表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/62

11話 相談

王立学院の裏手にある、半球型のガラス温室。

太陽の光が天窓から降り注ぎ、内側にはありとあらゆる薬草が青々と育っていた。ミントの涼やかな香りと、タイムの少し土っぽい匂いが混じり合い、微かに湿った土の匂いとともに胸いっぱいに広がる。


温室の奥。棚に並ぶ鉢植えの間を縫うようにして歩くその姿を、私はすぐに見つけた。


「カミル!」


呼びかけに、白衣の袖をまくった青年が、振り返って微笑んだ。


「やあ、エリザベート嬢。珍しいですね、こんなところに来るなんて」


「急にごめんなさい。でも、あなたにどうしても相談したいことがあるの」


私は胸元を押さえながら、一歩近づく。カミルは手入れしていた鉢を棚に戻し、こちらに向き直った。


「構いませんよ。ちょうど往診の合間でしたから。午前中はセリーヌ伯爵家の診察に行ってきたところで、午後からは此処で研究する予定だったんです」


「相変わらず忙しいのね」


「まあ、薬学院の講義もありますしね。おかげで日誌は文字で埋め尽くされてますよ」


彼は苦笑しながら、手にしていたノートをひらりと私に見せてくれる。中には細密な文字と図、そして色鉛筆で描かれた植物のスケッチがぎっしりと並んでいる。


「でも、エリザベート嬢の頼みなら、時間くらい捻出しますよ。何かあったんですか?」


「実は――」


私は、あの日の出来事を一気に話した。化粧品専門店で鉛白が使われていたこと、肌に負担をかけたくない気持ち、そして、この世界で毒性のない白粉を作りたいという願い。


カミルは黙って耳を傾けていた。真剣なまなざしの奥に、わずかな驚きと深い理解の光が宿っているのが見えた。


「鉛白ですか……。僕のところにも、鉛中毒に関する報告は少なくありません。化粧品に含まれる鉛白の危険性は繰り返し伝えているのですが、美しくなりたいという想いの前では、なかなか受け入れてもらえないのが現状ですね」


「私も、綺麗になりたいという気持ちは理解できるわ。でも、私は、肌を傷めるようなものを使ってまではなりたくないの」


「なるほど。確かに代わりになる新しい化粧品を開発すれば……、既存の危険な化粧品を使う人も減るかもしれない」


彼は軽く顎に手を当て、温室の奥へと歩き出す。私はその背を追った。


「この辺りに、君の探している素材がいくつかあるかもしれません」


彼が立ち止まったのは、窓から光が射し込む一角。そこには、乾燥されたハーブと鉱石の小瓶、そして細かく粉砕された白い粒が並んでいた。


「これは?」


「米粉です。東方の島から輸入された白米を粉末状にしたものですね。あちらでは赤ん坊の肌にも使われていて、あせも防止の白粉として親しまれているらしいですよ」


私は目を輝かせる。


「これなら、あの鉛白の代わりになるかも!赤ちゃんにも使えるものなら、きっと肌にもやさしいはず」


日本でも、米粉を使った化粧品は販売されていた。あの世界で私が愛用していた安全な商品たち……他には、何があっただろうか。必死に記憶をたどる。


「あとは……、そうだ!酸化亜鉛もあるかしら?」


「酸化亜鉛?」


カミルは机の引き出しから小さな袋を取り出した。


「酸化亜鉛、いわゆる亜鉛華なら此処にありますよ。これも白粉の原料に使えるかもしれませんね。ただし、分量には注意が必要ですが」


「お願い、カミル……!」


言葉が唇を突いて出た瞬間、自分でもその震えに気づいた。強くあろうと繕っていた仮面が、ふいに崩れたような気がした。


「私、一人じゃどうしても限界があるの……でも、あなたなら……あなたの知識と技術があれば、きっと……!」


息を詰めるようにして吐き出された言葉は、心の奥から搾り出した本音だった。

目を伏せたまま、胸元を押さえる。鼓動が、いつもよりも早い。焦がれるような不安と、微かな希望が入り混じっていた。


ふと、視線の先に影が落ちた。

カミルが、一歩こちらに歩み寄っていた。柔らかな足音。ガラス越しの陽光を背に受けた彼の輪郭は、まるで光そのものに包まれているようで。


「貴方がそう言うなんて、ちょっと意外だ。でも……」


静かな声。優しく笑んだその表情には、いつもの冷静な医師の顔ではなく、どこか親しみと誇らしさの混ざった感情が宿っていた。


「嬉しいよ。貴方が僕を頼ってくれて」


カミルの目が、まっすぐ私を見ていた。

彼はそっと、片手を私の肩に置いた。医師としての手。何度も人の命を守り、癒してきた手。それが、今は私をそっと支えてくれている。


「人々の健康のためにも、僕でよければ全力で協力しましょう」


「カミル……」


胸の奥で、ぽとりと何かが落ちた音がした。それは、長く張りつめていた孤独という名の緊張だったのかもしれない。ずっとひとりで戦ってきた。でも今、その手があたたかくて、言葉が優しくて、じわじわと涙腺が緩む。けれど私は、泣かなかった。


笑った。心から、穏やかに。


「ありがとう、カミル……これから、よろしくね」

毎日12時10分に更新予定!面白いと思っていただけたら、☆マークから評価・お気に入り登録をしていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ