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論語を読む  作者: 三河
雍也
128/196

伯牛有疾

・原文

伯牛有疾。


子問之。

自牖執其手


曰、亡之。

命矣夫、斯人也而有斯疾也、斯人也而有斯疾也。


・書き下し文

伯牛(はくぎゅう)(やまい)()り。


()(これ)()う。

(まど)より()()()りて、(いわ)く、(これ)()からん。

(めい)なるかな、()(ひと)にして()(やまい)()るや、()(ひと)にして()(やまい)()るや。


・解釈

伯牛(はくぎゅう)さんが病に罹った。


孔子さんが見舞いに参られ、灯り取りの窓から手を取って言われた。

『亡くなってしまうのか』

『これもまた天命なのか、この人がこのような病に罹るとは、この人がこのような病に罹るとは』


・私言

伯牛(はくぎゅう)さんは(らい)病、現代呼称でハンセン病に罹ってしまったようである。

当然当時不治の病である。

当時の中国で(らい)病患者が如何なる扱いをされたのかは不明ではあるが、対面でなく灯取りの窓から手を取ったとの記述から、差別的な扱いがあったと見てよかろう。


もっとも、(らい)病でなくとも重篤な病なら感染を恐れ、近寄らない・隔離するなどは自然な対応である。

それでも、灯取りの窓からといえども、病人の手を取った孔子さんには慈しみの心が有ったと言えよう。

きっと皆に止められたけど、無理言って見舞いに来たのだろう。


しかし、病人に向かって『亡くなってしまうのか』というのは直截的に過ぎやしませんかね?


・用語

伯牛(はくぎゅう):姓は(ぜん)。名は耕。(あざな)は伯牛、孔子さんのお弟子さん


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