表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/62

12話 実験Ⅰ

私は王太妃教育の一環として、日々近隣諸国の言語を学んでいた。すでに礼儀作法や政治学、宮廷の歴史の課程は終えていたが、将来の外交に備えて、今は各国の語学と文化に関して学んでいた。

――婚約者である殿下との交流は、相変わらず進展はなかったけれど。


一方のカミルもまた、貴族家の医療顧問としての往診や、薬学講師として学園で講義を行うなど多忙を極めていた。


それでもなお、ほんのわずかな隙間時間を縫って、私たちは王立学院の温室へ足を運んだ。


古びた蔦が這うガラス窓から差し込む柔らかな陽光は、緑の葉を透かしながら地面に模様を描き出す。どこからか聞こえる水滴が葉から滴り落ちる音と、春の訪れを告げる小鳥たちの、楽しげなさえずりが重なり合い、穏やかな調べを奏でている。

この場所に身を置くと、騒がしい日常から隔絶され、まるで私の心の襞をそっと撫でてくれるような、穏やかな安堵感に包まれた。


「……ふぅ」


私はそっと息を吐き出し、周囲の緑を見渡した。


「ここに来ると、不思議と落ち着くわね。まるで、この空間の全部が、静かにゆっくりと息をしているみたい」


隣に立つカミルは、私の言葉に静かに頷いた。


「ああ。目に見えないけれど、植物たちの息遣いが聞こえる気がするでしょう?人間よりもずっと自然に、そして迷いなく、まっすぐに生きているんだ」


彼はそう言って、手近な素焼きの鉢に植えられた、葉の表面に細かな毛が生えたハーブに、そっと指先を添えた。その仕草は、まるで熱にうなされる患者の額に触れるときのように、優しく、慈しむようだった。


「あら、この香りは……ローズマリーね。集中力を高める効果があるのよね」


私がそう呟くと、カミルは穏やかな笑みを浮かべた。


「良かったら、少し分けましょうか。紅茶にして飲んでもいいんですよ」


「それじゃあ、お願いするわ。最近、どうも集中力が散漫で……」


「忙しすぎるのではないですか?無理は駄目ですよ」


カミルはそう言って、手近な鉢植えのハーブにそっと指を添えた。その仕草は、まるで患者を診るときのように優しかった。


調合室は温室の奥、外の喧騒から切り離されたように静かな場所にあった。

木製の作業台には、乳鉢やガラスのビーカー、天秤、細かな目盛りの秤が所狭しと並べられ、その周囲には乾燥させたハーブや鉱石の瓶が整然と棚に並んでいる。

瓶の蓋には走り書きされたラベルが貼られ、それぞれの効能や配合比が記されていた。


ただし、美容に使える安全な素材となると、意外なほどに選択肢は少ない。

肌の炎症を抑えるもの、滑らかに見せるもの、皮脂を吸着するもの……自然由来の原料はどれも一長一短で、扱い方を少しでも誤れば、理想から遠ざかってしまう。

一度の試作で満足のいくものができるなど、ほとんど奇跡に近かった。


「うーん……やっぱり、塗ったあとに粉が浮いちゃうわね」


私は手の甲に試作品を塗りながら、眉をひそめた。


「ふむ……それなら、滑沢剤としてカオリンかタルクを加えてみるのはどうでしょう?」


カミルがすぐに棚へ向かい、整然と並んだ瓶の中から二つを取り出す。その動きは迷いがなく、どこか職人めいていて、私は少し見とれてしまう。


「こちらがカオリン。白陶土とも呼ばれるもので、粒子が非常に細かく、肌に触れたときの滑りが良くなります。こっちはタルク。こちらもよく使われますが、配合量には注意が必要です」


瓶の中でさらさらと揺れる粉末は、まるで真珠を砕いたかのように繊細で美しい。


「うん……それなら、粉っぽさを抑えながら、自然なツヤを出せるかも!」


私は手帳を開きながら、思わず声に力がこもった。ペンを走らせる指先に、焦りはない。ほんのわずかでも希望が見えると、心がふっと軽くなる。


「なんだか楽しそうですね」


カミルが横から静かに笑いかけてくる。


「楽しいというより……手応え、かな。小さくても、出来るかもしれないって実感できると、前に進める気がするのよ」


「なるほど。……あなたは、研究者向きですね」


「ふふ、そうかしら?自分では、ただの凝り性だと思ってるけど」


研究者というより、オタク気質なのよね。

前世の頃からそうだった。好きなことには一直線で、妥協がきかない性分なのは変わらないらしい。


「それを言うなら、あなたこそよ?あんなに冷静にデータを並べて、でも、いつの間にか自分で一番楽しんでる顔してる」


「……そう見えてましたか?」


カミルは眼鏡の奥で、少しだけ照れたように目を細めた。まるで少年のようなその表情に、私もつられて笑ってしまう。


「ええ、見えてましたとも。お互い、研究室に籠もってる方が向いてるのかもしれないわね」


ふたりの間に、小さな笑い声がこぼれた。

その日から、私たちはさらに根気強く配合を試すようになった。

一日に試せるのは、せいぜい数パターン。それでも、たったわずかな比率の違いが、質感や発色に驚くほどの差を生む。

試験管の中の粉末は日ごとに色を変え、手触りも徐々に滑らかさを増していった。


「これ、昨日の配合より粒子の揃いがいい気がする。カオリンの方をほんの少し増やしたんだっけ?」


「ええ、2gほど。滑りが良くなる反面、マット感も増すので、光沢感とのバランスが難しいですね」


棚の一角に積まれていく実験ノートには、日付と配合の記録、それにカミルが記した化学的な所見と、私の感覚的なコメントがびっしりと書き込まれていく。

やがてノートは厚みを増し、ページをめくるだけで、私たちの歩みが一目で分かるようになっていた。


何度失敗しても、決して嫌にはならなかった。

むしろその度に、どうすればもっとよくできるのかを考えることが楽しかった。

成功に近づいていく手応えが、私たちを前に進ませていた。

今日は2話更新します!

キリのいいところまで掲載したいので!18:10に更新予定。


面白いと思っていただけたら、☆マークから評価・お気に入り登録をしていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ