表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

33/62

28話 生涯を共に

午後の陽射しが、西の空に向かって傾き始めたころだった。

サロンの窓辺には透き通るようなレースのカーテンが風にたゆたう。その向こうに広がる庭園では、ミントとラベンダーの香りが微かに混ざり、空気の層にさざ波のような静けさを運んでいた。


この場所はいつも、昼間は賑やかだ。美容に興味のある貴婦人たちの話し声、香水瓶を開ける小さな音、筆先がパレットを滑る音。けれど今日は、まるで世界そのものが息をひそめているかのように、静まり返っていた。


「……誰もいないなんて、めずらしいわね」


私の声も、どこか囁くように小さくなった。そっとカップをソーサーに戻すと、揺れる紅茶の水面に、向かいに座るカミルの横顔が淡く映った。


「たまには、こんな日もいいでしょう。忙しく動き回ってばかりじゃ、疲れてしまうよ」

 

彼は静かに答えた。やわらかい声音に、何か決意のような響きが混ざっていた。


「それに、今日は……」


カミルはゆっくりと立ち上がり、テーブル越しに手を伸ばして、カーテンの片端を引き寄せた。

透き通るレースがわずかに閉じられると、サロンは一瞬にして秘密の温室のように変わった。外界と断絶された、香りと温もりに満ちた柔らかな空間。


「君に、伝えたいことがあるんだ」


その言葉と同時に、彼は私の目の前に、静かに跪いた。


空気がざわめいた。

いや、私の鼓動の音だけが異様に大きくなって、耳の奥で反響しているだけだったのかもしれない。


「……カミル?」


指が震える。ティーカップの取っ手に触れていた手を、そっと膝の上に戻す。

目の前の彼の瞳には、私のすべてが映っていた。過去も、努力も、挫折も、孤独も。

それでも、その目は、まるで宝石のように澄んでいた。


「君が、エリザベートが、ここまで歩いてきた道を……僕はずっと見ていた」


彼の声は低く、けれどひとつひとつの言葉が重みを持って胸に落ちてくる。


「君は、たくさん傷ついてきたね。外見も、立場も、誤解された言動も。だけど君は、それを力に変えてここまで来た」


私は、言葉を失っていた。

夕暮れの光が、サロンをゆっくりと金色に染めていく。


「僕は医師として、ただ傍にいた。でも、もうそれだけでは足りない。君と歩きたい。君の隣に立ちたい。……エリザベート。君と、生涯を共にしたい」


その手に握られた小さな箱が、そっと開かれる。

銀の指輪。中心に埋め込まれたエメラルドが、午後の陽を受けて水面のように輝いた。


「僕と結婚してほしい」


しん、と世界が静まり返る。心臓の鼓動だけが、やけに耳につく。


「……私なんかで、……いいの?」


「“なんか”じゃない。強さも、弱さも持っている君だからこそ、僕は惹かれたんだよ」


彼の言葉に、胸の奥がじんと熱を帯びる。

過去の私――肥り、醜く、陰で笑われ続けてきた私。否定の言葉に傷つき、誰にも“選ばれる”ことなどないと諦めていた。


でも――こんなにも真っ直ぐに、ありのままの私を肯定してくれる人がいるのなら。


「……いいの?私、頑固なところもあるし、我儘なのよ……」


「君の可愛い我儘なら、いくらでも聞いていたい」


その言葉が、心の一番奥に染み込んでいく。


「……はい。私でよければ、喜んで」


涙がこぼれそうになるのを、指先でそっと拭った。

けれど、それは悲しみでも、後悔でもない。どこまでも透明で、未来へと続いていく、幸せの涙だった。


彼が私の左手に指輪をはめる。ぴたりと吸い付くように馴染んだそれに、そっと触れながら私は微笑んだ。

明日は19時10分に更新予定!残すはルチア視点の話と後日談になります。

面白いと思っていただけたら、☆マークから評価・お気に入り登録をしていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ざまぁ要素は軽めだったけど、過去を引きずらない彼女らしさとも取れる 面白かった
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ