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24話 夜会に舞う、美の革命Ⅰ

王宮の大広間には、水晶のシャンデリアが煌き、何百ものキャンドルが夢のような光を踊らせていた。

壁に並ぶ黄金の燭台、磨き上げられた大理石の床、どこを見ても隙なく、完璧。これが、王国随一の夜会。上流貴族と王族が一堂に会し、社交と策略が甘く香る舞踏の舞台。


――いや、今夜に限って言えば、裁きの舞台。


この夜会は、私――エリザベート・グラシエルを公に断罪し、ルチア・ブランシュ嬢を新たな王妃候補として高らかに宣言するために用意されたものなのだろう。


乙女ゲームのイベントと同じ構図。


あの物語では、私はルチアを階段から突き落とし、挙句には暗殺未遂の罪まで背負わされ、国外追放となる運命だった。


もちろん、それらはすべて“ゲームの中の私”の話。前世の記憶を取り戻した私は、再び同じ轍を踏むまいと、以後はルチアに近づくことすら避けてきた。加害どころか、接点さえ与えていない。

なのに、策略は静かに練られ、噂は意図的に流され、私は知らぬ間に“悪役令嬢”として仕立てられている。


けれど、私もまた、黙って裁かれるつもりはない。私は一歩踏み出し、舞台へと降り立つ。


「……誰?」


最初の声は、あの男爵令嬢。いつか、肥満の私を鼻で笑った女。


「う、うそ……エリザベート様!?」

「まさか、あれが……あの……?」「信じられない!」


ざわめきが、波紋のように広がっていく。

私は一歩、また一歩と階段を下りていく。深紅の絨毯に、私のヒールが柔らかな音を刻むたび、視線が、息が、注がれていく。


纏うのは、濃紺に銀糸を刺したドレス。蝋燭の灯が当たるたび微かに瞬くその様は、まるで星降る夜空のよう。

かつては肉に隠れて見えなかったウエストのくびれは、今では自らの意志と努力の証として、はっきりと形になっている。コルセットに頼らずとも自然に浮かび上がるその曲線は、鏡の前で何度も確認した、誇りのシルエット。

ハニーブロンドの長い髪は、艶やかに結い上げられ、エメラルドの髪飾りが静かに光を反射する。

毛穴ひとつ見えない肌に、丁寧に磨かれた爪。全ては、努力の証。食事管理も、運動も、何ひとつ無駄じゃなかった。

カミルと作り上げた化粧品が美しさにさらに磨きをかける。


私は微笑む。高慢でも、卑屈でもない。自信と優雅さをまとった、今の私だけが持てる微笑みで。


そうよ!見なさい!これが正しいダイエットの成果よ!


堂々と、けれど気品をまとって、私ははゆっくりと大広間へと進む。

そのたびに、ざわめきと、視線と、嫉妬と、驚愕と──敬意が、私の背後に降り注ぐ。そして――彼の目もまた。


「……エリザベート?」


低く、戸惑いを含んだ声。近づいてきたのは、婚約者である第一王子アルフォンス殿下だった。


「……信じられん。まったく別人のようだ」


アルフォンス殿下の青い瞳が、今までにない熱を帯びて私を見つめていた。

つい数ヶ月前までは、見下し、罵り、視界に入ることすら拒絶していたというのに。それが今や、王子の視線に宿るのは驚きと――抑えきれない興奮。


「なんて美しいんだ。今宵の夜会の主役はお前だ、エリザベート」


殿下の手が、すっと私へ差し出される。

その仕草はまるで、花に触れるように慎重で、それでいて――確信に満ちていた。


「踊ってくれ、エリザベート。今の君に相応しいのは、俺しかいないだろう?」


その声には、傲慢な自信と、心を射抜かれた男の混乱が同居していた。

彼の中で、エリザベートが“嘲笑の的”から“価値ある女”へと評価を急転換させたことは明白だった。


その様子を、遠くから見つめるひとつの視線があった。


ルチア・ブランシュ。


彼女の白いドレスの裾がわずかに震え、手に持った扇がピタリと止まる。

これまでルチアにとって、私は“過去の滑稽な悪役”にすぎなかった。その悪役令嬢が今、誰よりも視線を集め、王子に手を差し出されている。まさか王子の相手を奪われるなんて思いもしなかったのだろう。ルチアの頬が赤く染まり、唇がわななき、扇が小さく軋む音がした。


そして――彼女は、ついに動いた。


「皆様、どうかお耳をお貸しくださいませ!」


甲高く、けれど震える声が、会場の中央に響き渡った。

瞬く間に人々の視線が集まる。ルチアは堂々とした態度を装いながらも、首筋には不自然なほどの赤みが差していた。


「この夜会の最中に失礼を承知で申し上げます。……けれど、エリザベート様について、皆様に知っていただくべき重大な事実があるのです!」


ざわ……と波紋のように広がるざわめき。私は眉をひそめ、ゆるやかに彼女へと向き直る。


「……重大な事実とは、なにかしら?」


「……私は伯爵家の娘にすぎません。社交界にも、まだ慣れておりません。そんな私に殿下が優しくしてくださったのは……本当にありがたかったのです。けれど、それがエリザベート様には……気に障ったのかもしれません。私は長い間、苛めを受けていましたの」


ルチアは扇をそっと目元に当て、声を震わせながら続けた。


「舞踏会の夜、私のドレスにわざと赤ワインを……それ以来、私は周囲から奇異の目で見られ、体調を崩しました……」


またしても、会場がざわめいた。


「そのドレスは今も保管しております。裾には、あの夜の痕が……」


「さらに、これをご覧ください」


今度はユリウス・リュミエールが一歩前に出た。

宰相の息子であり、正義を信じる青年として知られる男が、冷静な口調で一枚の文書を掲げる。


「王室医師の診断によれば、ルチア嬢は長期にわたり心理的な圧力を受けた結果、体調を著しく損なったと記されています。これは明らかに、悪意ある精神的加虐行為の結果です。このような人物に、将来の王妃の資格があるのでしょうか?」


私はその言葉を黙って聞いた。しばしの沈黙の後、静かに口を開く。


「――その診断書。私の知る限り、公的な医務官によるものではありませんね?」


私の言葉に、ユリウスの眉がわずかに動く。


「加えて、“心理的圧力による体調不良”という表現は、極めて主観的要素の強いものです。それを“悪意ある行為の証拠”と断ずるには、根拠としては不十分と言わざるを得ませんわ」


静かながらも、確信に満ちた声だった。

周囲の空気がわずかに揺れる。貴族たちの間に、疑念と興味が混ざり合うさざ波のようなざわめきが広がっていった。


だが、ユリウスはすぐに切り返した。


「この診断は、王宮医務室のものではないことは確かです。しかし、名の通った専門医が複数回にわたって診察した結果であることに変わりはありません。私は彼女の証言と診断書を総合して、妥当な判断をしたまでです」


「では、その“名の知れた専門医”とは、どなたかしら?」


私が問いかけると、ユリウスは一瞬言葉を選ぶように沈黙し、やがて口を開いた。


「エドワルド・メルグラン医師です」


その名が出た瞬間――


「ああ、その名が出るとは思っていたよ」


低く落ち着いた声が、静寂の中を割って響いた。


誰もがその方へ目を向ける。

ドアのそばに立つ、一人の青年。黒の上衣に淡い青のスカーフ、銀縁の眼鏡の奥から、冷静な光を湛えた瞳がユリウスを見つめていた。


「僕の名は、カミル・セルジュ。いくつかの貴族家で医療顧問を務めておりますので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。ちょうど王都に戻ったところで、舞踏会の招待状をいただき、参上しました」


「あ……あなたは……」


ユリウスの顔に、明確な動揺の色が走った。


「エドワルド・メルグラン医師――確かに昔は名医と評された人物です。しかし、近年は過去の栄光を盾に軽率な診断を繰り返しており、王立医師団からも距離を置かれているのが実情。特に“心理的要因”に偏った診断を好み、複数の誤診例も報告されています」


「それは、あくまで貴方の意見では?」


ユリウスが反論するが、カミルは微動だにしない。


「いいえ。医療関係者としての客観的な評価です。必要であれば、王立薬学院と診療記録から正式な資料を提出いたします。……それに、“心理的圧力による嘔吐や眩暈”は、外的な原因がなくとも起こり得る症状。もしその診断だけで加害者を断定するなら、訴えられる者は日ごとに増え続けるでしょうね」


カミルの冷静で論理的な口調は、ユリウスの言葉を封じるには十分すぎるほどだった。


「それでも、ルチア嬢の体調不良自体は事実ではないのか!」


最後の抵抗のようにユリウスが声を上げる。


しかし、カミルは静かに首を横に振った。


「私は、彼女の“症状”を否定するつもりはありません。ですが、“誰が原因か”を決めつけるのは別の話。……ルチア嬢、貴方が被害にあった舞踏会はいつのことですか?」


ルチアは一瞬たじろいだようだったが、すぐに応じた。


「さ、三週間前……。城で開かれた晩餐舞踏会です」


私は、ゆっくりと首をかしげた。


「奇妙なことね。その晩、私は王都にはいなかったけれど」


ルチアが眉をひそめ、動揺を隠せぬまま口を開く。


「……いえ、あの、そういえば……ひと月前だったかもしれません……」


「残念ながら、その夜も私は不在だったの。というのも――この一ヶ月、私は領地に滞在していたから。目的は、新たな化粧品の開発。視察と原材料の精製指導のため、滞在していたのよ」


「け、化粧品の開発?そんな話、聞いたこともないわ……!」


「僕と共同開発しているんですよ。その視察には私も同行しましたので、彼女のアリバイは証言できます」


「職人たちも同行していたわ。証言を求めれば、王都にいなかった事実は容易に確認できる筈よ」


緊張が、張り詰める糸のように場を包む。


「それに――この一年、貴女と顔を合わせたのは王宮の春のお茶会だけでしょう?それなのに“長期にわたるいじめ”と断ずるには、ずいぶんと脚色が過ぎるのではなくて?」


ルチアの肩が、ひくりと震えた。


深い沈黙が場を支配する。

その静けさは、もはや“疑念”ではなく、“確信”へと傾いた聴衆たちの心を如実に映していた。


私は一歩前へ出て、言葉を添える。


「……私の名誉を、貴方たちの感情と曖昧な診断で傷つけようとするならば――私は、正当な手続きをもって、応じさせていただきます」


ルチアの肩が震え、ユリウスは歯を食いしばったまま沈黙した。

隣に立つカミルが、ふと私の方に目をやり、わずかに微笑む。


「事実は、いつだって静かに積み上がっていくものだ。騒ぎ立てる者に振り回される必要はないよ」


その一言が、私の胸の奥に、静かで確かな安堵を灯した。



今日は切りの良いところまで、連続3話更新!続きは13時10分に!

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