番外編 マルグリットのダイエット奮闘記Ⅵ
これまでは「体重があるうちは危険だから」とウォーキングだけをしていた。
けれど体が少し軽くなった今、いよいよ筋トレなど本格的な運動も取り入れることになったのだ。
……しかし、それは想像以上にハードだった。
足は震え、腕は悲鳴をあげ、全身が鉛のように重くなる。
「ウォーキングの方がまだ楽だった……!」と、何度も弱音を吐きそうになる。いや、実際に吐いてしまった。
「ウォーキングだけじゃダメなんですか!?」
息を切らし、床に手をついたまま情けなく声を上げる。
「筋肉をつけるためにはこのトレーニングもしたほうがいいのよ」
「そもそも、何のために筋トレって必要なんですか!?」
わたしは半泣きになりながら、必死に訴える。
するとジャンが額に汗を光らせながらも、胸を張って当然だと言わんばかりに答えた。
「当たり前なことを聞くな!筋肉をつけるために決まってるだろ!」
「うるさいわよ、ジャン!」
つい声を荒げ、睨み返す。
「私、ジャンみたいにムキムキになりたくないです~!」
「なんだとっ!」
私とジャンは睨み合い、サロンの空気がぴりぴりと張り詰める。
その間に、エリザベートがため息をつきながら手を打ち鳴らした。
「ふたりとも、落ち着いて!」
彼女の澄んだ声に、私たちははっとして口をつぐむ。
エリザベートは穏やかな笑みを浮かべ、丁寧に説明してくれた。
「いい? ウォーキングなどの有酸素運動は脂肪を燃やすのに効果的。でもね、筋トレを加えることで基礎代謝――つまり、普段から使うエネルギー量が増えるのよ」
「でも、ムキムキ……」
「女性は男性と違って、ちょっとやそっとではムキムキにはならないわ。むしろ、筋肉をつければ身体が引き締まって、メリハリのある体型になるわ」
「分かったら、さっさと筋トレしろ!」
ジャンが威勢よく号令をかける。
「むきーっ!!」
私の悲鳴がサロンに響き渡った。
結局、ジャンに急かされてスクワットを始める。
「なんであんたの言うこと聞かなきゃいけないのよ!?」と文句を言いながらも、膝を曲げ、太ももがぷるぷる震えるのを堪えながら。
鏡に映る自分の姿をちらりと見て、ますます苦しくなる。背筋を伸ばしたまま腰を落とすと、太ももが火を吹いたように熱くなり、汗が背中をつたう。
「あと16回……あと15回……」
カウントを重ねるごとに息が詰まり、視界がにじむ。
「うるさい。たった5回で止まるな。20回やるって自分で言ったんだろ」
「私は奴隷じゃないのよ!もっと優しく励ましてよ!」
「現実を突きつけられたくないなら、帰れ」
「くっ……悔しいけど、正論っぽいのがまた腹立つ!!」
隣では、相変わらず他の令嬢たちが笑っていた。彼女たちはジャンの指導に夢中で、キャーキャー言いながら筋トレしている。
「次、腹筋」
「ううう……今に見てなさいよ……!!」
そう言いながらも、私はジャンの前で仰向けになり、息を吐きながら体を起こした。
そして、ダイエットのために、食事制限と有酸素運動、そして筋トレを続ける日々。
相変わらずジャンは容赦なく厳しい。
「腹筋20回だ、手を抜くな!」
「腕が震えてるぞ! 甘ったれるな!」
デリカシーの欠片もない言葉に、何度「むきーっ!」と叫び返したかわからない。
だけど、残念なことに――彼の指導はいつだって的確で、道理にかなっている。だから言い返せない。
だけど、涙は自然と溢れてしまう。
「ジャン、デリカシーのないことばっかり言うんです~!!」
私はふるふると震えながら、紅茶を飲むエリザベートのもとに駆け寄った。
「どうしたの、また何か言われたの?」
「“お、食事制限の効果が出たようだな。腹まわりマシになったか”ですって!信じられます!? 乙女に向かってあんな……っ、あんなこと……!」
エリザベートは一瞬、苦笑をこらえるように唇を引き結び、次の瞬間、ふうと溜息をついた。
「……うん、それは確かにアウトね。ジャンってば、またやったのね」
「やったの“また”なんですか!? じゃあ前科が……!」
「前科というより、常習犯よ……。あの人、悪い人ではないんだけど、馬鹿正直というか、……」
エリザベートは優しくマルグリットの肩を叩いた。
「ごめんなさい、マルグリット。あの人、悪気はないの。でもあなたの気持ちを傷つけたのは確かだわ。わたしからも謝らせて」
「うぅ……エリザベート様は優しい……ジャンと違って……!」
エリザベートは首を振った。
「いいえ、私のミスだもの。ジャンがいればマルグリットに張りあいが出ると思って、指導を頼んだけど……。これじゃ逆効果ね。ごめんなさい」
ええ、ジャンに指導を頼んだのは私の為だったの!?
知らなかった……。私を思っての配慮だったなんて。
「他の令嬢には上手くアドバイス出来てるようなんだけど……」
そう、ジャンは私だけでなく、他の令嬢たちも指導している。
無理はさせない。けれど甘やかしもしない。言葉は短く、態度は真っ直ぐ。
ただ、他の令嬢にフォームを直すときは、嘘のように優しげで丁寧な口調になる。
そのたびに令嬢たちは頬を赤く染め、嬉しそうに笑うのだ。
……あれでいて、案外面倒見がいいのね。
「辛いようなら、彼の指導を外す?」というエリザベートの申し出に、私は首を横に振った。
「……いえ、もう少し頑張ってみます」
そう、他の令嬢と私への態度の違いに、正直いらっとすることもあるけれど……。
だけど、考えてみれば――。
ジャンが私に厳しいのは、すぐにサボろうとする私の性格を知っているから。
そんな甘ったれな私を見捨てずに、指導してくれてるってことでもあるんだよね。
ちゃんと結果を出せるようにと考えてくれてるんだ。
「……憎たらしいけど、憎めないんだから」




