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21話 デートみたい

私達は話し合いの結果――

自分たちの手で作り上げた化粧品を多くの人に届けるために、店舗を構えて販売することを決めた。

その第一歩として、店舗候補地を探すために街へ出かけることになり、今日はその約束の日だった。


約束の鐘が鳴る少し前、私はひと足早く待ち合わせの広場に立っていた。

冬の始まりを告げる冷たい風が、静かに頬を撫でる。街の中心にある噴水のそばは、いつになく静かで、柔らかな午後の光が石畳を金色に染めている。


私は自分の足元に視線を落とす。深みのあるワインレッドのドレスに、落ち着いたトーンのコートを羽織った。控えめなブーツも、鏡の前で何度も合わせたもの。

ただの物件見学——それは頭でわかっているのに、どうしてだろう、心が少し浮き立っている。


「エリザベート嬢」


声に振り返ると、カミルがこちらへ歩いてくるところだった。

黒の外套を軽く羽織り、手には簡素な書類鞄を抱えている。けれど、いつもの医師としての彼とはどこか違って見えた。少しラフで、少し柔らかい。私だけが知っている、仕事から離れた彼の顔。


「早かったんですね」


「ううん、私も今来たところよ」


自然と笑みがこぼれてしまうのを、自分でもどうしようもなかった。

カミルは鞄の中から地図を取り出し、軽く手で開いた。


「今日見る予定の物件は三つ。どれも、この界隈にあります。サロンに必要な条件は揃ってるけど……見てみないと雰囲気はわからないからね」


「ええ、人通りもある場所がいいわ。それに、日当たりも大切よ。自然光が入ると気持ちも明るくなるし、お客様にとっても居心地がよくなるから」


ふたり並んで歩く石畳。すれ違う人々の視線が、ときおりこちらをかすめていく。でも私は、気にならなかった。護衛も侍女も側にいるのに……まるで、この街がふたりだけの舞台になったような錯覚すら覚えていた。


「ここが、ひとつ目の候補地だよ」


最初に訪れたのは、古い建物の一階部分だった。広さは申し分なく、日当たりも良い。でも、入口が少し奥まっていて、初めて訪れる人には見つけにくいかもしれない。


「うーん……悪くはないけど、少し目立たないかな」


「ですね。立地としては、もう少し通り沿いのほうがいいかもしれない」


ふたりで頷きあって、次へと移動する。


次に見たのは、元は小さなカフェだったらしい物件。カウンターの名残があり、窓際の棚には今も古い花瓶が残されていた。

私はふと、その花瓶を手に取り、埃を払う。


「ここ……落ち着くわ。陽の入り方も、風の流れも」


「確かに悪くないですね。調合室を奥にすれば、香りも逃げにくいし」


真剣な表情で間取り図を見つめるカミルの横顔に、胸がぎゅっとなる。


こんなふうに誰かと未来のことを語り合い、共に歩いていける日が来るなんて――


いま私は、確かに未来を選び取っている。その時間の中に、生きている。


「次が、最後の一軒だよ」


夕暮れが、静かに街の輪郭を塗り替えてゆく。

色褪せた陽光が屋根瓦の上で溶け、石畳には長く引き伸ばされた影が交差していた。風はどこか甘く、焼き栗の香ばしい香りが微かに鼻先をくすぐる。

鐘の音が遠くで鳴り、通りの向こうでは子どもたちの笑い声が弾け、足元では鳩たちがパンくずをついばんでいる。

そんな風景を横目に、私たちは最後の物件を見終えた。


「ちょっと、休憩しない?」


カミルがそう言って指さしたのは、通りの角にひっそりと佇む一軒の喫茶店だった。

古びた煉瓦造りの外壁には冬枯れの蔦が絡まり、時折吹く風に小さく揺れている。窓辺には小さな花瓶に挿された生花が並び、ガラス越しにはあたたかなオレンジ色の灯りが、夕暮れの街にやわらかく滲んでいた。

まるで、慌ただしい日常の隙間にぽつりと開いた、誰かの秘密の隠れ家のようだった。


「……いいわね。甘いもの、少しほしかったの」


そう言うと、カミルが「だと思いました」と笑った。

その笑みに、思わず頬が緩んでしまう。何度も見た顔のはずなのに、今日の彼はどこか違って見える。


私は護衛と侍女にひと言掛けて、店内へ。案内されたのは、奥の窓辺にある小さな丸テーブルだった。

私はコートを脱いで椅子に腰を下ろし、ふうっと一息つく。窓の外では、人々がマフラーを首に巻きながら行き交っている。

メニューを手に取りながらも、つい視線はカミルの横顔に向かってしまう。伏せられた睫毛、カップを持つ指先、何気ない仕草のひとつひとつが、心をくすぐってくる。


――ダイエット中だけど、今日は特別。

折角のお出かけだもの、たまにはご褒美もなくちゃ。私はこの店の一番人気だというアップルパイを注文した。


ほどなくして、湯気をたてる紅茶と共に、待ち望んだ一皿が運ばれてくる。

目の前に置かれた瞬間、思わず「わぁ」と声が漏れてしまった。


こんがりと焼き上げられたパイ生地。フォークを入れると、サクッという乾いた音が響き、層になった生地の奥からは、飴色の蜜をまとった林檎の果肉がとろりと顔を覗かせた。

ひと口。そっと口に運ぶと——

香ばしいパイの食感と、ジューシーな林檎のやさしい甘酸っぱさが、口いっぱいに広がっていく。じんわりと心まで温まるような、そんな味だった。


「おいしい……」


目の前では、カミルが静かにカップを傾けていた。その落ち着いた姿に、なぜだろう、妙に胸がいっぱいになる。


一緒に街を歩いて、店に入って、向かい合って座って――

——こうしてると、まるで。


「……なんだか、デートみたいね」


思わずこぼれそうになった言葉を、私は慌てて飲み込んだ。

その瞬間、カミルの横顔にふと気づく。いつものように穏やかな微笑みを浮かべてはいるけれど、その奥に、かすかな陰りが宿っていた。


「カミル?大丈夫?疲れたの?」


私が問いかけると、彼は一瞬迷うように視線を泳がせ、それからゆっくりと口を開いた。


「……ああ、いや。実は……個人的なことで、相談があって……。妹のことなんだ」


妹。その言葉に、私は思わず姿勢を正した。


「相談って……何か、あったの?」


「もともと身体が強い子じゃなくてね。最近はそれ以上に心配で……。無理なダイエットを始めて、ろくに食事も摂らない。肌は荒れて、目の下にはくっきりと隈ができて……。見ていられないくらい、弱ってる」


その声には、普段の彼からは想像できないほどの痛切さがにじんでいた。

医師としてだけではなく、兄としての切実な想いが、その言葉の端々にあった。


「誰かに何か言われたわけじゃない。けれど、自分が“綺麗じゃない”って思い込んでいて……。痩せれば、認めてもらえると信じてる。……だから、食べるのをやめてまで痩せようとしているんです」


「……っ」


胸が締めつけられた。

それは、かつての私と、あまりにも重なっていたから。


「母は“貴族の令嬢にはよくあるわ”と軽く流していて……僕は、何度も止めたんです。ありのままの君のままでいいと言った。でも、僕の言葉は届かない。……兄として、何も出来ないんです」


自嘲するようなカミルの声。

その背中が、いつもよりずっと小さく見えた。


「私で、役に立てるかしら?」


自然に、そんな言葉が口をついて出ていた。


「あなたなら、……きっと、伝えられると思うんです。努力をして、美しくなる方法を知ってる人だから。“痩せること”だけが美しさではない。命を削ってまで求める美は、本当の美ではない。どうか――あなたの口から、妹に伝えてやってほしい」


目の前のカミルがどれだけ妹のことを心配しているのかが伝わってくる。カップを包み込む手に、少しだけ力が入った。私は静かに頷いた。


「わかったわ。カミル……その子に、会わせてくれる?」


「……ありがとう。助かる」


ふっと息をついたカミルの声は、少しだけ柔らかかった。



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婚約者いるのに異性と仲良くなっていく点では王子と変わらない気もする
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