19話 新たな攻略キャラⅡ
ジャンは、当主である父に話があって、公爵家を訪れたらしい。
そして、騎士団の支援金に関する交渉を滞りなく済ませたはずのジャンは、なぜか再び私の前に現れた。
「突然の申し出であることは承知している。だが……君の鍛錬法、可能であれば一度拝見したくてな」
その言葉に困惑しつつも、私は彼をとある一室へ案内した。
ここは、私が密かに設けた簡易トレーニングスペース。貴族の邸宅には到底似つかわしくない場所だった。部屋の片隅にはダンベル、古縄跳び、踏み台など様々な運動グッズが並べられている。
ジャンは無言のまま、室内をぐるりと見回した。
「このような道具……見たことがないな。異国のものか?」
「え、ええ。まあ、そんなようなものよ。おほほ……」
まさか「前世の知識で揃えました」などと言えるはずもなく、私は曖昧に笑ってごまかすしかなかった。どれも構造は単純で、職人に作らせるのもそう難しくはなかったのだけれど。
ジャンはやがて、縄跳びに目を留めた。しげしげと眺め、眉をひそめながら問う。
「これは、どうやって使うんだ?」
「足元で回して跳ぶものよ。実際にやってみましょうか?」
「うむ、是非とも見せてくれ!」
彼の瞳が一瞬、少年のように輝いた。。それに促されるように、私は息を整えて縄を手に取った。
トン、トン、トン……。リズムよく、軽やかに跳ぶ。
「……なるほど。全身の連動を意識せねばならん。見た目よりも、遥かに実用的だな」
「けっこう効くんです、これ」
ジャンは今度は、ダンベルに目を留めた。そっと持ち上げ、重さを確かめる。
「これは?」
「振り上げたりして、腕や肩の筋肉を鍛えるの」
「……確かに、先ほどのランニングの時も思ったが、君の身体は実によく鍛えられている。特に、肩甲骨から背筋のラインが美しい。力強さとしなやかさを併せ持っている」
唐突な“筋肉評”に、思わず私は口元を引きつらせた。
「おほほ。ありがとうございます……?」
内心で呆れながら、礼を言う。
ゲーム本編では、ジャンが筋肉について熱く語る場面など一度もなかった。正義感にあふれ、颯爽と剣を振るう頼れるヒーロー――それが、プレイヤーの知るジャンその人だったはず。
まさか筋肉オタクだったとはねぇ……。
私は気まずさを誤魔化すように、曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
「筋肉は……嘘をつかない。日々の努力も、痛みも、葛藤も、すべてが正直に表れる。怠惰も、節制も、鍛錬も――一切の誤魔化しが効かない。だからこそ、美しい」
拳を握りしめて熱弁するジャン。
その袖の下からは、逞しい前腕の筋がうっすらと浮かび上がり、布越しにも力強さが伝わってくる。
「は、はぁ……」
「君のように、意志を持ち、己を律し、積み重ねてきた体を前にすれば……それはもう、畏敬の念を抱かずにはいられない。そう、……私は、君の筋肉に敬意を表する」
向けられた眼差しには、確かに好意が宿っていた。鍛え上げられた“筋肉”に向けられたものではあったけれど、そこに込められた敬意の純度は本物だった。
好意を向けられること自体は、決して悪い気はしないのだけどーー
複雑な気持ちのなか、扉の向こうから控えめなノックの音が響いた。
「約束していた時間なのですが……」
アメリアがそっと顔を覗かせる。彼女の声に、私は我に返った。
「あら、もうそんな時間?」
縄跳びの取っ手を握っていた手をそっと離し、私はそれを脇に置いた。
「次の約束が入っていたの。ジャン様、今日はこの辺りで……」
立ち上がりながら告げると、ジャンはやや名残惜しそうに頷いた。
「いや、構わない。これほど貴重な知見を得られるとは思わなかった。礼を言う、エリザベート嬢」
にこやかにそう述べる彼の顔には、心からの満足感が滲んでいた。しかし次の一言で、私は言葉に詰まる。
「以前の君は……正直、身体が弛んでいた印象だったが、今はまるで別人だな。心を入れ替えたのだろう?君の肉体は、実に素晴らしい。これからも驕らず、一層筋トレに励んでくれ」
そう、好意はぐいぐい伝わってくるのだけれど……。もういっそ、押し付けがましいほどにね。
私はまた、困ったように曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。そのときだった。
「それは違いますよ、ジャン殿」
背後から、聞き慣れた、けれどどこか鋭さを帯びた声が飛び込んできた。
低い声に、私は思わず振り返る。扉の前に立っていたのは、カミルだった。その表情にはいつもの温和さはなかった。代わりにあったのは、冷ややかで張り詰めた静かな怒り。
「おや、君が約束の相手だったか。先日は騎士団の健康診断をありがとう。……それで、“違う”とは?」
ジャンが飄々とした笑みで挨拶を返す。しかしカミルは歩みを止めず、まっすぐにジャンのほうへと進みながら、視線を逸らさなかった。
「エリザベート嬢は、昔から努力を惜しまない人でした。その言い方では、まるで以前の彼女が怠惰だったと決めつけているようで、聞いていて不快です」
語気は穏やかだったが、その一言には鋭利な刃が込められていた。
ジャンは肩をすくめ、口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。
「いやはや、随分と手厳しいな。私はただ、今の彼女を素直に讃えただけだぞ?」
それでもなお、どこか挑発的な雰囲気を纏うジャンの横で、カミルは私の隣に立ち止まり、視線をそっと落とす。
「そもそも、見た目だけで人を判断するのは失礼です。それに、エリザベート嬢がここまで来るまでに、どれほどの葛藤と苦しみ、そして努力があったか……僕は、誰よりも近くで見てきました。だから、看過できませんでした」
言葉を区切るたびに、その声音には確かな熱が込められていた。
「長く苦しみながらも、何度も立ち上がって前を向いてきた。彼女は痩せたから素晴らしいのではない。今も昔も変わらず、芯の強さを持った立派な女性です」
カミルの言葉は静かだったが、その奥に秘められた感情は、私の胸の奥深くにまで染み込んでくるようだった。
「そうか……誤解させたのなら、本当にすまない。ただ、彼女が変わったことが嬉しかったんだ。素直に、そう思って口にしただけだった」
苦笑混じりにそう呟いた彼は、いつもの自信に満ちた佇まいからほんの少し肩を落とし、少し間を置いてからゆっくりと顔を上げた。
「けれど……いつも穏やかで優しい君が、あんな風に言うとは意外だったな」
「医師である前に、僕も人間だ。大切な人が、過去の印象だけで軽んじられるのを見過ごすわけにはいかないんです」
その「大切な人」という言葉に、思わず私は息を呑んだ。ジャンもまた、一瞬目を細める。
「……そうか。君の大切な人を悪く言ってしまって、すまなかったな」
そう言って、彼は軽く頭を下げると、身を翻した。
「エリザベート嬢、今日は本当に有意義な時間だった。また機会があれば、鍛錬について教えてくれ」
応接間を出たジャンの背中が、長い廊下の奥にゆっくりと消えていく。私はその姿を無言で見送り、扉が静かに閉まるのを確認してから、そっと息をついた。
ジャンはデリカシーがなく失礼な奴ですが、根はいい奴です。困った人を放っておけない性分です。
ユリウスは勉強は出来ますが、心が狭いです。恋は盲目状態でもありますね。




