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5話 発酵食品Ⅱ

そして、夕暮れが城下の瓦屋根を朱に染めるころ、私たちは再び客間へと案内された。

膳の上には、色とりどりの料理が整然と並び、焼き魚の照り、煮物の艶、白く蒸し上がった米の輝き――目に映るだけで、すでに食欲を誘う夕餉の支度が整っているのがわかった。


「本日の献立は、すべて発酵食品を使ったものにいたしました」


料理頭の声に、私とカミルは目を見合わせた。

膳の上に並べられたのは、どれも控えめながら、美しい調和を放っていた。

まず目に飛び込んできたのは、具だくさんの豚汁だった。

味噌の中に野菜や蒟蒻、そして柔らかく煮込まれた豚肉がたっぷり浮かんでいる。


「わっ、身体が温まるわね」


思わずこぼれた私の言葉に、カミルが微笑んだ。


「そうだね。それにたくさんの野菜が入っていて、とても体によさそうだ……ん?」


カミルは箸で豚汁の中の蒟蒻をそっと摘まみ上げ、しばし眺めてから口元へ運ぶ。


「……これは、食べてもいいんだよね?」


不思議そうに眉をひそめ、箸先でぷるんと揺れる蒟蒻を口に運ぶ。ひと口噛むと、うんうんと頷きながらその食感と味わいを確かめていた。


「なるほど……こういう食感なのか」


カミルは小さく頷き、少し恥ずかしそうにしていた。その戸惑いと真剣さが、なんだか愛らしく感じられた。


次に箸を伸ばしたのは、銀の皿に盛られた白身魚の味噌漬けだった。

焼き網で香ばしく炙られた身は、表面が黄金色に輝き、箸を入れるとほろりと崩れる。

口に含めば、味噌の甘みと魚の脂が柔らかく混ざり合い、味の層が口の中でじんわりと重なっていくようだった。


「しっとりしているのに、ふっくらと柔らかいわ……」


「味噌だれの風味と香ばしさが絶妙だね。塩焼きとはまったく違う、これはこれで格別だ」


隣には、糠床から取り出したばかりの漬物が彩りよく並ぶ。胡瓜、白菜、菜の花――どれも瑞々しく、塩気の奥にほんのり酸味が広がる。


「この香り……使われているのは、酒かい?」


カミルが小さく呟くと、サクラは微笑んだ。


「ええ。粕漬けは、酒を造る際に残った“粕”を利用します。捨てるのではなく、旨味に変える知恵なのです」


「へぇ。糠の中で野菜を寝かせるだけで、こんなに味わい深くなるなんて……」


カミルは感心したように目を細める。


「これらは発酵食品と言うのよ。菌の働きで、体にも良いの」


そう、発酵食品の魅力は、ただ美味しいというだけではない。時間と自然の力がゆっくりと育んだ、生命の息吹をそのまま味わえることにある。

大豆や米、野菜といった身近な素材が、微生物の働きによって旨味や香りを増すのだ。味噌や粕漬けの奥深い味わいは、塩や調味料だけでは決して生み出せない。


「発酵食品は健康にもいいの。乳酸菌や酵素が生きているから、腸内環境を整え、消化吸収を助けるわ。体がすっきりするだけでなく、代謝も促されるから、ダイエットにも向くのよ」


「へえ、素晴らしい食品なんだね」


「そうなのよ。発酵食品は、食べるだけで健康を守ってくれて、体を整えてくれる。毎日の食事に少しずつ取り入れるだけで、美しさや体型にも嬉しい効果があるの」


発酵食品は、自然と人の知恵が長い年月をかけて育んだ宝物だ。

味噌、醤油、酢、みりん、酒――それらはすべて発酵の恵み。


発酵という技術はヨーロッパにも古くから存在するけれど、ヒノモトではさらに生活の深いところに根づいており、日々の食卓に欠かせないものとして愛されているらしい。

食卓のあちらこちらにその姿があり、生活の中心に寄り添うように並んでいた。

毎日の食卓にこの豊かさがあることこそ、本当の贅沢なのだと感じた。


そして、器の隣の皿から、ふわりと立ちのぼる独特の香気――それは、懐かしさと驚きの混じる、クセになる香りだった。

そう――それは、私が料理長に熱望した、“ナットウ”だった。


「……で、これが例のナットウとなんだね?」


カミルは眉間に皺を寄せながら、箸先でおそるおそる豆をすくい上げる。

小さな茶色い豆粒が無数の糸を引き、光を受けて銀糸のようにきらめきながら伸びる。

粘り気はしっとりと重く、箸を持ち上げてもまるで離れたがらないように絡みついてくる。


「糸を……引いているね」


「これが特徴なの。よく混ぜるほど美味しいのよ」


カミルは目を瞬かせたまま、ゆっくりと皿の方へ箸を戻した。

その瞬間、ぷんと独特の香りが強く漂い、眉間の皺が更に寄った。


「匂いが……少し強いね」


「ちょっと独特よね」


「そうか。……これは、その……失礼だけど……腐ってはいないよね?」


「違うわ。発酵しているのよ」


「けど、この匂いは……」


「私たちだってチーズを食べるでしょ?それと同じことよ」


「そう……だけど、これは……」


珍しく感情を隠そうとせず、露骨に眉間に皺を寄せるカミル。

彼でもここまで素直に表情を崩すのは珍しい。


「確かに、この嗅いだことのない匂いははじめは受け付けないかもしれないわ。でもね、身体にはいいそうよ? 発酵によって栄養価が高まるのだとか」


「きみがそう言うと、無理にでも試したくなるから困る」


ため息まじりに笑いながら、カミルは意を決したように納豆を口に入れ――数秒間、固まった。


「……ううん、想像どおり独特な味だね。健康にいい食べ物だとしても……悪い、けど……僕の舌には合わないようだ」


対照的に、私は箸を休めることなく、ぱくぱくと小気味よく口へと運んだ。

糸を引く粘りが舌に絡みつき、噛むほどにほろりと崩れる豆の甘みと、発酵ならではの酸味がじわりと広がっていく。


「これは……思った以上にイケるわ! 納豆って、なんて美味しいの!」


前世でも好きだった納豆。ほかほかと湯気を立てる白米に絡めれば、さらに香りが立ち上り、湧き上がる幸福感に思わず頬がゆるむ。

そうよ、これこれ。あーご飯が進むわ!


「凄いね、エリィは……」


カミルは驚きと感心を入り混じらせたように言い、柔らかに微笑んだ。

新しい文化に触れるたび、互いの反応の違いを楽しながら、笑顔に満ちた夕食の時間がゆったりと過ぎていった。


明日は、サクラは「ヒノモトのお菓子を食べたい!」という私の願いを叶えるべく、評判の茶屋へ案内してくれるらしい。

私は、まさかこの国であんな恐ろしい出来事に巻き込まれるとは露ほども知らず――

ただ無邪気に、「大福♪ 葛切り♪」と和菓子を楽しみにしていたのだ。

暫くの間、毎週土曜日に更新していきます!

よろしくおねがいします。

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