23.月と太陽7
エルマがヴァーリスと共に大広間に足を踏み入れると、一斉に人々の視線が集まった。
「殿下、さてはまた抜け出してきたな……」
「お相手は誰? デビュタントね」
「ほら、あの人よ! ファントマジット家でずっと行方不明だった――」
「先ほどジェルマーヌ閣下がお相手してた子でしょう?」
エルマはうっと息を呑んだ。
が、何を思ったのか王太子はざわめきに応じるように手を広げ、そして仰々しく腰を折る。
「皆々様! ご紹介させてください。こちら我が右腕にして親友、ユーグリーク=ジェルマーヌが溺愛するご婚約者、エルフェミア=ファントマジットです。先ほど渋る友を説得して、一曲お相手する権利を勝ち取って参りました。どうぞ今宵の奇跡を、拍手でお迎え下さい!」
「ヴァーリスさま、何を……!?」
「はいエルフェミア嬢、お愛想。笑って手でも振ればいいと思うよ」
目立つなんて可愛いものではない。怒号のような歓声が上がった。これでは今すぐ回れ右もできない。
エルマは仕方なく、言われた通り、引きつりきったぎこちない笑みを周囲に振りまいてから、ぱっと振り返って小声で猛抗議を始めた。
「殿下、心臓に悪いなんてものではないです。こんなことするなんて、わたし、聞いていません!」
「言ってなかったからね」
「そ……そんな無情な……!」
「大丈夫、エルフェミア嬢。見られるだけで人は死なない。むしろだんだん快感になる」
エルマはむ、と思った。この王太子相手だとついつい相手のペースに持ってかれがち、にやつかれてばかりだが、こちらにだってそれなりの殺し文句は存在する。
「ユーグリークさまに後で言います、卑猥なことを言われましたと」
「やめよう? いや、本当に申し訳なかった、謝るからやめてくれ。あいつは定期的に洒落が効かないんだって、僕の氷像が出来上がるのはちょっとさすがにまずいんだって!」
途端に王太子は慌て始めた。エルマはひとまず溜飲を下げたが、同時に今のは言い過ぎだったろうか、と内心不安を覚える。だがヴァーリスは気を悪くした風はなく、むしろ感心していた。
「ユーグは今後尻に敷かれそうだな。全然心配することなんかないじゃないか、しっかりしている」
「その……申し訳ございません、口が過ぎました」
「それ。それが罪作り。強気と弱気が交互に来る。これはね、ぐっと来るよ、仕方ないよ。あ、でも僕以外にはそれ、程々にしといた方がいいよ。うっかり本気になる奴出そうだから」
「で、殿下……?」
「まあユーグが怖いから大丈夫か。それとご安心ください、レディ。僕は自他共に認める女好きですから、好色と言われてもただの事実、悪口には入りません」
エルマが思わず苦笑いで吹きだしてしまうと、ヴァーリスはにっこり微笑んだ。
「はい、それじゃそのまま、吸って、吐いて、深呼吸――ほら、体が軽くなったでしょ?」
エルマは先ほどまでぐるぐると頭の中を支配していた、「うまくやらなければ」という気持ちがなくなっていることに気がついた。
周りの視線や声も、相変わらず続いてはいるのだが、王太子のダンスの妨げにならぬよう、遠慮して遠巻きにしているらしい。おかげで隣のカップルにぶつかる心配もしなくて済みそうだ。
いつの間にか広間の真ん中まで歩み出ていた二人が手を取ると、ゆったりしたワルツが始まった。
ユーグリークと踊っている時はとにかく夢中で夢見心地で、ふわふわと飛ぶように時間が過ぎた。
スファルバーンと踊った時は、お互いにぎこちなさを孕みつつも、失敗しても気にせずにいられる気安さのようなものがあって楽しめた。
ヴァーリスはさすがに女性慣れしている、という感じだ。エルマよりずっとエルマの動きを理解していて、心地良く気持ちよく踊らせてくれる。エルマは普通に練習通りのステップを踏んでいるだけのつもりなのだが、何倍もうまくなったような気がするから不思議だ。
「まだ緊張してるかい?」
「大分楽になりました……殿下は本当にお上手ですね」
更に彼は、まるでただ歩いているかのように自然な誘導をしてくれるから、余裕があって言葉も交わしやすい。
エルマが言うと、ウインクが返された。
「そう、僕と踊ると三倍うまく見えるから」
「本当に――あっ、あの、でも、ユーグリークさまが下手と言うわけではないんです! ご一緒しているときは、とにかくこう、幸せで、気持ちが舞い上がって――」
「わかってる、わかってる。後で伝えておくよ、こちらから口説くどころか、ずっと惚気話を聞かされていたよって」
「ヴァーリスさま……!?」
「ではせっかくだから、レディのご要望にお応えして、学生時代のエピソードを聞かせて進ぜよう。あれはそう、僕が初めてユーグリークと会った時のこと――」
その後ユーグリークのあれこれで会話を楽しんでいたが、曲が終わりに近づくとヴァーリスは「続きはまた今度」と話を畳んだ。
名残惜しい――というよりもっとユーグリークの昔の話が聞きたかった、とエルマが思っていると、少々真面目な顔になった彼が小さめの声で話しかけてくる。
「これで充分衆目を集めたから、ガリュースも悪さはできない。あいつは優等生だからね、僕と違って人目のある所で失敗できないんだ。そつのないダンスをして終わると思うよ」
「お気遣いいただきありがとうございます、殿下」
「いやいや。大親友の恋人なんだもの、この程度のことはね」
ちょうどのタイミングで終わりになり、ヴァーリスとエルマがお辞儀をしあうと拍手が上がる。
エルマはきょろきょろと目をさまよわせたが、すぐに目当ての覆面を見つけた。顔が見えずとも、微笑みかけてくれているのがわかる。
その彼がすっと視線を逸らした先に、もう一人の王子殿下が立っていた。
光のない目で見据えられるが、エルマは臆することなく見つめ返し、ヴァーリスに伴われて歩んでいく。
「――君みたいな子がさ。ユーグの運命の女性で良かったと、僕は結構本気で思っているよ」
「……はい?」
途中、ヴァーリスが何か呟いたような気もしたが、聞き返してみると何でもない、というように彼は首を振った。
第二王子とのダンスは、驚くほど何事もなく終わった。
取り巻き達しかいない場所ではなかなかに個性的な本性を見せたガリュースだが、人目がある所では大人しすぎる程だった。とにかく動きに無駄がなく、人間というより操り人形でも相手にしているような錯覚すら時折覚えそうになる。
踊りにくくはない――むしろ彼もヴァーリス程とは行かずとも充分素晴らしいパートナーたり得るのだが、ずっと踊っていたい相手でもない。これならスファルバーンと、間違えたステップに笑い合う方がずっと楽しい――エルマはそんな印象を受けた。
ユーグリークに牽制されたためだろうか、最初の挨拶以外、第二王子は特にエルマに何か話しかけてくることはなかった。
時折じっとエルマを射竦めようとしていたかもしれないが、その度にちらりと別の場所に視線を送っては目を逸らす。
おまけに曲終わりの礼が終わった途端、ユーグリークが人の群れを割って歩いてきて、別れの挨拶すらろくに済まないうちに、さっさとエルマを連れて行く。
「だ、大丈夫でしょうか、殿下相手に無礼なのでは……!?」
「文句があるなら言ってくるだろう。言わないなら何もない、そういうことだ」
彼はしれっとそう言い放ち、充分ガリュースから離れた所でエルマに向き直った。
「……これで七曲か。さすがに疲れただろう、随分無理をさせた――」
「ユーグリークさま、あの……わたしと踊っていただけませんか?」
「エルマ。でも、もう足が」
優秀な武官でもあるユーグリークは、そろそろエルマの足取りが最初と比べて元気がなくなっていることに気がついているのだろう。履き慣れない靴に、慣れないダンス。体にはもう充分過ぎるほどの疲れが溜まってきている。
それでもエルマは、じっとユーグリークを見上げた。
「今、踊りたいの……ユーグリークさまと。駄目ですか……?」
公爵子息の動きが数拍止まった。ゆるゆると頭を振ってから、再び大広間のフロアに婚約者を連れ出す。
「もう、真面目にステップを踏もうとしなくていいから。歩いているだけで、何なら立っているだけでもいい」
「はい」
「痛くなったら――いや、もう痛いんだろうが、とにかくすぐに――」
「わたし、今日、とても頑張りました」
「え? あ、うん、それはそうだ……が……?」
くどくど続けようとしていたユーグリークだが、エルマが唐突に切り出すと、おそらくはきょとんと目を見張った。
エルマは相手の様子に釣られて一度怯みそうになるが、疲労は賢明で慎み深い理性をも弱めていた。望むままに、思い切って近づき、囁きかける。
「ですから、ご褒美をくださいませ……閣下」
その年、デビュタントのお披露目会で、一人の令嬢が鮮烈な社交界入りを果たした。
かのファントマジット魔法伯が長年探していた忘れ形見がようやく見つかった、どうやら今までは平民暮らしをしていたらしい――という所から既に興味深いが、より人々の度肝を抜いたのは、あの氷冷の魔性ことジェルマーヌ公爵家子息の婚約者として紹介されたことである。
しかもどうやら恋愛結婚のようだ。さらに、どうやら公爵子息はかの令嬢に、それはもうベタ惚れのようであった。
今まで令嬢から声を掛けられると渋い反応しかしなかった男が、真白い衣装の初々しい娘の手を取ってずっと側について回り、婚約者に周りが好奇の目を向ければ即座に「文句でもあるのか?」と無言の圧を放ってくる。
自分が見られても相変わらず無反応なのに、婚約者が対象になるとそれはもう気持ち悪いほどに反応が早い。
その一方で、婚約者に顔を向けている時、醸す空気のまあなんと幸せ感満載なこと。かける声のなんと甘く優しいこと。どこからどう見ても全身で恋をしている。あの氷冷の魔性様が。
「本当に閣下なのか……?」
と話しかけてみたら、こちらにはいつも通りの塩対応が返ってきたので、声を掛けた貴族達は安心したような化かされたような複雑な気持ちになった。
さてでは肝心のお相手はどうなのか、と注目してみれば、可愛らしくはあるが特筆すべきこともなさそうな、実に平凡な娘である。
が、時折はっとするほど眩しい笑みを浮かべるから油断できない。
それにしても平民上がりだからだろうか、なんというか、読めない。
婚約者の次にダンスの踊り相手に選んだのは、実に地味でどこの馬の骨ともわからない青年である。
聞けば親戚らしいが――と訝しんでいる間にいつの間にか姿が消えて、貴族達の興味はいったん薄れる。
ところが今度は王太子を引き連れて戻ってきた。
しかもその次には第二王子の相手を務めた。
その上で、今までの二人は前座とばかりに再び婚約者を引っ張り出し――最後の曲が終わると、大事そうに抱きかかえられて出て行った。
前代未聞だが、相手が氷冷の魔性様なので誰も文句を言えなかった。両親の公爵夫妻も、止める間もなかったらしい。
王太子に至っては完全に面白がっており、後で両親からこってり絞られたとかなんとか。これはいつも通りなのであまり気には留められなかった。
何なのだ、彼女は。何者なのだ、エルフェミア=ファントマジットとは。
王城は当分、この話題で持ちきりになりそうだ。
また、彼女のいるファントマジット家は、しばらく手紙の山に埋もれることになるのであった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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