6話 いざ尋常に、和菓子勝負!
発酵食品に舌鼓を打った夜が明けて――。
今日は、カミルとともに、サクラの案内で町人のあいだで評判だという茶屋へ向かっていた。
護衛として、相変わらず不愛想な態度のツキシマも同行している。
「貴殿が出掛ける時は護衛をつかまる。くれぐれも、殿や姫様にご迷惑を掛けないでもらいたい」
「ツキシマ! 態度を改めなさいっ。……すみません、エリザベート様」
サクラが慌てて振り返り、袖口を軽く握りしめながら頭を下げる。
「いいえ、大丈夫よ」
私は微笑みながら答えた。それでも、胸の奥が少しだけざらつく。
何故かツキシマには、初めて顔を合わせた時から敵意を向けられている気がする。視線は冷たく、言葉は棘を含んでいる。
「私が何したって言うのよ!」「貴方のその態度がサクラを困らせてるじゃない!」等と、何度か言い返したくなったけれど、彼がサクラの信頼する直属の護衛だという以上、表立って不快感を示すわけにもいかない。
だから私は、言葉と一緒に感情を飲み込んだ。
気まずくなりかけた空気を、サクラが明るい声でふわりと和ませる。
「この国の菓子を召し上がりたいのなら、城下町にとても評判の良い茶屋がございます。きっと気に入って頂けるはずです!」
微笑むサクラの言葉に耳を傾けながら、私たちは石畳の坂道をゆるやかに下っていった。
通りには朝市の名残があり、行き交う人々の笑い声、焼き団子の甘辛い匂いが風に混じる。
やがて、通りの喧騒から一歩離れた場所にその茶屋は現れた。
木製の格子戸には淡い緑の暖簾が掛かり、そこからは湯の沸くかすかな音と、焙じ茶の香ばしい香りが漂ってくる。
店員が柔らかな声で「いらっしゃいませ」と迎えてくれ、私たちは畳の小上がりに案内された。
「お茶をお持ちいたしました」
そう言い添えながら、店員は湯呑をそっと卓上へ置いた。
湯が注がれた瞬間、茶葉はふわりと浮き上がり、やがて静かに花びらのように開いていく。
立ちのぼる湯気には、若草のような瑞々しい香りと、焙じた葉の奥ゆかしい香ばしさが重なり合い、鼻先を優しくくすぐった。
そのお茶を飲んで一息ついた頃、店員はまた姿を現した。白磁の皿を三つ、目の前に並べていく。
「こちら、和菓子でございます」
皿の上に置かれていたのは、雪のように白い大福と、深い琥珀を思わせる艶やかな羊羹。
「さあ、エリザベート様、カミル様。ぜひ召し上がってみてくださいませ。どちらも、ヒノモトを代表する甘味です」
サクラの声は穏やかで、どこか誇らしげだった。
カミルがまず、大福に手を伸ばす。一口含んで、餡の甘さを堪能するように、彼は目を細めて感心したように呟いた。
「……美味しいですね。それにしても、どうしてこんなに柔らかく仕上がるのでしょう」
向かいに座る案内役のサクラが、湯気の立つ茶碗を両手で包みながら穏やかに笑う。
「もち米をよく水で洗い、乾かして粉に挽くのです。その粉を水加減や練り方で調整すれば、歯触りや弾力も変わってくるのですよ」
「なるほど……この、もちもちとした食感。私には初めての体験で、新鮮です」
感嘆するカミルの声を耳にしながら、私はそっと漆黒の羊羹に箸を入れた。
光を吸い込むように艶めく塊が、切り口から静かに崩れ落ちる。口に含めば、しっとりとした甘さが舌に絡み、余韻を残す。
「~~っ!」
ああ、そうよ。これ、これ!
久しぶりに味わうあんこの味……。
「サクラ、これは……小豆で作られているの?」
「はい。よくご存じですね。小豆をじっくりと煮て、砂糖を加え、寒天でやわらかく固めたものです」
「寒天……というのは?」
聞き慣れぬ言葉にカミルが首をかしげる。
サクラはおっとりと微笑みながら説明を添えた。
「海藻という植物から作られるものなのです。煮出した汁を凍らせて乾かすことで粉状になり、こうして菓子を固めたり、汁物を澄ませたり。けれど菓子に用いられるのは、ほんの一部ですね」
私はひと口、羊羹の残りを味わいながら小さく頷いた。
「もち米に小豆、そして寒天……これは是非、リューベンハイト王国へ持ち帰りたいわね」
そうすれば、自国でも和菓子を食べられるわ……!
「でも、そうね。今の見た目のままだと受け入れがたいかも……」
大福は真っ白だし、羊羹は真っ黒。リューベンハイト王国の人々にとっては、その見た目は異質過ぎて、はじめはお菓子と受け入れてもらえないかも。
口の中で思考が溢れ、気づけば呟いていた。
「けど、きっと工夫しだいで、もっと華やかに……人の目を惹きつけられる筈よ」
サクラが目を瞬かせ、首を傾げる。
「エリザベート様、どうかなさいましたか?」
「ええ、この和菓子をどう自国風にアレンジしようかと考えていたの。この美しい甘味を、ぜひ自国にも広めたいのよ」
「まあ、素敵ですね! それでしたら、この店のご主人に作り方を伺ってみましょうか」
サクラは嬉しそうに微笑み、早速、店主――この菓子を作った職人を呼びに行ってくれた。
その姿を見送りながら、私は胸を躍らせていた。
異国の菓子と自国の繊細な美意識――きっと融合すれば、新しい文化の香りが生まれるに違いない。
だが、その時だった。背後の席から、嘲るような鼻笑いが聞こえた。
「ふん……異国の娘がヒノモトの菓子を語るとはな。どうせ、遊び半分の戯れだろう」
声の主はツキシマだった。湯呑を傾けながら、視線をこちらに寄越すこともなく冷ややかに言い放つ。
その言葉に呼応するように、別の客が笑いを漏らした。
「へえ、異国の姉ちゃんが和菓子を作るんだって? おかしなことを言いやがる」
どうせこちらの言葉など分からないだろう。そんな侮りを隠そうともしない声音だった。
だけど、私はこの国に来る前からヒノモトの言語を学んでいたし、航海の最中もそれを続けてきた。現地での会話に耳を澄ませるうちに、今では簡単な言葉なら聞き取れるし、話すことだって出来る。
つまり、彼らの嘲りは、すべて私に届いていた。
さらに、客の笑いに便乗するように、茶屋の職人までもが口を開く。
「本当にその通りでして……。和菓子が何であるかも分からぬ異国の娘に、語れることなどあるものか。女子供が戯れに“新しい和菓子を作る!”だなんて、夢物語を並べ立てて……大人しく黙って食って帰るがいいものを」
店内の空気がぴんと張りつめ、湯気立つ茶碗の香ばしい匂いすら、どこか苦味を帯びた。サクラが困ったように目を伏せ、カミルは静かに眉をひそめた。
だが、私の心は逆に熱を帯びていく。
「まあ、勝手に決めつけないでいただける?」
私はヒノモトの言葉でそう告げた。
まさか反論されるとは思っていなかったのだろう、男たちの目が揃って大きく見開かれた。
けれど、驚いたのは一瞬だけ。すぐに彼らは鼻を鳴らし、再び傲慢な態度へと戻る。
「本当のことを言っただけだろう。和菓子のことを何も知らぬ異国の娘に、なにができるというのだ」
その声音には、嘲りと侮りが濃く滲んでいる。
胸の内で何かが、ぴたりと線を引くように冷えた。
私は視線を逸らさず、静かに言い返す。
「そんなの、やってみないと分からないじゃない」
私の言葉に、職人は眉をひそめる。けれど、挑戦的な笑みを浮かべながら、声を張った。
「ほう。そんなに自信があるなら、勝負してみるかい? どちらがより斬新な和菓子を作れるか」
その声音には、女だから、異国の者だから、と軽んじる侮りがにじんでいる。
侮り。見下し。嘲り。
――ならば、見せてやろうじゃない。
私はにっこりと微笑み返し、迷いなく答えた。
「いいわ、その挑戦を受けましょう。夢物語かどうか――その目で確かめるといいわ。そこで実際に“新しい菓子”を見せてあげるわ」
その瞬間、茶屋全体がざわついた。私を嘲った職人の顔は見る間にこわばっていた。
「なっ……! 本気か……?」
「当然よ。先に煽ってきたのはそちらでしょう? ……まさか、言葉だけの虚勢ではないわよね?」
「……ふ、ふん!望むところだ! それじゃあ、3日後。あんたが作った和菓子を持ってきな」
3日……、時間は十分とは言えない。けれど、私は怯まず頷いた。
「了解したわ。また、3日後にお会いしましょう。楽しみにしていらっしゃい」
そのやり取りを見守っていたサクラは目を丸くし、隣のカミルは愉快そうに小さく笑った。
――こうして、勝負の幕が上がったのだ。
店を出た瞬間、張りつめていた空気がようやく解け、外の風が肌を撫でた。
冷たいわけではないのに、不思議と胸の奥に残った熱がすっと鎮まっていく。
「エ、エリザベート様……勝負なんて受けてしまって本当に大丈夫なのですか……!」
隣でサクラが声を上げた。困惑と興奮が入り混じり、揺れた瞳はまばたきすら忘れている。
私は肩をすくめ、微笑んで見せた。
「言ってしまったものは仕方ないわ。撤回するつもりはないし、負ける気もないもの」
言い終えると同時に、ツキシマが小さく鼻を鳴らした。
「……無謀だ。相手はこの国で名のある職人だぞ。素人が張り合ってどうにかなる相手ではない」
口調は相変わらず刺々しい。
「殿や姫様に迷惑を掛けぬよう、言ったというのに……。」
ふう、とわざとらしいほど深い溜息までつけられ、私のこめかみがぴくりと跳ねた。
そもそも、初めに貴方が私を馬鹿にするようなことを言ったからじゃない!そんな文句が喉の奥までこみ上げたが、私はぎりぎりのところで飲み込む。代わりに皮肉をかみしめるように唇が上がった。
その様子を見ていたカミルがそこでふっと笑った。
「そうかな? 勝敗は勝負する前から決めつけるものじゃないよ」
「カミル様、心配ではないのですか?」
驚いたようにサクラが問う。
その声に、カミルはほんの少しだけ考えるように視線を上へ向けて、穏やかに微笑んだ。
「うーん。心配というより……楽しみだね。エリザベートが負ける姿なんて、どうしても想像できないんだ。だって、エリィはいつも、僕の知らない知識や発想で驚かせてくれるからね」
そこで彼は歩く速度を少し早めて、私の横に並んだ。
横顔は穏やかで、けれど瞳には好奇と期待がきらりと灯る。
「もちろん。明日も驚かせてみせるわ。楽しみにしていて」
そう言い切ったあと、私はほんの少しだけ視線をサクラへ向ける。
「それで――サクラ。ひとつお願いがあるのだけれど。厨房を貸してもらえるかしら。和菓子の試作したいの」
「もちろんです、エリザベート様! 城内の厨房なら、いつでもお使いください。今すぐにでも、準備を整えておきますね」
「有難う、サクラ」
***
城に戻ると、私はすぐに台所の一角を借り、試作に取りかかった。
必要な素材も器具も、揃えられていた。私が来るより前に手配してくれたに違いない。サクラの気遣いに感謝した。
「さて……何を作ろうかしら」
威勢よく勝負を宣言した以上、負けることなんて許されない。そう思うと、自然と背筋が伸びる。
「そうね……斬新で、なおかつ華やかさのある和菓子……」
声に出してみると、考えが形になっていく気がした。
前世では、和菓子と洋菓子の境界が曖昧になりつつあった。
求肥に果物を包んだフルーツ大福が流行していた。切った瞬間に現れる苺の断面は、まるで小さな花が咲いたように愛らしかった。
切った瞬間、宝石のような色彩が覗く、あの驚きと楽しさ。思い出すだけで胸が弾む。
「うん。あれは……美しくて、美味しかったわね」
唇が柔らかく緩む。
「そういえば、苺やキウイを使って、寒天で固めたフルーツゼリーも作ったことがあったわ……」
記憶を辿るように呟く。透明な寒天の中に果実を閉じ込めた、宝石のような菓子。
光にかざすと、鮮やかな赤や翠がゆらりと揺れ、包丁を入れるとうっとりするほど色鮮やかな断面になった。
――あれも、作り方は驚くほど単純なのに、人の視線を奪う美しさがあった。
けれど、このヒノモトには苺もキウイもない。蜜柑はあるけれど、季節外れだし……少し凡庸かしら。牛乳を使えば優しい味の牛乳寒天は作れるけれど、それでは足りない。
――もっと華やかで、目を引くものが欲しい。
思考を巡らせていたそのとき、ふと台所の窓から視線が外に流れた。
風に揺れて、はらはらと散りかけている桜の花びら。淡い紅色が空気に舞い、ひとときの幻のようにきらめいて――。
「……そうだわ!」
胸の奥で、ぱっと光が弾けた。
更新が遅れて申し訳ありません!
次回は土曜日に更新予定です。




