過去編 凍てつく心閉ざして3
「傾国の、相……?」
幼子を連れてきた両親は不安の声を漏らし、互いに顔を見合わせた。
宮廷魔道士は老師の名にふさわしい見た目をしていた。
真っ白で長いあごひげに、年季の入ったローブとつばの広い三角帽子を身につけている。
いかにも典型的な年老いた魔法使い、という格好だが、どことなくうさんくささも漂う。
ひょひょ、と彼が笑い声を上げると、肩に止まっていたカラスが相づちでも打つかのように一声上げた。これもまた不気味だ。赴いた場所が、普段人の通らない城の古く薄暗い場所なのも、雰囲気に一層、物々しさを与えていた。
「そうですじゃ。いかにニブチンで無知な者とても、一目で常人と違う面相であることは理解できましょうぞ。加えてこの坊やにはしるしがある」
「……しるし?」
「それ、右目の下にぽつんとござろう。寵愛の刻印がくっきりと」
ユーグリークが尋常でないほど顔が整っているのは、もはや疑いようもない。
右目の下の泣きぼくろも、赤子の頃からの特徴だ。
しかし“傾国の相”にはいまいちピンとこない。
困惑を深めていく親子を前に、老人はあごひげを撫でながら続けた。
「かつてこの世は人ではなく、魔女と竜によって支配されていた――この話はご存知ですか?」
「はい。魔女は絶大な魔力と恐怖で人間を支配していた。けれどあるとき、神託がもたらされた。東の森からやってくる英雄が魔女と竜を遠ざけるだろう。その通り、聖剣を手にした一人の男が魔の森を抜けてやってきた。彼は協力者を集め、ついには魔女を討ち果たし、竜を北の彼方、氷の向こうへと退けた――この英雄がプレストリア王家の先祖で、我が祖も討伐に同行した剣の使徒に連なるものと聞いています」
答えたのは公爵だ。老人は頷く。
「その通り。その魔女ですがな。そもそも彼女が人並み外れた魔力を有していたのは、寵愛の刻印を得ていたためなのですじゃ」
「その……寵愛の刻印、とは? 魔女は誰に愛されたというのですか?」
「魔女が悪霊を降ろして力をふるった、という話もまた、有名でしょうな? ま、悪霊と勝手に呼ぶのは人の都合。彼女は精霊の愛し子だったのですじゃ。つまり、精霊が愛と加護の証を与えたものが寵愛の刻印であり、すなわち――」
「待ってください――そんな!」
老師の言葉を遮ったのは、公爵夫人だった。
彼女は息子をぎゅっと抱きしめ、老人にすがるような眼差しを向ける。
「それはつまり、ユーグリークが伝説で討伐された――あの邪悪な魔女と同じなのだと、貴方はそう仰っているの!?」
老師は静かに首肯で答えた。彼の肩で再びカラスが鳴く。
「で、でも! 泣きぼくろが魔女の証だなんて、そんなの聞いた事がありません」
「そうです、私も……それどころか、魔女には顔がなかったと、そんな話だったはずですが――」
「魔女の死後、プレストリアは後世に残す情報を整理したのですじゃ。傾国の相を持つ者には必ず刻印がつけられるが、ほくろが全て刻印であるわけではない。それが魔女の恐怖に怯える人々に、どれほど正確に伝えられましょうや? 証の事を一般に流布すれば、必ず無益な血が流れ、それどころか最悪国がなくなる――全身のどこにもほくろのない人間を探す方が、難しいでしょうからな。それゆえ記録の魔女は、“無貌”と伝えられているのです」
絶句する夫妻を見つめてから、魔道士は大きく目を見開いたままの幼子に視線を落とした。
「寵愛の刻印とはたぐいまれなる才能ですじゃ。精霊の愛を受けて生まれた者は、無尽蔵の魔力を与えられる。ただの人間には到底受け入れがたく、有り余るほどに。しかし精霊達はあくまで寵愛しているのですから、本人が損なわれることはございませんですじゃ。ご両親を害すれば誕生と成長が妨げられますから、それもない。ただ、他の人間には……この子から漏れ出す力が悪さをする。たとえば抑制のたがが外れる。たとえば過剰な幸福感を感じる。たとえば急激な変化に追いつかず、拒絶反応が出る。――今はまだ、元々抑制の弱かった人間しか凶行を起こしますまい。けれど魔力は体と共に育つもの。それに伴い、寵愛の誘惑力も増していくことでしょう」
「その寵愛とやらは、どうにかできないのですか? 同階層にある異界の住人を、特に魔法使いが無碍にして良いものではないと、理解はしている。だが、勝手に押しつけてきて、一生を曲げさせるだなんて、そんなのあまりにも理不尽では――!」
「これは契約になりますじゃ。縁が結ばれたのは誕生前。破棄するとはすなわち……命を返すということ。人にとっては理不尽でも、精霊にとってはただ契約を果たしているだけに過ぎぬのです」
「生きている限り、勝手に魔力が溢れ、そのために他人を傷つけることを拒むことはできない、と……?」
「そうなりますな」
「何が、何が寵愛だ――こんなもの、呪いじゃないか!!」
「ほほ、閣下。何を仰る」
からりと笑った年齢不詳の魔法使いは、白んだ目を細める。
「たとえ種族も世界も変わろうと、愛の始まりとは独占と独善――呪いの本分とは、純愛に他なりませぬでしょう?」
ひょうひょうとした様子の老爺が、酷く冷たく諭すようであった。
一方的に与えられ、拒絶することも許されない寵愛に抗議していた公爵が、気圧されるように黙り込む。
母は幼子を抱きしめたまま、ハラハラと涙を流し続ける。
「老師。この子が……この子が不幸にならずに済む道はないのですか。他人が惑うのは、この子の意思とは関係ないのでしょう。それとも両者の最大の幸福のためには、一生誰とも会わない場所に閉じ込めておけとでも言うのですか」
「幸い、というべきでしょうか。傾国の相はその名の通り、顔に表れる。特に目――視線を合わすとは、単純にして強固な縁結び。つまり魔力を抑制・遮断する布で顔を隠せば、大幅に抑制することができるようになる……と、考えられまする」
絶望していた両親の顔がパッと輝いた。
一生顔を隠せというのも、酷ではあろう。
だが、魔女になる前に殺せ、あるいは閉じ込めて二度と人前に出すな、と言われるよりはずっといい。
大人しく聞き分けの良いユーグリークは、ショックを受けた顔ではあったものの、特に抵抗することもなく受け入れた。
帰り際、大人達がこの先を話している隙を見て、ちょいちょいと老人が幼子だけを招く。
「坊や。お前さんにだけ教えておこう。魔女もな、最初は顔を隠していたのじゃ。多くの人のために、自分のために。けれどあるとき、それをやめた」
「……どうして?」
「さあのう、今となっては誰にもわからん。じゃが儂は……独りになったからではないか、と推測しておる。内側に精霊の力を宿そうと器は人間じゃ。人は独りで生きるものではない」
相づちも曖昧になったユーグリークの頭をくしゃりと撫で、老人は優しく、そして寂しげな笑みを浮かべた。
「愛がお前さんを不幸にする。じゃがいずれお前さんを救うのも、また愛じゃろうて。独りになるでないぞ、坊や。儂ゃお前さんとは殺し合いとうない」
うん、とユーグリークは頷いた。
正直頭がぼんやりとして……ただ、自分がとても悪い奴なのだということだけを理解して、それ以外はあまりわからないまま。




