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論語を読む  作者: 三河
八佾
57/196

射不主皮

・原文

子曰

射不主皮。

爲力不同科。

古之道也。


・書き下し文

子曰(しいわ)

(しゃ)(かわ)(しゅ)とせず。

(ちから)(なす)(しな)(おな)じくせず。

(いにしえ)(みち)なり。


・解釈

礼射は的に矢を突き立てるが重要なのではない。

人の力量は同じでは無いからだ。

これが古式ゆかしい射の作法である。


・私言

ここで言う射は礼射を言うらしい。

儀式において、決まった作法に基づき矢を射るのが礼射・・・らしい

立ち振る舞いの美しさが大事なのかな?

一方、的を射抜くのを第一とするのが武射・・・というらしい

でも折角射るなら的に突き刺さった方がカッコイイよね。

それに当たらなかったら、なんか不吉な感じがするよ。

吉兆占いを伴うなら特にね。

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