番外編 もう一人の悪役令嬢Ⅱ
ブリジットは、ほんの少しずつ――けれど確実に変わり始めていた。
頬の輪郭がわずかに引き締まり、歩き方に弾みが出てきた。笑顔の中に、どこか誇らしげな色が混じるようになってきたのは、ここ数日のこと。
「エリザベート様、見てください!このドレス、前はきつくて入らなかったのに、今日はすっと着られたんです!」
明るく弾んだ声。ブリジットは、サロンの鏡の前でくるりと回ってみせる。淡いピンクのワンピースが、彼女の頬の紅潮と相まって、可愛らしく見えた。
「すごいじゃない。頑張った成果ね」
「はい……!わたし、もっと頑張ります。フレディ様に……褒めてもらえるかな……」
嬉しそうに笑う彼女を見て、私も唇を弛ませた。
その翌日だった。
リリィがふと口にした噂話が、私の胸にひどく重くのしかかったのは。休憩時間、一緒にお茶を飲んでいると、悩まし気な顔をしたリリィに相談されたのだ。
「エリザベート様……。王都のパーティーで、フレディ様がブリジット様ではない令嬢と二人きりでいた、という噂が出回っているようでして……。しかも、お相手はスリムで、とても華やかな方だったとか……」
「……そう、なの?」
「はい。フレディ様は女性に優しいので、誤解を招く態度も多いようで……。私、ブリジット様の努力をずっと見てきたから……もし、なにか力になれる事があるなら……」
「そうね……」
曖昧に頷きながらも、私の心はざわついていた。
その日の午後、ブリジットはサロンの隅のソファで小さくなっていた。背を丸め、うつむいたまま、指先をぎゅっと握りしめている。いつもは明るい声で話しかけてくる彼女が、今日は一言も発さない。
「……聞いちゃいました、噂……フレディ様が、別の令嬢とご一緒だったって……。私と違って、細くて綺麗な方だったって」
「ブリジット……」
「わたし、勘違いしてたのかな。わたしでも、フレディ様に相応しい女性になれるかもしれないって……信じてたけど、もしかして、それって……意味のない努力なのかなって……」
その声音に滲んだ寂しさが、私の胸を刺した。
そう、私は知っていた。
フレディ・フェルスターは攻略キャラだった。
表婚約者がいる身でありながら、誰にでも笑顔を向け、優しい言葉をかけ、時に過剰なほど距離が近かった。表面は紳士的だが、どのルートでもどこか軽薄さをにじませる男だった。
そんな男のために、こんなにも健気に、一途に、頑張っているブリジット。
「ねぇ、ブリジット」
彼女の横に座り、目を見つめた。
「あなたは、もう十分すぎるほど素敵よ。優しくて、努力家で、笑顔がとびきり可愛い女の子よ」
私の言葉に、ブリジットはしばらく黙っていた。けれどやがて、力弱く首を横に振った。
「ごめんなさい。……それでも、わたし、フレディ様に褒めてほしいんです。振り向いてほしいんです……」
「ブリジット……」
喉まで出かけた言葉を、私は飲み込んだ。
それが彼女の心に届くとは、とても思えなかったから。
それからも、ブリジットは順調に痩せていった。
「……ブリジット、ちょっといいかしら?」
いいえ、彼女の減量は、当初の予定より遥かに上回っていた。そして、彼女の足取りは重く、吐く息は浅くて早い。肌はくすみ、唇の血色もない。おそらく彼女は、言いつけを破って、無理な食事制限を始めていた。
私は、そっと声をかけた。
「あなた……もしかして、食事を抜いてるんじゃない?」
一瞬、彼女の肩がびくりと跳ねた。
だが次の瞬間には、にっこりと笑っていた。
「いえ、大丈夫です。……ちゃんと食べてますから」
その笑みが、あまりにも不自然だった。張りついたような微笑み。目元は笑っておらず、生気が感じられない。
「ブリジット……!あれほど絶食は駄目だって……」
「ほんとうに、ちゃんと食べてます」
問い詰めるような私の声に、彼女はかぶりを振って否定した。
その動きも、どこかぎこちない。
「わたし、平気です。わたし、本当に大丈夫なんです。大げさに言わないでください……。わたしは、わたしなりにがんばってるんです」
そう言って会話を拒むように、体の向きを変えた。
その背中には、あのふわふわとした愛らしさはもうなく、ただ焦燥と不安だけがこびりついていた。
どうしてそこまで自分を追い込むの――言葉に出しかけて、私は口をつぐんだ。殿下に振り向いてもらうために必死だった、かつての自分を思い出したから。きっと、今の彼女にはなにを言っても届かない。けれど、それでも――
ねえ、ブリジット。貴方の婚約者はそこまで頑張る必要のある男なの?
明日はフレディ本人が登場します。12:10更新予定!
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