35.大人と子ども 5
「ルビーニア。ペンダントを見せてくれ」
子爵が声を掛けると、ルビーニアはじっと彼を見つめ、それから部屋の他の大人達、最後にエルマに視線を流した。エルマが頷いてやると、お菓子を食べている間傍らに置いていたぬいぐるみを持ち上げ、背中のボタンを外す。
幼子はどこか不安げではあったが、大人しく子爵にペンダントを差し出した。彼はそれを受け取り、蓋に指を掛ける。しかし、何度開こうとしてみても、びくともしない様子だった。
一連の動作を終えると、老け顔の貴族はちらりとスファルバーンを一瞥してから、ゆっくりと話し出す。
「スファル君から、話を聞きました。以前、私がルビーニアにこれを見せてもらった時から、こうして開かなくなっているのだと。ですがこのように、私が開けようとしてもうまくいかない。そもそも自分で魔法を掛けた自覚もなかったのですが……」
子爵は恥じ入るように目を伏せる。その様子を、ルビーニアが大きな青い目をぱちぱち瞬きさせ、じっと眺めていた。
「あなたには、この封印が解除できるとお聞きしました。どうかその力で、開けていただけないだろうか」
エルマは目の前の大人と子どもを見比べた。
まず、子爵が嘘を言っているようには見えない。そしてルビーニアは、乗り気という程でないにしろ、彼の言うことを聞いている。しかも子爵はわざわざ手紙まで出して、ペンダントの解錠を依頼してきているのだ。
けれど、わかりました、では開ければ解決ですね――と言うには、まだいくつか謎が残っているのではないか。
ちらりと視線を流せば、スファルバーンは何か堪えるように唇を噛みしめ、片手で腕を握っていた。
エルマはゆっくりと息を吸い、慎重に言葉を選ぶ。
「……本当に、よろしいのですか?」
ぴく、と客人がわずかに反応した気がした。伏せられていた目線がゆっくりと上がる。
「ロケットペンダントは、中に大切なものをしまって、肌身離さず身につけるためのものですよね。わたしが最初にそのペンダントに触れた時、絡みついた加護の糸――魔法の残滓から、戸惑うような、驚いているような……あるいは、悲しんでいるような。そんな感情が伝わってきました」
子爵は音もなく目を細めた。眉がわずかに、不愉快そうに歪む。
昔のエルマであれば、こんな状況になれば自分が身を引き、恥知らずな態度を謝罪していただろう。
だが、それでは駄目だ。まだ引いてはいけない。確かめておかなければならないことがある。
「わたしが力を使い、絡みついた加護の糸をほどいてあげれば、そのペンダントは開くようになります。ですが……子爵さまは、それで良いのですか?」
ルビーニアがもぞもぞと身じろぎし、人形をぎゅっと抱え込んだ。
子爵は目を揺らし、何度か口を開いたり閉じたりする。手も何度も組み替えていたが、ふとその目がエルマの横に流れる。
すがるような目を向けられたスファルバーンが、男に静かに頷いた。するとようやく決心がついたように、子爵は重い口を開く。
「そのペンダントは、昔……よく知っていた人が大事にすると言っていた物に、似ていました。とても……私がもう、会うこともないと思っていた人の……。それで、私は……私は――」
「し、知っていた人の、物かと思って。あ、貴方は、とても、動揺、した。それで思わず、手に取って、確かめて……」
男がぎゅっと握り拳を作って言葉に詰まった時、意外にもスファルバーンが助け船を出した。補足されると、励まされるように子爵は続きを話す。
「そう……二度と会わないはずの人が持っていた物に、よく似ていた。それでルビーニアにも、声を荒げてしまって、強引に取り上げるようなことをして……ですが、確かめてみれば、全く別の物とわかりました。ですから、彼女にもすぐ返した。開けられなくなってしまったのは、本当に、意図したことではなくて……」
エルマは客人を見つめ、考える。
(もう会えない人――もしかして、亡くなられた奥さまのことなのかしら。ルビーニアさまが持っていたペンダントが、かつて奥さまが身につけていた物にそっくりで……それで、何故幼子がそれを手にしているのかと動転し、思わず拒絶してしまった。そういうことなら……)
依頼人の幼子に視線を移せば、ルビーニアは養父の言葉を噛みしめるように聞き入っていた。エルマはすっと息を吸い、とびきりの笑顔を作る。
「わかりました。そういうことであれば、糸をほどかせていただきます」
エルマ本人は自覚がないが、ファントマジットの固有魔法を継いだ者は、感情が著しく高ぶった時と魔法を使う時、瞳が菫色に染まる。
「……すごい」
そう零したのは、客人二人のどちらかだったか、それとも同様に呆然とエルマを見つめるスファルバーンだったのか。
客間にはしばし、エルマの小さな鼻歌だけが流れていた。作業開始前は、注目を集めることに居心地悪そうにしていたエルマだったが、一度深い集中に入ってしまえば誰も彼女を邪魔することはできない。
細く華奢な指が何かを撫で、爪を引っかけ、見えない、けれどそこにあるらしい何かをより分けていく。
カチリ、と何か動くような音がしたのとほぼ同時、ほのかに輝いていた瞳が焦げ茶に戻った。
「終わりました」
エルマが言うと、ルビーニアがパッと顔を輝かせた。
けれど手を出さず、横の子爵を見上げる。先ほどお菓子を前にした時と同じ仕草だ。
「……お前の物だ。受け取りなさい」
子爵は小さく、そう言った。ルビーニアは今度こそ、ソファから飛び降りていそいそとエルマに手を出してくる。
そっと渡してやると、彼女は一拍置いてからえいやっ、と指に力を込めた。
大人がどれほど力を入れてもびくともしなかったチャームが、たやすく幼子の力で開かれる。
その瞬間、子爵が息を呑んだ。
(…………?)
ルビーニアは大きく目を見開いて、しばらく中を覗き込んでいる。
やがて彼女は満足そうに頷くとチャームを閉じ、顔を上げた。にぱっと歯を見せて笑う。
「ありがとう、エルマさま!」
「どういたしまして」
エルマもつられて笑顔になるが、気になるのは子爵の様子だ。
顔を上げれば、彼は呆然としたようになっていたが、エルマが見ていることに気がつくと我に返る。
「あ、ああ……本当に、ありがとうございました。私は……」
彼は言葉を探していたようだが、立ち上がり、ルビーニアに近づく。幼子はぬいぐるみを抱え、ひるんだように後ずさった。子爵は足を止め、一瞬途方に暮れたような顔になる。だが、ぎこちなくしゃがみ、小さな淑女と視線を合わせた。
「すまなかった、ルビーニア。私の早とちりで……大事な物を、勝手に弄って」
「ううん。わざとじゃなかったんでしょう?」
答える前、子爵の青い目が揺れた。
「……ああ」
「これ、つけていてもおこらない? 取り上げたりしない?」
「もちろんだとも」
「大おくさまも?」
「孫がお洒落をしていたら、あの人は喜びこそすれ、非難はけしてしない」
「ベステラは?」
「お前が満足するまで、一緒にいていいんだよ。洗濯は……した方がいいと、思うが」
するとルビーニアは少し不満そうな顔になった。
子爵はくしゃりと相好を崩す。笑っているようにも、泣いているようにも見える顔だった。




