6.敵意と好意
事件はファントマジット邸で起きた。
領地から戻ってきたエルマの伯父――ファントマジット魔法伯家の現当主は、以前と変わらぬ様子で親しげに笑いかけてきた。
「久しぶりだね、エルフェミア。一月ぶりぐらいだろうか? また一段と綺麗になったようだ。社交界で君を紹介できる日が待ち遠しいよ」
「お久しぶりです、伯父さま」
「母上もお変わりなく」
「ま、わたくしはついでね。でもいいわ。わたくしも、エルフェミアがいるから毎日幸せなの」
知っている者同士での挨拶を交わしてから、伯父はエルマに連れてきた男性陣を紹介しようとする。
「本当は家族皆の予定だったんだが、妻は体の調子が良くなくてね。ひとまず男達で先に来た。この二人は、前に少しだけ話した君の従兄弟達だ。名前は――」
「従兄弟ですか?」
魔法伯の言葉を、冷ややかな声が遮った。
伯父に伴われている青年は二人。エルマより少し年上か、同い年ぐらいだろうか。
片方は眼鏡をかけており、声を上げたのもこちらだ。
目が合った瞬間、エルマの脳裏に一つの光景がフラッシュバックする。
雨の日。墓前。コートの紳士。
フレームに縁取られてこそいるものの、青年がエルマを睨む眼差しは、母を断罪しに来た祖父が振り返って見下すようにこちらを見た――その目にとてもよく似ていた。
全体的な容姿は、体の色も服も黒っぽく地味な印象で統一されているのだが、目だけは鋭く、猛禽類を思わせる。
「に、兄さん。や、や、やめな、よ……」
傍らのもう一人が眼鏡の青年を小突く――というより、そっと服の裾をつまんで囁いたようだ。引っ込み思案な性格をしているのか、ところどころ話す途中で言葉が切れる。
すると眼鏡の青年は引き下がるどころか、ますます剣呑な雰囲気を深めた。
「やめる? 大人げない、後にしろとでも? 最初に曖昧にしたら後なんてなくなるだろ。だからボクはここではっきりさせてやる」
「ベレル」
「父上。ボクは疑問です。なぜ泥棒が我々の一員のような顔をして、そこにヘラヘラ突っ立っているのです?」
宥める声を振り切って、眼鏡の青年はエルマの事を指差し、きっぱりと言い切った。場の空気が凍り付く。
「ベレル、お前……!」
「失敬、泥棒は言い過ぎたかもしれない。我が家の秘宝を盗んでいったのは母親の方でした。ではこう言い直しましょう。階下の人間が何故、階上の部屋にいるのです?」
魔法伯が声をかけても、青年は態度を改めようとしなかった。ただ真っ直ぐエルマに向かって、「身の程知らずは出て行け」と全身で主張している。
魔法伯夫人が、動けずにいるエルマの前にさりげなく足を踏み出し、強すぎる視線から庇う。
「……ベレル、話していなかったかしら。わたくしのもう一人の息子、アーレスバーンには娘がいたけれど、行方不明になっていた。それがようやく見つかったのよ、って――」
「ボクは認めていない。ファントマジット家の当主もだ!」
祖母の穏やかな口調に、青年はついに怒鳴りつけて返した。
祖母は目を細めて言葉を切る。
エルマと気弱そうなもう一人の青年は、大声に萎縮した。
一方で、戸惑いと驚きの色が強かった魔法伯は目に怒りを宿らせる。
「ベレルバーン、ファントマジット家の当主は私だ。それに父上も、晩年はアーレスを追い出す形になったことも後悔して――」
「アーレス、アーレス――またアーレスバーン、反吐が出る! この家は一体いつまで死んだ人間を中心に回っているつもりなんだ? 跡継ぎでもない、義務を放棄した、ただの病人相手に!」
ありったけの負の感情を吐き出す青年の様子に、エルマはただただ圧倒されていた。
今まで死んだ父の思い出を語る人達は、皆好意的だった。
だから、こんな風になじられることがあるなんて、思ってもみなくて。
「今日ここに来たのは、身の程知らずに直接そう言ってやらねば気が済まなかったからです。ご安心を。今期はこの屋敷には泊まらないので」
眼鏡の青年は自分の用事は済んだ、とばかりに出て行こうとする。
「ベレル、待て! 彼女に謝りなさい!」
追いかけようとした魔法伯に向かって、眼鏡の青年はさっと手を振る。
魔法伯がはっと上げた腕に、放たれた弾丸のようなものが続けざま当たった。
彼は呻き声を上げて手を抱え込み、その場に膝を突く。
「トーラス!」
「と、と、父様……!!」
最後に魔法伯に駆け寄る祖母と弟、それから相変わらず立ち尽くしたままのエルマに一瞥を送ってから、眼鏡の青年は姿を消した。
「とんでもない挨拶になってしまった。エルフェミア、本当にすまない」
「いえ――! それより、腕のお怪我は……?」
「何、大したことではない――が、数日はこの調子かな。あいつめ、的確に痛い場所を抉っていきおった……」
伯父は左腕に包帯を巻き、首から吊り下げていた。動かすのは痛そうだ。利き腕でなかったのが不幸中の幸いなのだろうか。
いつも冷静で穏やかな祖母が、珍しく隠しもしない徒労感を滲ませ、目元を押さえる。
「ベレルは昔から夫に――あの子の祖父に似ているところがあったわ。アーレスのことを快く思っていないだろうことも、知っていた。けれどまさか、こんなことをするだなんて……」
「私の失態です。エルフェミアの話をした時、珍しく顔を見てみたいと言い出したものですから、さすがのベレルも従姉妹は大歓迎なのだとばかり……」
「そうね、わたくし達の失態でしょう。……アーレスはずっとこの家の心残りだったもの。今でもそう。だけどそれは、今を蔑ろにしていい理由にはならない」
小さな声は、自分一人に言い聞かせているもののようだった。
顔を上げた祖母は、エルマに微笑みかけてくる。いつもの笑顔より元気がなかった。
「本当にごめんなさいね、エルフェミア。あなたに会わせる前に、こちらでまず話し合いをすべきだったのに」
「いえ……」
伯父と祖母に謝罪を述べられると、エルマは恐縮した。
こちらも笑みを取り繕おうとするが、胸の内は重たい。
(タルコーザ家では、わたしは虐げられて当たり前の娘だった。ここ、ファントマジット家では、優しくしてもらえていた。いつの間にか、親切を当たり前だと思っていた。他の家族にも、当然受け入れてもらえるだろうと、思い込んでいた……)
あの目は、エルマの傲慢さを見透かして糾弾するかのようだった。
――何故ここにいる?
その通りだ。本来ここにいるべき存在ではないのに、好意と幸運に甘えていただけで……。
「に、にに、兄さん、は。ひ、人に、厳しくて。じじ、自分にも、だけど」
耳慣れぬ声に顔を上げると、気弱そうな青年がもじもじ手を擦り合わせていた。エルマが目を向けるとひゃっと声を上げ、そわそわと視線をさまよわせ始める。
「こ、こんな、に、は、激しいのは、久しぶり、だ、けど。きき、君だけじゃ、なく、なく、て。あ、あああまり、きき、気に、しすぎ、なななくて、いいい……」
随分つっかえながら喋るので聞き取りにくいが、どうやら慰めようとしてくれているのはわかった。
エルマはふっと微笑みを浮かべる。
「お気遣い、ありがとうございます。えっと――」
「――スファル。スファルバーン=ファントマジット。我が家の次男で、君の従兄弟だ」
エルマが相手の名前を知りたがったのをくみ取り、横合いから伯父が補足した。
にひ、と紹介された青年は、ぎこちなく口角を上げる。
「もう既にわかっているかもしれないが、少し喋り方に癖がある子でね。慣れるまで耳心地は良くないかもしれないが……害意あってのことじゃないんだ。同い年の十九歳だし、仲良くしてくれると嬉しいよ」
「よ、よよ、よろし、く。エルフェミア……」
「よろしくお願いいたします、スファルバーンさま。そして、ありがとうございます」
エルマが頭を下げると、従兄弟はさらに手を擦る速度を上げた。……擦りすぎて熱くなったのだろうか、そのうちにぴらぴらと両手を振っている。
「……さて、気を取り直して、お昼にしましょうか。今日はトーラス達が来るからと思って、少し豪華にしてもらう予定なのよ」
「それは楽しみだ」
祖母が張り切るように声を上げれば、伯父もそれに応じ、従兄弟は大人しく二人に続く。
エルマもなるべくいつも通りを心がけた。
けれど気にしない、と心がける程に、胸の苦しさが強くなっていくような気もしていた。
四人で和やかに昼食を済ませた頃、執事が杖を突きながらやってきて、祖母に何か耳打ちする。
彼女はピンと眉を跳ね上げたかと思うと、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにしてエルマの方を見た。
「ちょうど良かったこと、エルフェミア」
「…………?」
「閣下からご招待よ。――我が家の自慢の馬に乗りに来ませんか、ですって」
人が増えてごちゃごちゃしてきそうだったので以下ファントマジット家まとめ。
・オーグバーン
先代当主。故人。エルマの祖父。
病弱な次男を溺愛していたが、メイドの後を追って家を出たため激怒して勘当した。
・ウェステリア
先代魔法伯夫人。エルマの祖母。
夭折した息子アーレスバーンに対し、自分がうまく夫を宥められずに死なせたと負い目を感じている。
・トーラスバーン
現当主。エルマの伯父。
そつのない優等生で特に問題も起こさず当主となった。
ファントマジット家の固有魔法は受け継いでいない。
・アーレスバーン
先代魔法伯子息。故人。エルマの父親。
希少魔法の使い手だったが、生来病弱だった。
メイドのシルウィーナに恋をし、当主に暇を出された彼女の後を追って家を出たが、娘が物心ついてまもなく病死した。
・ベレルバーン
魔法伯子息その一。エルマの従兄弟。
地味な容貌で眼鏡をしている。
故人アーレスバーンへの敵意を隠そうともしないが……。
・スファルバーン
魔法伯子息その二。エルマの従兄弟。
気弱で吃音癖がある。




