過去編 凍てつく心閉ざして5
老師から孤立への忠告があったとは言え、顔を隠すようになったユーグリーク少年は内向的な面が強くなっていった。
ただ屋内で本を読むのを好むようになったとか、その程度ならばまだ良い。
深刻なのは、体の奥深くに刻まれたであろう、他人への不信感だった。
中でもユーグリーク少年には、成人男性に対する苦手意識が出来上がってしまっていた。
若い男に近づかれると、体がこわばり、呼吸が浅くなり、集中に乱れがみられるようになる。
たとえば物を受け渡す際に手が触れると、必ずと言って良いほど取り落とすのだ。
本人はあくまで大丈夫だと主張するのが、より一層痛々しい。
顔を隠していても、そういうときはいつも真っ青になってぎゅっと唇を噛みしめているのが、関係者にはわかりすぎるほどだった。
これは両親、特にジェルマーヌ公爵にとって非常に大きな問題だった。
嫡男はいずれ公爵当主となる。
今のままでは本人が辛い思いもするだろうし、それ以上に関係者各位に迷惑をかけてしまう。
だがだからといって、息子以外の誰かを公爵にする選択肢はありえなかった。
親としては、確実に子どもを傷つけ、他人との交流に終止符を打たせるだろう手など取りたくない。
当主としても、そのほかの候補者を今から養子に迎えた場合、引き継ぎに相当の困難を極める事が予想される。
ユーグリーク本人であれば、たとえ性格に難ありに育っても、貴族社会や領民達に受け入れられる事自体は自然に進むだろう。血統と魔力はわかりやすい正統性だ。
早急に過ぎてはいけない。
けれど成人前までには、克服してもらわねばならない。
そこで目に留まったのが、モスコーバ家だ。
不運な未亡人は元々騎士であり、結婚を機に退職していたが、二人の子ども達のために再就職先を探していた。
姉弟は、上の子がユーグリークの二つ年上、下の子が一つ年下。
ジェルマーヌ公爵領に新しくやってきた騎士一家は、すぐに屋敷の者ともなじみ、問題の嫡男の信頼も勝ち取ってみせた。
おそらく自分を加害するイメージと結びつかない相手となら多少は打ち解けてくれるだろうか、と考えた主君の読みは正しかったということなのだろう。
主婦から復帰したばかりのモスコーバ夫人は、普通の騎士に比べて大分雰囲気が柔らかかったし、子ども達はどちらも明るく積極的だが、分はわきまえられた。
中でも姉――ティリス=モスコーバの存在は大きかった。
「はじめまして! あなた、ユーグリーク様? 本当に変な格好してるのね!」
これが初対面の時の挨拶である。変な格好、とは頭の被り物を指差してだ。
母と弟はすぐに血相を変えて平謝りしてきたが、ユーグリークにはかえってこの明け透けさが新鮮、かつ好ましいものに感じられた。
この相手ならば、面と向かって嫌いと罵ってくることはあれど、裏で陰口をたたくようなことはあるまい。
彼はそんな風に直感したし、実際そういう性格の少女だった。
ユーグリークにももちろん姉はいたが、十以上年が離れており、弟の方が物心つくころには既に大人の女性になっていた。
そしてユーグリークの遊び相手となると、もっぱら彼女ばかりが担当していた。
ティリスは彼にとって、初めて間近に長時間接する同年代の異性だった。
少女の発育は少年より早く、何かと年長ぶるが、所詮は二つしか違わない。
少しだけ先を進む子どもの存在は、ユーグリーク少年の生活をとても明るくした。
「ちょっと! こんなに晴れてるのに外に出ないとか正気? 本なら芝生の上でも読めるでしょ! むしろお天道様の下の方がよく見えるわよ!」
時には活動的な所に疲れを感じたり、何かにつけて年上ぶることに不満を覚えることもあった。
そんなときには、気弱な弟とよく気が合った。
姉に連れ回されてしょっちゅうべそをかいていた彼を慰めてやったり、ティリスから隠れて二人でのんびり静かな時を過ごすのも、穏やかで楽しい時間だった。
ユーグリークが馬の扱いにより興味を示し始めたのも、ティリスに触発されてのことである。
何しろ彼女は非常に乗馬がうまかった。
しょっちゅうポニーで柵を跳び越えては、後で母親に怒られ、頷くフリをしながらちょっと目が離されると舌を出す。
ティリス=モスコーバはユーグリークにとっての初恋だったのか、と聞かれれば、わからない、と答えるのが正直な所だ。
こ生意気な活動家のまぶしい姿に、憧れずにいることは難しかった。ああなりたい、と思ったのは確かだ。
少なくとも一緒にいて本当に楽しい相手だったし、もしあのまま大人になっても同じ関係が続いていたのなら――婚約を申し込んだ、そんな未来もあり得たのかもしれない。社交界で薄布越しに勝手に好奇や偏見の目を向ける娘達よりは、ティリスの方がずっと親しみやすい相手ではあっただろう。
けれど、友情は愛情に育つどころか決裂した。
ティリスは結局、ユーグリークの青春に一番深い傷を残したかもしれない人物となってしまった。
ユーグリークが十歳の時の出来事である。




