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論語を読む  作者: 三河
八佾
43/196

三家者以雍徹

・原文

三家者以雍徹。

子曰、相維辟公、天子穆穆。

奚取於三家之堂。


・書き下し文

三家者さんかしゃようもってっす。

子曰しいわく、たすくるは辟公へきこう)天子てんし穆穆ぼくぼくたりと。

なんぞ三家さんかどうらん。


・解釈

御三家が祭祀を終える時に雍の詩を詠っていた。

孔子はこれについて苦言を呈する。

雍の詩には『諸侯は粛々と祭祀を執り行い、天子は厳かに佇む』とある。

これを御三家の祀りで詠うのは相応しくない。


・私言

正直何が気に入らないのかがわからない。

『身分不相応な詩を詠むな』といいたいのかな?

だが、そこまで目くじら立てんでも…と思わなくもない。


・余談

【雍】(詩経より、詩経では【雝】)

有來雝雝,至止肅肅。相維辟公,天子穆穆。(諸侯は粛々と祭祀を執り行い、天子は厳かに佇む)

於薦廣牡,相予肆祀。假哉皇考,綏予孝子。(見事な牡牛を捧げ祀り、祖霊は子孫を安んじる)

宣哲維人,文武維后。燕及皇天,克昌厥後。(祖は武王・文王に連なり、その徳は天に届いている)

綏我眉壽,介以繁祉。既右烈考,亦右文母。(我が身は寿ぎ、子孫は栄え、文武に優れた祖霊に守られている)


訳は【おおよそこんな意味だと思う】くらい

何というか人間味のある詩だなぁ

(詩経は結構俗っぽい詩が多い、そこが味でもあるわけだけどね)

『ご先祖様見てる?俺ちゃんとやってるよ!』といった感じに見えるな

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