29話 新しい未来へ
控えの間に満ちるのは、静かな緊張感。
鏡の前に立つ私の姿は、いつもとは違っていた。
波のようにゆるやかに広がる純白のドレスは、上質なシルクシフォンを幾重にも重ねて仕立てたもの。胸元には繊細な刺繍があしらわれ、浮かび上がる美しい薔薇が華やかさを添えていた。その上に縫い込まれた極小のパールが、光を受けてほのかに煌めいている。
鏡の奥にいたのは、ひとりの新婦だった。
「……お嬢様……」
背後から聞こえた、かすれた声。
振り返ると、アメリアが両手で口元を覆い、目に涙をためて立っていた。先程まで泣いていたせいで、その頬は涙で濡れていた。
「……ひぐ。……ウェディング姿……お綺麗ですぅ……!」
声を震わせながら、アメリアがそっと一歩、私に近づいてくる。
「本当に、お綺麗ですっ……お嬢様が、結婚される日が来るなんてぇ……ぅぇ……」
濡れた跡を拭おうともせず、ぽろぽろと涙を流すアメリア。緊張していたはずなのに、思わず笑ってしまった。
「ありがとう、アメリア。でも、今生の別れじゃあるまいし、そんなに泣かなくてもいいのよ?」
「で、ですがぁ……」
「これからもあなたは私の侍女よ。ずっとそばにいてもらうんだから」
顔をくしゃくしゃにして泣きながら、アメリアは小さく頭を下げた。
係の者に促され、私はそっと腰を上げる。深く一度息を吸い込むと、扉が静かに開かれた。
眩い光が差し込むその先――聖堂へと、私は歩みを進めた。
永遠に続くかのような白い大理石の回廊を、私はゆっくりと歩く。
聖堂のステンドグラスから降り注ぐ光は、まるで天上からの祝福のように頭上を明るく照らしている。
――今日という日が、本当に現実だなんて、まだ信じられなかった。
静まり返った聖堂の奥。陽光に満ちた壇上に、彼が立っていた。私を見つめ、微笑むカミル。いつもより少し緊張した面持ちで、それでもまっすぐに私を見つめている。
その瞳に映る私が、恥ずかしいくらい幸せそうだと気づいて、顔が熱くなる。
彼がそっと差し出した手を、私はそっと、けれど確かな力で取る。カミルは小さく息を呑み、それから震える声で告げる。
「……君と結婚できるなんて、まるで夢みたいだ」
その言葉に、私はふっと笑ってしまった。そう言うのは彼だけれど――本当は、私のほうこそ、そう思っていたのだ。
「それは、こっちの台詞よ」
夢のよう。
この景色も、彼の声も、手の温もりも。
太って醜い“悪役令嬢”として転生したのに、こうして貴方の隣に立っていることが、信じられない。ヒロインの引き立て役、嫌われ者、そして最後は追放される運命だった筈なのにーー
祝福の中で、誰よりも愛され、人生の誓いを交わそうとしている。
「こんなふうに、心から愛し合える人に巡り会えるなんて、思ってもみなかったわ」
互いの視線が重なり合う。カミルが微笑んで、私の唇も緩やかに綻んだ。
神官の静かな声が、荘厳な空間に響いた。
「汝ら、病めるときも健やかなるときも、互いを愛し、敬い、共に生きることを誓いますか」
カミルは笑みをたたえながら、はっきりと答えた。
「誓います。どんな時でも、僕はエリザベートを愛します」
私もまっすぐに彼を見つめ、答えた。
「私もあなたを愛します。これまでも、これからも、ずっと――」
そして、彼の手が私の頬にそっと触れた。
私はそっと、目を閉じる。唇に触れたぬくもりは、やさしく、あたたかく、すべてを包み込むようだった。
誓いの口づけの瞬間、列席者たちの拍手が一斉に湧き起こり、聖堂の鐘が高らかに鳴り響く。まるで私たちの門出を祝ってくれているかのように。
鐘の音が鳴り止んでも、胸の高鳴りはまだ静まらなかった。
カミルと腕を組み、大理石の階段を降りてゆくと、聖堂の扉の外には陽光に満ちた庭園が広がっていた。
そこには、白と緑の花で彩られたアーチが立ち、歓声と拍手の中に、ひときわ明るい笑顔を浮かべた少女の姿があった。
「お姉様っ!!」
――リリィだ。
頬を紅潮させ、小柄な身体を弾ませて駆け寄ってくるその姿は、まるで春そのもの。両手を広げるようにして、はじけるような笑顔で私の前に飛び込んできた。
「本当に、おめでとうございますっ!」
瞳を輝かせながら、リリィは私の両手をぎゅっと握る。
「お姉様の花嫁姿、とっても綺麗でした。まるでおとぎ話のお姫様みたいで……今日のお姉様は、本当に誰よりも素敵です」
その言葉に、胸がきゅうっと締めつけられる。
幼い頃に夢見た“お姫様”。
とうに捨てたはずだった夢が……まさか、叶う日が来るなんて。
「結婚、おめでとう!」
低く穏やかな声。いつの間にかジャンが、傍らに立っていた。
「ジャン様も、お祝いに来てくださったのですね」
「君が最愛の人と出会い、最良の日を迎えることを心から嬉しく思うよ……王妃になった君の護衛ができないのは、正直残念だが」
どこか未練の影を滲ませつつ、口元には微かな苦笑を浮かべる。
「まあ、結婚したばかりの花嫁の前で、以前の婚約話を持ち出すなんて……マナー違反ではなくて?」
からかうように返すと、ジャン様はわずかに眉を下げ、気まずそうに肩を揺らした。
「すまない。ただ……エリザベート嬢なら素晴らしい王妃になっていただろうと思うと、つい口が滑ってしまった」
殿下が廃嫡されるという噂は私の耳にも入っている。
本来のゲームのエンディングでは、ルチアと殿下が手を取り合い、国中から祝福を受けていたはずなのに。
筋書きが変わったのは、悪役令嬢である私が断罪されなかったからだろう。
ある意味、私のせいだと言えるのだが、同情する気には少しもなれなかった。殿下の側近であるユリウスも出世コースを外れるでしょうけど……正直、いい気味。
ジャンは少し肩を揺らし、冗談めかして言葉を続ける。
「だが、そもそも君には私の護衛など必要なかったな。エリザベート嬢には、見事な筋肉がある。己の身くらい、自分で守れるだろう!」
相変わらずの筋肉至上主義に思わず笑いがこぼれる。
すると、今度は隣にいたカミルへと視線を移し、冗談混じりに言葉を投げかけた。
「カミル殿も、もっと鍛えた方がいい。細腕では、エリザベートに置いていかれるぞ」
からかうような口調だったが、そこには親しみの色があった。カミルは苦笑しながら、そっと私の手を取る。
「運動はあまり得意ではありませんが……これからは、彼女と一緒に励んでいこうと思っています」
照れ隠しに少し早口になったその声に、私も思わず頬を緩める。彼が私の顔を見て微笑むと、その表情は柔らかく、優しかった。
「なんだ惚気か、ははは!」
ジャン様が声をあげて笑い、カミルが肩をすくめる。それを見て、リリィもくすくすと笑った。
笑い声が、祝宴のざわめきに溶けていく。
このかけがえのないひとときが、どうか永遠に続きますように――
私はそっと目を伏せ、胸の奥で静かに祈った。
カミルが私の指をそっと握り直す。
「エリザベート、行こう。君が描く未来を、僕も共に歩きたい」
低く囁かれた言葉に、心臓が高鳴り、歓喜の鼓動が頬まで染める。私は小さくうないた。
アーチの向こうでは、家族も友人も、そしてかつて私を蔑んだ者たちでさえ、新しい時代の門出を見つめている。
私は彼の手をぎゅっと握り返し、花びらの舞うアーチをくぐる。
誰にもまだ綴られていない頁へと、肩を並べて踏み出す――
新しい未来へ――
完結しました!ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました!誤字脱字報告してくださった方々もありがとうございました。
本編は終わりますが、お話はもう少し続きます。健康とダイエットのテーマからも欠かせないエピソードになる予定なので、もし宜しければ、番外編も読んでくださいね。
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長編を書くのは今回が初めてだったのですが、こんなにも大変なものなんですね。詳しい後書きは活動報告に載せるので、興味がある方はそちらをお読みください。
とにかく、エタらず終らせる事が出来て良かった!
今後ですが、長編を書きながら、時々短編も公開できればいいなと思っています。今週中に次回の長編候補を掲載出来たらな〜。
これからもよろしくお願いします!




