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論語を読む  作者: 三河
八佾
54/196

王孫賈問曰

・原文

王孫賈問曰

與其媚於奧、寧媚於竈、何謂也。

子曰

不然。

獲罪於天、無所禱也。


・書き下し文

王孫賈(おうそんか)()いて(いわ)

()(おう)(こび)んよりは、(むし)(かまど)(こび)よ、とは(なん)()いぞや。

子曰(しいわ

(しか)らず。

(つみ)(てん)()れば、(いの)(ところ)()きなり。


・解釈

王孫賈さんが尋ねた。

『祖霊神に媚びるより、むしろ竈の神に媚びよ』とは、どのような意味があるのでしょうか?

孔子は答えられた。

『それは誤りである。』

『もし天に対して罪を負えば、如何なる神に祈っても無駄となる。罪を負わぬようにするが肝要』


・私言

『祖霊神に媚びるより、むしろ竈の神に媚びよ』

【役に立つのか立たないのかわかりにくいご先祖様より、毎日確実に使う竈を大事にせよ】というような意味だったのだろう

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