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論語を読む  作者: 三河
八佾
42/196

孔子謂季氏

・原文

孔子謂季氏

八佾舞於庭。

是可忍也、孰不可忍也。


・書き下し文

孔子こうし季氏きし

八佾はちいつにわまわしむ。

これしのぶべくんば、いずれをかしのぶべからざらん。


・解釈

先生が季さんを批評して言われた。

自宅の庭園で八佾を舞わせる。

これを許せるならば、もはや許せないことなどないだろう。


・私言

季さんとしては、己の力を見せつけるためだったのだろう

【自分は天子様と同じような事が出来るんだぞ】とね

そこに『それが許されるなら、もうなんでもありじゃん』と孔子がツッコんだわけだ

そこまで目くじら立てる事かな?と思わなくもないが、上を敬うのが儒教だからね

それに、身を過ぎた振る舞いは身を滅ぼすから、その忠告だったのかもしれない

天子の威光全盛の時期なら『不遜である』として処罰されるかもしれんわけだしな


・余談

八佾とは舞楽の編制で最大規模、天子にしか許されなかったらしい

それと同じことを、家臣がやってしまったわけだ。

しかも、身分的に季さんは二佾しか許されていなかったわけだから、ずいぶんと調子に乗ってしまっているな


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