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論語を読む  作者: 三河
里仁
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能以禮讓爲國乎

・原文

子曰、能以禮讓爲國乎、何有。

不能以禮讓爲國、如禮何。


・書き下し文

子曰(しいわ)

()(れい)(じょう)(もっ)(くに)(おさめ)んか、(なに)()らん。

()(れい)(じょう)(もっ)(くに)(おさめ)ずんば、(れい)如何(いかん)せん。


・解釈

礼儀正しく譲り合いの心で国を治めるならば、治政の何が難しくあるだろうか

国を治めるのに礼儀正しさや譲り合いの心がないのであれば、礼制儀式は何のためにあるというのか


・私言

譲り合いの心は大事だが、譲り合ってばかりでは何も決まらんと思うのだがな?

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