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23話 雪解け

私はすぐさま、グラシエル家の食事法を伝えた。その中でも特に身体に優しく、けれど味わい豊かなレシピを選んだ。野菜の甘味を丁寧に引き出し、塩分は控えめながら、味わい深く仕上げる品々。

特に、コンソメスープは、胃腸が弱った今のリリィでもきっと無理なく受け入れられるはずだ。


そして翌日、私は再びセルジュ家を訪れた。

玄関ホールで待っていたリリィに、私は微笑んで声をかける。


「リリィ、緊張しないで。今日はただのお食事会よ」


彼女は一瞬だけ顔を上げて私を見た。けれど、その視線はすぐに下を向き、長い睫毛がそっと頬に影を落とす。

その繊細な横顔が、かつての私自身を重ねさせた。あの頃の私も、誰の目もまっすぐに見られなかった。怖くて、恥ずかしくて。


私とカミル、そしてリリィの三人でダイニングへと進み、整えられた食卓に着いた。


清潔なクロスが敷かれたテーブルの上には、彩り豊かな料理が丁寧に並べられていた。

澄みきった黄金のスープは、ほこほこと湯気を立てていて、ハーブとオリーブオイルでローストされた白身魚は、皮目がカリリと音を立てそうな焼き色。雑穀のパンはしっとりと温かく、添えられたリンゴのコンポートは控えめな甘さとシナモンの香りがふわりと漂っていた。

いずれも胃に優しく、しかし味わい深く、香り豊かで、何より「我慢」ではなく「楽しむ」ことを重視した料理だった。


「……こんなに、たくさん……」


リリィの声は、戸惑いと、ほんの少しの興味を含んでいた。


「焦らなくていいのよ。少しでも、食べたいと思ったら、無理のない範囲で手を伸ばしてちょうだい」


そう言って私が席につくと、リリィも静かに私の向かいに腰を下ろした。カミルは対角に位置し、彼女の様子をそっと見守っている。その視線は、医師としてというより、何よりも「兄」としてのそれだった。


「ダイエット料理というから、もっと質素な料理かと思ったけれど……みんな、美味しそうだね」


目の前の料理に、感心したようにカミルが言う。


「ええ、そうでしょう?これは“減らす”のではなく、“整える”ための食事なのよ」


私は笑顔で言いながら、スープをすくって口に運んだ。優しい塩気と野菜の甘味が舌の上に広がり、体の芯から温めてくれるようだった。


一方のリリィは、まるで毒見をするかのような慎重さで、スプーンを手に取った。

震える指先で一口。恐る恐るスープを口に含むと、彼女は目を閉じた。ほっと、一呼吸。


「……あたたかい」


その声は、誰に向けたものでもなかった。ただ、思わず零れてしまった心の声。


「身体がびっくりしないように、ゆっくりね」


にっこりと微笑みながらそう言うと、リリィ様は目を戸惑った様子で、でも次の瞬間には、ふっと唇をゆるめた。


「ありがとうございます。こんなに、心が落ち着く食事……初めてです」


その声はとても小さくて、それでもはっきりと胸に届いた。

どれだけ食事が、彼女にとって恐怖や罪悪感と結びついていたのか。

この一言が、どれほどの葛藤の末に紡がれたものなのかを思うと、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


「無理に痩せようとしなくていいの。まずは、あなたの身体と心を守ることが一番大切なのよ」


私は優しく語りかけながら、食後のハーブティーをカップに注いだ。

湯気とともに立ち上るラベンダーとカモミールの香りが、静かに空気を満たす。

リリィは、両手でそのカップを包み込むように持ち、じっと見つめた。

そして、ふと小さく息をつく。


「ねえ……エリザベート様」


「なにかしら?」


「私、変われるかな……。こんな私でも……ちゃんと、生きていけると思う?」


その問いには、深い孤独と、かすかな希望が宿っていた。

私は静かに、けれど力強く微笑んだ。


「ええ。きっと、変われるわ。だって、あなたはもう、最初の一歩を踏み出したもの。これからは、ゆっくりでいいから……一緒に、歩いていきましょう?」


リリィは、目を伏せていたまつ毛をそっと持ち上げる。そして、かすかに頷いた。

その顔は、今にも泣き出しそうに揺れていたけれど、そこに宿る笑みは紛れもなく本物だった。その笑みが、ほんの少し泣きそうな顔と混じっていて、それがまた、とても愛おしかった。

ふと横を見ると、カミルがそれを穏やかな表情で見つめていた。

彼は何も言わず、けれどそっと口元を緩める。その優しい笑みに、私も目を細めた。


春を迎える蕾のように、リリィの心がそっと開き始めている。

それはほんの小さな変化。でも、確かな希望の兆しだった。



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