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26話 夜会に舞う、美の革命Ⅲ

「私はこの舞台からは、降りさせてもらうわ。そして、私は私の物語を生きるの」


その言葉を口にした瞬間、胸の奥に長く巣食っていた何かが、音もなくほどけていくのを感じた。自分を縛っていた虚栄と期待、恐れと劣等感。それらが静かに崩れ落ちていき、自由になったのを感じた。


そのとき、背後から柔らかな声が届いた。


「エリザベート」


振り返れば、カミルが立っていた

淡い緑色の瞳に、憂いと誠実さを湛えて、私を見守っている。誰よりも私の変化を認め、支えてくれた人。彼の隣に立つと、自然と心が安らぐのを感じた。どこか誇らしげに私を迎える彼。


「……今夜、踊ってくれる約束。まだ覚えていてくれるかい?」


「もちろん。待たせちゃったわね」


彼の差し出した手を、今度こそ取った。

私の手に自分の掌に重ねながら、カミルが微笑む。


「もう、永遠に待つつもりでしたよ」


「ふふ、それは困るわね」


軽やかな笑みを交わしながら、私たちは舞踏会の中央へと進んでいく。

ヴァイオリンの音が、空気に溶けるように広がる。優雅な旋律が流れ始め、彼の手が私の腰を優しく支える。カミルの瞳が私のものと重なる。


視界の端で、ルチアが唇を噛んでいるのが見えた。王子はただ黙ったまま、言葉も出ない様子で立ち尽くしていた。

貴族たちの視線が私に集中する。ざわめきもない。ただただ、目を奪われるように私たちの姿を見つめていた。


そして、私たちは静かに踊り始める。

さっきまでのざわめきがまるで嘘だったかのように、しんと静まり返り音楽だけが鳴る。カミルの動きに導かれるまま、私は身体を預けた。

カミルとのダンスは、まるで月の光が水面に溶けていくように滑らかだった。


柔らかなワルツの調べに合わせて、二人の影が大広間の床を優雅に描く。

その光景はまるで、長い夢から目覚めたばかりの“新しい物語”の始まりのよう。


「……驚いた?今夜のこと」


踊りながら、私はそっと問いかける。


「驚きました、あなたの勇気に。まさか、あの場で自ら婚約を破棄するとは……」


カミルは眉尻を下げて笑いながらも、誇らしげに言葉を続けた。


「けれど、あなたならきっと、どんな場でも自分の道を選べる人だと思っていました」


その言葉に、私は微笑み返した。


「ありがとう。でもその勇気を認めてくれたのはあなたのおかげよ」


視線を宙に投げると、夜会の煌めきのなかに、かつての私がちらりと見えた気がした。

太っていたあの頃。誰にも褒められず、必要とされず、ただ認められたくて……それでも空回りしてばかりだった少女。


――どうして、殿下は私を見てくれないの?

――なぜ、誰も……こんなに必死な私に気付いてくれないの?


あの少女は、ずっと孤独だったのだ。貴族として、令嬢として、殿下の婚約者として――相応しい姿に近づこうと、苦しみながら、ひたむきに走り続けていた。そうすれば、きっと誰かが、自分を認めてくれると信じて。


「私、ずっと誰かに褒められたかったのだと思う」


喉の奥からこぼれた本音は、思ったよりもずっと、穏やかな響きだった。


「きっと、誰かに……必要とされたいと、願ってた」


だけど、違った。殿下に振り向いてもらう為に努力する必要はない。ううん、誰かに評価されることの虚しさに気付いてしまった。だから私は――自分で、自分を誇れるようになりたかった。


そんな私に、カミルは優しく言った。


「今の君を見て、それでも“過去の君”を否定する気にはなれません。……その少女がいたから、今の君がいる。その努力も、痛みも、全部が君の輝きを作っているから」


その声は、まるで過去の私を抱きしめてくれるようだった。

涙が、心の奥底から静かに湧いてきた。実際に頬を濡らすことはなかったけれど、心が解けていくようだった。


「だから、私は……あの頃の君も、愛おしいと思います」


誰にも見てもらえなかった、あの小さな少女――太っていて、鈍くて、でも一生懸命だった彼女を、カミルが見つけてくれた。


外見ではかろうとはせず、ありのままの私を受け入れてくれる。ゆっくりと目を閉じれば、胸の中で小さな少女が泣いていた。でもそれは、孤独の涙ではない。許された涙。報われた涙。


私はようやく、はじめて、自分を好きになれた。


「……カミル。わたし、あなたに出会えて、本当に良かった」


そう言った声は、もう震えていなかった。しっかりと地に足をつけた、私の声だった。


音楽が終わり、ふたりが静かに礼を交わすと、まるで舞踏会そのものが一つの物語を締めくくったかのように、沈黙が落ちる。そして次に起こったのは、嵐のような拍手だった。

それはまるで、今ここに一つの“革命”が生まれたことを讃えるかのように、熱く、祝福に満ちた音だった。


「グラシエル令嬢の変貌、まさに奇跡のようだわ……」

「しかも、あの王子に自ら破棄を申し出るなんて、前代未聞!」

「ルチア嬢の焦りようったらなかったわ。まるで立場が逆転したように見えたもの」


貴族たちの目は、もはや“かつての悪役令嬢”ではなく、“一人の気高く美しい令嬢”としてのエリザベートに注がれていた。

そして、婚約破棄の噂はすぐに王宮内に広まり、痛快な一幕として翌朝には社交界の話題を席巻していた。

噂は噂を呼び、私の名は“改革の象徴”として、若い令嬢たちの憧れとなっていった。


ざまぁのターン!!!ノリノリで書きました。楽しかったです。

次話の公開日を間違えて設定してしまったので、このまま続けて2話更新します。

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