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論語を読む  作者: 三河
公治長
119/196

已矣乎

・原文

子曰

已矣乎、吾未見能見其過、而内自訟者也。


・書き下し文

子曰(しいわ)

()んぬるかな、(われ)(いま)()()(あやま)ちを()て、(うち)(みずか)()むる(もの)()ざるなり。


・解釈

もはやどうしようもない。

私は未だに、自らの過ちに気付き、自らを責める人を見たことがない。


・私言

つまり、孔子さん自身も出来てないってことなのだろうか?


・余談

已矣乎(やんぬるかな):憂い嘆き絶望する事、もはや打つ手なく悲劇を受け入れざるを得ない時などに使う。

『やんなるな』(嫌になるな)ではないので要注意。


意味はともかく響きが好きな言葉である。

終電を逃した時、恋人に別れを告げられた時、一世一代の大勝負に敗れた時、そんな時にどうぞ一言


【やんぬるかな・・・】


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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