第八十一話:瓦解のロジック
石山本願寺の内側では、浪紫が昌幸を通じて打ち込んだ「矢文」と「流言」が、恐ろしい速度で門徒たちの心を侵食していた。
『主君を毒で狙うは、仏の道か。それとも影に潜む異形の者の仕業か』
浪紫が仕掛けたのは、単なる誹謗中傷ではない。顕如という絶対的な象徴と、その背後にいる「得体の知れない影」を切り離し、不信感の楔を打ち込む分断工作であった。
「……顕如様は、本当に我らをお救いくださるのか?」
「あの影の男が現れてから、毒や暗殺、卑怯な手立てばかりではないか。あれは本当に、御仏の教えに従う者のすることなのか!」
飢えという極限状態の中、門徒たちの間に「正義の不在」という疑念が広がる。
その夜、ついに内紛が勃発した。
九条が管理していた「薬物と武器の貯蔵庫」に、過激化した門徒の一群が押し入ったのだ。
「影の男を出せ! そいつが我らの信心を汚しているのだ!」
これに対し、九条の息がかかった雑賀衆が容赦なく発砲する。
「退け! これは顕如様の御意志であるぞ!」
石山の聖域で、味方同士の血が流れる。
その様子を本丸の屋根から眺めていた九条は、表情一つ変えずに呟いた。
「……ふむ。浪紫。君は、集団の帰属意識を『倫理』という名のナイフで切り裂いたか。期待以上の処理能力だ」
本陣で石山の炎を遠望していた浪紫は、手元の帳簿に大きな×印を書き込んだ。
「源鉄斎殿、秀吉殿からの報告通り、敵の供給は止まりました。そして今、内部の統制も崩壊しました」
浪紫の眼鏡の奥で、冷徹な勝利の計算が完了する。
「……謎の男よ、お前の負けだ。お前は人の『心』を数式として扱いすぎた。俺だって似たようなもんだが……俺には、何度倒れても起き上がる、最高に計算外な『お人好し』がついてるんでね」
浪紫は、ゆっくりと回復しつつある氏治の寝所を振り返った。
次の一手で、この長きにわたる石山合戦に、完膚なきまでの終止符を打つ。




