番外編 マルグリットのダイエット奮闘記
または別名 ~頑張れジャン!デリカシーとは何かと学べ~
私――マルグリット・デュランは、美味しいケーキと可愛い服をこよなく愛する、世界一かわいい男爵令嬢。
焼きたてのマドレーヌにふわふわのシフォンケーキ、苺をたっぷりあしらったミルフィーユ。我が家のシェフが作るスイーツは、どれも魔法のように甘くて幸せな気分にしてくれる。
それから、甘味に並んで私を夢中にさせる可愛いお洋服。
ふんわりと膨らんだパフスリーブのドレスに、ピンクのレースをあしらった帽子、リボンのついた大きな靴。
鏡の中の自分は、いつだって「可愛い」で溢れていた。鏡のなかに映るのはお姫様みたいな自分。
甘いものに囲まれて、着飾って楽しむのが、わたしの日常だった。
「マルグリットは、世界一可愛い娘だよ」
「私達の可愛いお姫様」
家族も、屋敷の使用人も、いつもそう言ってくれた。だから、疑いもしなかったのだ。
私は“世界一可愛い女の子”で、”可愛いお姫様”でこのままの自分でいいのだと。
……そう思っていた。ほんの、数日前までは。
その日、私は友人たちとティーサロンでお茶をしていた。大理石の床に陽光が反射し、白いカーテンの向こうから優しい風がそよぐ午後。紅茶の湯気の中、私は大好きな苺のショートケーキにフォークを入れながら、他愛もない会話を楽しんでいた。
「ほんと、マルグリットは美味しそうに食べるわね~」
「ショートケーキ、大好きだからね!苺がたっぷり乗ってて可愛いわよね。お姫様みたいな私にぴったりでしょ?
……あ、でもちょっとドレスがきつくなってきちゃって。そろそろ控えなきゃ、って思ってるの」
「大丈夫よ、今のドレスもすごく似合ってるわ。マルグリットは、そのままのマルグリットで十分可愛いもの」
友人の言葉に頬を染め、私は幸せを噛みしめていた。大切なお友達と、一緒にお菓子を楽しむ幸福を。
けれど、トイレに立った際、たまたま戻りかけた廊下で、部屋の中の会話が耳に入った。
「……マルグリットって、いつまであの体型で『可愛い』って思ってるのかしら」
「ほーんと。おデブなのにピンクのドレスを着てたら、まるで豚みたいなのにね。私だったら恥ずかしくて鏡見られないわ。ドレスが可哀想よ」
「でも本人は気づいてないみたい。ほんと見てて面白いわよね、あの子」
笑い声が、紅茶の香りの向こうから、鋭く刺さってきた。
その場に立ち尽くし、私は動けなかった。心臓の音が耳の奥で大きく鳴る。まさか、仲良しだと思っていた友人たちが……。
それだけでは、終わらなかった。
友人たちの嘲笑に胸を抉られた数日後、私はさらに残酷な真実を突きつけられることになる。
煌びやかなシャンデリアが輝く夜会の大広間。
音楽と笑い声に包まれ、華やかなドレスと香水の匂いが渦を巻く空間の片隅で、私は偶然耳にしてしまったのだ。
私の婚約者が、友人たちと交わす会話を。
「本当はさ、あんなデブ……婚約者なんて呼ぶのも嫌なんだよな」
軽い調子で笑いながら、彼はワイングラスを傾ける。
私の名を口にしながら、唇には愛情どころか侮蔑の色しか浮かんでいなかった。
「あの家は金があるから仕方なく付き合ってるだけだ。支度金さえ受け取ったら、別館にでも押し込めておくさ」
「まあ、酷いこと言うわね。可哀そう、マルグリット~」
「いやいや、可哀そうなのは、あんな嫁をもらう俺のほうだろ?」
「ふふっ、確かに……マルグリット嬢が隣にいたら、ちょっと目立つわよね」
笑い声が夜会の喧噪に混じり、シャンデリアの光がきらめくたびに、胸の奥がずたずたに裂けていくようだった。
心臓が凍りつき、足元の床が遠くに沈んでいく。
「なんで……」
どうして。
お姫様みたいで可愛いって言ってくれたのに。愛してるって贈り物をしてくれてたじゃない。
「……全て嘘だったの?」
声にならない呟きが唇から漏れ、私は扇を握る手を震わせた。
素敵だと思っていた婚約者の顔が、今となっては醜悪な仮面にしか見えなかった。
その夜、寝室の鏡の前に立ち尽くす。
ふわふわに広がるドレス。甘い香油をまとう髪。きらきらと光を反射するビジュー。
それらはどれも素敵で、身に纏えば私は世界一可愛いはずだった。
「みんな、可愛いって言ってくれてたじゃない……」
けれど今、嘲笑と侮蔑の言葉を思い出しながら見直すと、まるで別人のようにその姿が滑稽に思えた。
ドレスは胸元も腰回りも布地が張りつめ、縫い目が悲鳴を上げているようだ。
裾から覗く足は、華奢な令嬢のものではなく、白くて太い大根のよう。
ふっくらした頬も、紅を差した唇も、もはや「可愛い」ではなく「幼くて丸い」にすぎなかった。
本当に、あの子たちの言う通りなのかもしれない……。
お姫様なんて程遠い、みっともない姿なのかもしれない……。
胸がぎゅっと締め付けられ、吐き気に似た重さが喉に込み上げた。
信じて疑わなかった「可愛い私」という幻想が、音を立てて砕けていく。
「ああ……言われても、仕方なかったのかも……」
ぽつりと零れたその言葉が、鏡に跳ね返り、鋭く私の心を突き刺した。
ひとすじ、涙が頬を伝った。
必死に指先でぬぐっても、止めどなく溢れてくる。
胸の奥に積み重なっていた幸せな想い出が、砂の城のように崩れていった。
その虚しさの底で――かすかな熱が生まれた。
自分への情けなさ。人に笑われる惨めさ。そして、裏切られた事への、どうしようもない悲しみ。
胸の奥に灯ったその火は、涙に濡れてなお消えず、むしろ強く燃え広がっていく。
「このままで、いいの?わたし……」
込み上げる熱は、悲しみを押し流し、怒りに変わっていった。
涙に曇った鏡の中、ぎゅっと結ばれた私の唇が、わずかに震えている。
「……ううん、わたし、みんなを見返したい!変わりたい!」
思わず口からこぼれたその言葉が、鏡の中の自分の目を、ほんの少しだけ鋭くした。
――数日後。
わたしはある噂を頼りに、あるサロンの前にいた。
馬車を下りて、掲げられた看板を見上げる。
《ラ・ベル・レジスタンス》
美しき抵抗――
その名は、今の私にぴったりだった。
私の革命は今日から始まるのだ。
サロンに訪れる新たなお客様の物語になります。
文字数は約2万字を予定しており、2~3日に1度の更新を目指します!
エリザベートとはまた一味違った女の子が登場しますので、読んでいただけると嬉しいです。
ジャンも登場予定です。
また連載中の『追放聖女の異世界ライフ!~ちっちゃくてかわいい精霊たちと冒険を満喫するので、追放した国には帰りません!~』もよろしくお願いします。




