番外編 マルグリットのダイエット奮闘記Ⅳ
心に怒りを燃料として運動に打ち込んだ翌日――
目を覚ました瞬間、全身が悲鳴を上げた。
腕を動かすたびに肩がぎしぎしと軋み、布団から起き上がろうとした瞬間には、腰から太ももにかけて悲鳴が走った。
「……っ、なにこれ……」
まるで重石を背負わされたみたいに、体が重い。寝返りひとつ打つのも苦労するほどだった。
昨日の自分がどれほど無茶をしたのか、体が正直に訴えてくる。
鏡の前でストレッチをしてみたけれど、体を伸ばすたびに呻き声が漏れる。間違いなく、昨日のウォーキングのせいだ。
流石にその日は休んだ。本当なら翌日も布団にくるまっていたかったけど、ぎしぎしと軋む体を引きずって、私はサロンへ向かった。
あのジャンとかいう最悪な男に「甘ったれた顔」と言われた事が忘れられなかったから。
その悔しさだけで、私は今日もこの地獄へと足を運んだ。
「はぁ……運動って、なんであんなに辛いの……痩せたいだけなのに……」
弱音を漏らす私を、エリザベート様が励ましてくれる。
「でも昨日より、顔が引き締まってる気がするわよ。頑張りましょう、マルグリット!」
「そ、そうですか……!?ふふっ、じゃあもう少しだけ、頑張ってみようかな……」
早くもダイエットの効果が!?
そんな風に少し気分を上げていた、そのときだった。
「おはよう。今日は一緒に歩いていこう!」
聞き覚えのある低い声。思わず振り返る。
「――えっ」
白いシャツに黒のベスト、無駄のない動き。整った顔立ちに無愛想な瞳。
そして、あの耳に刺さる毒舌ボイス。
「ジャン?!……様。なんで、あんたがここにいるのよ!!」
叫ぶように問いただす私に、エリザベート様がにこやかに歩み寄る。
「マルグリット、驚いたかしら?実はね、ジャン様には運動の臨時講師をお願いしたのよ」
「依頼されたから来ただけだ。週に一、二回、短時間だけ指導する」
「い、い、いやよ!絶対にいやです!!なんであんな口の悪い男と一緒に運動しなきゃいけないのよ!?心が削れるじゃないですか!!」
私は全力で抗議したが、周囲の令嬢たちはというと……
「わあ……かっこいい……」
「お姉さま、今日来てよかったわね……」
「ジャン様って、あの騎士団の隊長よね。お近づきになりたいわ……」
きらきらした目でジャンを見つめ、明らかにやる気が上がっているご様子。
「……なんで、みんなあんなに喜んでるの……顔だけで人を見るなって言いたい……」
私の声なんて、誰ひとり耳を傾けていない。
「じゃあまず、ウォーキング10周から。その後、筋トレの指導を行う」
唖然としてる私をよそに、ジャンの淡々とした号令が、サロンに響いた。
「聞いてないし!!ちょっと待って、私、今日もう足動かないの!!」
「動かせ。あと5秒以内に構えろ。ずっと言い訳ばかりしていると、デブのままだぞ!!」
「デ、デブ……ッ!?デブですって!???」
間違っても令嬢に言っていい言葉じゃないでしょう!!!
私の悲鳴がサロンの天井を震わせた。
それでも結局、私は歩き出す。
「なんであんたの言うこと聞かなきゃいけないのよ!?」と文句を垂れ流しながら、足を前に運ぶ。膝が悲鳴をあげ、太ももがぷるぷると震えても、背後の視線が逃げ場を許さない。
「ほら、てきぱき走れ!」
「は、はあ~!?!?もう限界なんですけど……!!」
息も絶え絶え、膝は笑い、視界の端には星がちらついている。これ以上動けば、きっと私は転がって死ぬ――!
「うるさい。それだけ口が回るならあと10周追加しても大丈夫そうだな」
「じゅ、10周!?!?さっき、あと3周って言ったでしょ!?計算できないの!?脳筋だから!?!」
「……口答えの分、罰則が加算されるルールだ」
「誰が決めたルールよおおお!!絶対いま作ったでしょ!!!」
足を踏み鳴らしながら抗議しても、ジャンの無表情は揺るがない。
むしろその冷たい瞳に射抜かれるたび、私が子供みたいに駄々をこねているように感じられて、余計に腹が立つ。
隣では、他の令嬢たちが笑っていた。
キャーキャーと黄色い声を上げながら、楽しそうに筋トレを続けている。
くそ……こんな男、顔面だけなのに……きゃーきゃー言われちゃって、いい気にならないでよね!
「おい、動け。そこで止まるなら――本当にデブのままだぞ」
「っ……!!!」
「エリザベート夫人は己を律して鍛錬を続けていたぞ」
額から滴る汗が目に入り、視界が霞んだ。けれど止まれない。あの男に「本当にデブのままだぞ」なんて言われたまま、引き下がれるわけがない。
「努力を積み重ねたからこそ、エリザベート夫人の姿はお美しいんだ。お前もやり遂げろ!」
「はぁっ……はぁっ……っく、そ……、5周でも10周でも100周でも、やってやろうじゃない!!」
ジャンのいう事はもっともである。エリザベート様も努力をなされたんだろう。
あの華やかさは、生まれ持った容姿だけではなく、血のにじむような鍛錬の果てに掴み取ったものに違いない。
気づけば、意地と怒りで足を前に突き出していた。
ぎしぎしと音を立てる身体を引きずりながら、それでも前を向く。
「そうだ!その調子だ!」
その声援に、ふと顔を上げると、ジャンがこちらを見ていた。
ジャンの無表情が、ほんのわずか――わずかに、緩んだ気がした。
気のせいかもしれない。だけど、確かに胸の奥が跳ねた。
ぐっと、心臓を鷲づかみにされたみたいに。
……な、なに今の。褒められたみたいで……きゅんとした、ですって……!?
頭に血がのぼる。いや、違う。違うに決まってる。あんなノンデリ男に心を動かされるなんて、絶対にありえない!
歯を食いしばり、わたしはただひたすらに足を動かす。
重たい脚を引きずってでも、前へ。
こんな男に、負けてたまるもんですか――!
荒い呼吸を刻むたび、心臓はますます騒がしく跳ねていた。
昨夜、短編2作を掲載しました。
『 婚約者に冷たくされても一途に思う令嬢は、ついに限界を迎えました。失って後悔しても、愛は戻りません。』
『婚約破棄は断捨離から ~愛のない贈り物も、裏切った婚約者も親友も、もう要りません~』
もしご興味を持っていただけましたら、読んでいただけると嬉しいです!




