番外編 マルグリットのダイエット奮闘記Ⅶ
VIとⅦの順序を間違えて投稿してしまっていたため、再投稿いたします。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません!
エリザベートに首を横に振ったあの瞬間、自分の中で小さな覚悟が芽生えたのを感じた。
厳しいのは嫌。辛いのも、できれば避けたい。
でも――逃げ出してしまったら、あの男に「やっぱりな」と鼻で笑われるに決まっている。それだけは絶対に嫌だった。
ジャンの指導は、相変わらず容赦がなかった。
「腕が震えてるぞ。限界はまだ先だ」
「甘ったれるな、昨日より一歩進め」
そのたびに私は歯を食いしばり、心の中で何度も悪態をつく。
――なんなのよ、あの人! 口を開けば命令ばっかり! 笑顔のひとつくらい見せたっていいじゃない!
けれど、不思議だった。
厳しい言葉に反発しながらも、体を動かすたびに胸の奥が熱くなって、諦めずに続けようと思えてしまう。
過去の私なら、もうとっくに逃げ出していたはずなのに。
「くっ……見てなさいよ。絶対に、私を見返させてやるんだから!」
息を切らしながら叫んだとき、ふと視線の先でジャンの表情が揺らいだ気がした。
相変わらず無愛想で、口も悪い。だけど、その鋭い瞳の奥に、一瞬だけ――ほんの一瞬だけど、私を認めたような光が宿った気がして。
「……な、なによ。人の事、じろじろ見ないでよねっ」
顔が熱くなるのを誤魔化すように、私は強く地面を蹴って次の動きへ移った。
悔しくて、腹立たしくて、でもそのすべてが、いつの間にか「もっと頑張りたい」という想いに変わっていく。
――もしかして、これがジャンの狙い?
そう思った瞬間、胸がさらに熱くなり、喉が乾いた。
反発しながらも、気づけば私は、彼に導かれるように一歩ずつ前へ進んでいた。
「あと十回だ。腕を下げるな」
「はぁっ……はぁっ……無理……もう無理ぃ……!」
体中が悲鳴を上げ、視界はぐらぐらと揺れる。
床に崩れ落ちそうになったその瞬間。がし、と力強い手が私の腕を支えた。
「っ……!」
驚いて顔を上げると、すぐ目の前にジャンの横顔があった。
相変わらず端正で、冷たく見える表情。でも、声は低く落ち着いていた。
「……ここで倒れたら危ない。呼吸を整えろ」
言葉はぶっきらぼうなのに、手のひらから伝わる熱は不思議と優しい。
支えられていなければ、確かに私はそのまま床に倒れ込んでいただろう。
「べ、別に……助けてなんて頼んでないんだからっ」
反射的に突っぱねる。なのに、彼は眉ひとつ動かさず、ただ冷静に言った。
「助けろなんて言われなくても、放っておけないだろ」
その一言が、胸に強く刺さった。
ドクン、と心臓が跳ね、顔が熱くなる。
「な、なによそれ……紛らわしいこと言わないでよ!」
「紛らわしい? なんのことだ」
平然とした調子。
私は唇を噛み、視線を逸らす。
悔しい。憎たらしい。けれど、その奥に潜む温かさを感じてしまう自分がもっと悔しい。
「……ああ、ほんとに憎たらしいんだから……」
でもその言葉は、もはや以前ほど棘を持っていなかった。
正直に言えば――最近はもう、ジャンのことを前ほど憎たらしいとは思わなくなってきていた。
口は悪いし、デリカシーも欠片もないけれど、指導そのものは真剣で、的確で、そして私のためを思ってのことだと、なんとなく分かってきたから。
悔しいけれど……悪い人ではないのだろう。
けれど、まだ――
ただひとつ、どうしても許せないことがある。
「止まるな!一度休んだら、動きたくなくなるぞ」
「う、うぅ……っ!」
額から汗がぽたぽたと落ちる。腕も脚も鉛みたいに重くて、もう一回なんて無理――そう思った瞬間。
「エリザベート夫人だって、はじめから美しかった訳ではない」
ジャンの声が飛んできた。
「だが、あの方は諦めずに続けて、今じゃ誰よりも美しく立派に痩せてみせた。
お前も見ただろう? 努力を続ければ、必ず結果は出るんだ!」
……わかってる。わかってるの。
エリザベート様は努力の人だ。前よりもずっと輝いて見えるのは、その賜物だってことくらい、私だって理解している。尊敬もしてる。心から、あんなふうになりたいと思ってる。
「それだけではなく、困っている他の令嬢の為に食事や運動の方法を伝授して……努力家だけではなく、なんてすばらしい人なんだろう」
ええ、こんなわたしにも優してくれるし、とても素晴らしい女性だと思うわ。
だけど――比べられるのは、やっぱり辛い。
あの方と同じように頑張れって言われても、私は私で、全力なのに。
汗で濡れた髪をかき上げながら、胸の奥にちくりと刺さる痛みに、唇を噛む。
「……そんなこと言われなくても、わかってるわよ!」
声を張り上げ、強がってごまかす。
でも、頑張ろうとする自分と、追い立てられるような焦燥感が入り混じった胸の痛みは、消えてくれなかった。




