第九十一話:波涛(はとう)の威、海の公道
長宗我部元親から突きつけられた条件は、瀬戸内の支配者、能島村上水軍の頭領・村上武吉を屈服させること。浪紫は直ちに羽柴秀吉、そして真田信繁(幸村)を呼び寄せ、瀬戸内の海へと乗り出した。
(……武吉は毛利の協力者だが、本質は独立自尊の「海の経営者」だ。彼にとって海は領土であり、通行料は死守すべき既得権益。言葉だけでこれを手放すはずがない。ならば、小田の武力が『海』という異なるフィールドでも圧倒的であることを証明するしかない)
瀬戸内、能島周辺の海域。
小田の軍勢が近づくと、村上水軍特有の軽快な小早が、蜂の巣をつついたように現れた。
「カカッ! 陸の侍どもが、この潮流の速い能島に何しに来た! 魚の餌になりたいか!」
武吉の怒号とともに、焙烙玉が海面を焼き、火矢が雨のように降り注ぐ。村上水軍の十八番である、地の利を活かしたゲリラ戦法だ。しかし、浪紫は船上で静かに戦況を見つめていた。
(……風向き、潮位、敵船の最高速度。すべては計算の範疇だ。)
「信繁殿、今です!」
浪紫の合図とともに、信繁率いる一隊が動き出した。彼らが乗る船は、あえて装甲を薄くし、機動力を極限まで高めた「小田式快速船」である。
「火に怯むな! 敵の懐へ飛び込むぞ!」
信繁の指揮のもと、小田の船団は燃え盛る海を裂き、蛇のような軌道を描いて村上の本船へと肉薄する。常識外の接舷速度に、村上の海賊たちが色めき立つ。
「馬鹿な……!? 潮の流れに逆らって、これほどの速さで近づくなどあり得ん!」
(……あり得るさ。シミュレーションに基づき、逆潮でも最も推進力が得られる角度と、秀吉殿に用意させた多人数漕ぎの仕組みを組み合わせた。陸の理論を海に持ち込めば、それは脅威へと変わる)
接舷するや否や、信繁を先頭に陸戦で鍛え上げられた精鋭たちが村上の本船へ乱入した。揺れる足場など関係ないと言わんばかりの猛攻。武吉が抜刀する間もなく、信繁の槍がその喉元を完璧に捉えた。
「勝負あったな。……村上殿、我らは貴殿の首を獲りに来たのではない」
浪紫が、悠然と村上の本船へと足を踏み入れた。
「……何が、望みだ。毛利を裏切れとでも申すか」
悔しさに震える武吉に対し、浪紫は冷徹に、しかし「利」を説くように語りかけた。
「いいえ。貴殿には、この海を『小田の公道』として管理していただきたいのです。通行料を取る小規模な関守ではなく、日の本全体の物流を司る『海運の長』として、莫大な富を動かしていただく。……つまり、海を閉じるのではなく、開くことでさらなる利を得るのです」
浪紫は、懐から一枚の書状――新たな海の法度を取り出した。
「毛利の傘下でいつ果てるとも知れぬ戦の駒となるか、小田の看板のもとで『海の王』としての地位を盤石にするか。……選ぶのは、貴殿です」
戦での圧倒的な敗北、そして目の前に提示された「海の公道化」という壮大な未来。武吉は槍先を突きつけられたまま、深く息を吐き出した。




