14話 芽生えた願い
そして、何度も、何度も、試作を私達は重ねて――
ある日、カミルが新しい配合を私に手渡してくれた。
米粉に、ごく微量のカオリンと亜鉛華。そこに、乾燥させたラベンダーの花から抽出した、穏やかな香りのエキスを加えたもの。
私はその粉を刷毛に取り、そっと頬に滑らせた。
「……できた!」
すっと馴染んで、まるで素肌がそのまま整ったように見える。
鏡の前で化粧の仕上がりを何度確かめる。乾燥もしない。赤みも消える。自然な艶だけが残り、粉をつけていることさえ忘れそうになるくらいだった。
粉は驚くほど軽やかで、肌に触れた瞬間、すっと馴染む。まるで素肌そのものが整ったように、自然な艶を纏った。
何度も鏡をのぞき込み、仕上がりを確かめる。乾燥もしない。赤みも消える。粉っぽさは微塵もなくて、つけていることさえ忘れてしまいそうだった。
「……今までで、いちばんの出来だと思うわ」
鏡越しにカミルを見ると、彼もわずかに目を見開いて私の頬を見つめていた。
その視線がどこか嬉しそうで、私まで頬が緩む。
「うん。香りも優しいし、刺激もなさそうだ」
「やったわ……ようやく、成功ね!」
私は思わず声を上げた。初めての成功に、胸が弾む。
「……この粉を、みんなにも使ってもらいたいな」
ふとこぼれた本音に、カミルが驚いたように私を見た。
「ねえ、この化粧品……王都でも売れると思う?」
私の問いに、彼は少し首をかしげる。それから真っ直ぐに私の瞳を見つめて尋ねた。
「エリザベート嬢は、本当に売りたいと思ってる?」
私は、静かにうなずいた。
最初はただ、自分が美しくなるためだけだった。馬鹿にしてきた人たちを見返したかった。
けれど――カミルと一緒に作っていくうちに、私の中に違う感情が芽生えていた。
カミルは、いつも真剣だった。
「身体と心の安全」を、真摯に考えていた。
誰かを美しくすることではなく、その人が笑顔でいられることを、彼は本気で願っていた。
——不健康なダイエットが蔓延している。
——強すぎる化粧品で肌を傷める若い娘があとを絶たない。
——危険性を訴えているのに、誰も止めてくれない。
彼がそんな現実に歯がゆさを感じていることを、私は彼の沈黙やため息から何度も感じ取った。
「僕は、もっと普通に、安心して使える化粧品があってほしいんです。いえ、外見だけじゃなくて、内側から綺麗になってほしい。いくら痩せて美しくなりたいからって、無理なダイエットでは、いずれ心も身体も壊れてしまう。健康になりながら美しくなる。そういう考えが、この世界にも必要なんだと思うんです」
そう言った彼の横顔を、私は忘れられない。
私は、自分のためだけにきれいになりたかった。でも今は、それだけじゃ足りないと思うようになってきた。
美しさとは、健康のうえにこそ成り立つものだということを、もっと多くの人々にも知ってもらいたい。
そして、私たちが作ったこの化粧品が、いつか誰かの手に届いて、その人を笑顔にできたなら……。
「ただ“売る”だけじゃないの。
もっとこう……安心して手に取ってもらえるように、正しい知識と一緒に届けられる場所を作りたいの」
それがどんな形になるか、まだ分からない。でも、心に芽生えたこの願いは、もう抑えきれなかった。
カミルは、何も言わずに黙って聞いていた。
「あなたになら出来るよ、きっと」
「……ほんと?そう思う?」
「ええ、あなたは変わった。――いや、正確に言えば、もともと努力を惜しまない人だった。でも、今のあなたはそれだけじゃない。これからのあなたは、美しさを通して、人を救える人になれると思います」
カミルのまなざしは、真っすぐで、曇りひとつなかった。その言葉のひとつひとつが、嘘じゃないとわかる。
これまで誰からも言われなかったようなことを、カミルはあたりまえのように口にする。
「もし本気で始めるなら、僕も手伝います。調合の監修も、薬草の選定も、成分の安定性の検証も、全部」
私は刷毛を置いて、カミルに向き直る。
「……ありがとう、カミル。あなたと一緒に作れて、本当に良かったわ」
「僕のほうこそ。君の“体に害のない化粧品を作りたい”という想いがなければ、この化粧品は生まれなかった」
「でも、あなたの知識がなかったら、無理だったわ。それに、何度失敗しても立ち上がれたのは、あなたがいてくれたから……。この化粧品は、ふたりで作り上げたものよ」
目と目が合い、私たちは声を立てずに笑い合った。
温室の空気が、ほんのりと甘く香る。
それから私たちは――
おしろいの成功に満足することなく、より多くの方々の肌と心に寄り添う品を目指し、ひとつずつ、丁寧に歩を進めていった。
「次は、肌が弱い人でも安心して使える保湿バームを作ってみたいわね」
「いいですね。城下の診療所でも、寒さが厳しくなる頃には、肌荒れに悩む者が後を絶ちません。水を使うメイドや職人だけではなく、貴婦人方の中にも悩まれている方は多いでしょう」
「それは、大変。階級にかかわらず、誰もが安心して使えるものを届けたいわ。……そうね。たとえば、蜜蝋を基に、肌に優しい植物の油を合わせてみるのはどうかしら?」
「うん、それなら傷んだ肌にも優しく使えそうですね。油はそうですね、ホホバの種子から摂れるものを使いましょう。肌との親和性が高く、傷んだ皮膚にも穏やかに作用しますから」
私たちは木製の調合台に並んだ素材をひとつずつ確認しながら、湯煎の鍋に蜜蝋を落とし、溶けて琥珀色に染まるまでじっくりと温めていった。慎重にホホバオイルを注ぎ入れると、蜜蝋と美しく混ざり合い、やがて滑らかで艶のあるクリームへと変化してゆく。
その静かな作業の合間にも、私たちの間に交わされる言葉は途切れることがなかった。
「……これ、いい感じ。ちゃんと肌に馴染むわ。油っぽさもない」
「肌の水分を閉じ込めてくれる。乾燥のひどい季節にも、十分使えるはずです」
私は自ら手の甲にのばしてみせた。カミルはその様子を見つめ、小さく頷いた。
続いて私たちが取り組んだのは、髪を美しく整えるための香油だった。
「植物の油は、髪にも良い働きをするのよ。特に、水気を含んだ状態で塗れば、柔らかさと艶が戻り、櫛の通りも見違えるようになるの」
私は指先に少量取り、毛先にそっと馴染ませた。指先がするするとすべり、ふわりと甘くやさしい香りが立ちのぼる。
「……すごい。手触りがまるで違います。まるで別人の髪みたいですね」
彼がそっと指先で私の髪に触れ、感嘆したように目を細める。その視線に、私は少しだけ恥じらいを覚えながらも、誇らしさが胸の奥に満ちていく。
「うふふ。これなら舞踏会の夜、髪の一房が揺れるたびに誰かの目を引くかもしれないわね」
「その髪に惑わされて、ダンスフロアで転ぶ人が続出しそうだね……それにしても、君がそんなに綺麗だと、僕も足元がおぼつかなくなりそうだ」
「あら、カミルったら。お上手ね。お世辞も板についてきたわ」
冗談めかして返すと、ふたりの間に笑いが生まれた。
目と目が合うだけで、言葉はいらなかった。積み重ねてきた日々が、確かな形になって現れたことが、嬉しくてたまらなかった。
その喜びと達成感で胸がいっぱいで、声に出して笑わずにはいられなかった。
親密になるにつれ、カミルの敬語は崩れていってます。
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