る。
「エリザベート様、朝のご支度を――失礼いたします」
ちょうどそこへ、侍女のアメリアが朝の支度の為に部屋に入ってきた。アメリアがカーテンを引くと、明るい光が部屋を満たした。
「……エリザベート様、本日のお召し物は少々、丈が……」
身支度の最中に、アメリアが申し訳なさそうな声を出した。彼女の視線の先、鏡に映る私は、先月とはまるで別人だった。
二重顎は消え、頬はわずかに引き締まり、首筋のラインがはっきりと見える。胸元を包んでいたコルセットには隙間が生まれ、ウエストラインが絞られている。元々のドレスでは布が余るようになってしまったのだ。
「……ふふ、嬉しい悲鳴ね。サイズを詰めるしかないかしら」
私は鏡の前でゆっくりと一回転した。スカートが軽やかに揺れる。動きが以前よりも軽いのが、自分でもわかる。
すでに、10キロ以上の減量に成功している。
体重の数値だけじゃない。それ以上に――健康的な生活が、私の顔を変えてくれた。
肌は滑らかさを取り戻し、かつて悩まされていたニキビも治まっている。透明感が増し、目の輝きが戻り、表情に自信が宿っていた。
「大丈夫。きちんと、確実に……私は前に進めてるわ」
呟いた声が、鏡の中の私の微笑みに重なった。
エリザベートは前世を思い出す前から努力家でした。ただ、正しい知識がないせいで空回りしてました。
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