第七十八話:智のネットワーク
小田氏治の容体は、刻一刻と悪化していた。本陣に集まった医官たちは、未知の毒を前にして祈祷を捧げることしかできず、軍の中に絶望が広がっていく。
浪紫は、苦しむ氏治の傍らで、唇を噛み締めていた。
(……クソ。俺は経営の専門家だ。毒の成分を推測できても、それを中和する具体的な処方箋なんて持ち合わせちゃいない。俺の知識には、医学の領域は欠落している……!)
浪紫は、自分の無力さを即座に分析し、最も合理的な「次の一手」を選択した。自分一人で解決しようとするのではなく、この時代で最も「毒と薬」に精通したリソースを呼び出すことだ。
「真田昌幸殿! 至急、真田の里に伝わる『草(忍び)』の知恵を貸していただきたい!」
浪紫の呼びかけに応じ、昌幸が連れてきたのは、真田に仕える老練な薬師であった。浪紫は、子供の刺客が撒いた粉末の「性質」――揮発性であること、煙を吸った直後に発作が起きたこと――を、現代的な観察眼で詳細に薬師へ伝えた。
「……なるほど。軍師殿、これほど詳細な『状況証拠』があれば、我らの知恵も生きますな」
真田の薬師は、浪紫が提供した情報を元に、真田の里に代々伝わる「解毒の秘薬」と、いくつかの強い薬草を調合し始めた。
「浪紫殿。これに、信濃の山奥でしか採れぬ『霧解草』の根を合わせます。奴が使ったのは雑賀の毒。ならば、山を駆ける我らの知恵が上回るはず」
浪紫は、薬師の作業を注意深く観察し、不足している「環境」を整えることに注力した。
「源鉄斎殿、部屋の風通しを良くし、常に一定の湿度を保たせてください。薬の浸透を早めるには、呼吸を楽にする環境整備が不可欠です」
薬師が作り上げた黒い煎じ薬を、氏治の口に慎重に含ませる。
数刻後、氏治の喉から、大きな塊を吐き出すような激しい咳が漏れた。
「――っ、げほっ! はぁ、はぁ……」
「……呼吸が安定した。峠は越えましたね」
浪紫は、ようやく安堵の溜息をついた。
自分にできないことは、できる人間に任せる。そして、その人間が最高のパフォーマンスを発揮できるように情報を整理し、環境を整える。それこそが、コンサルタント・浪紫零也の真骨頂であった。
「浪紫殿。我らに委ねた判断。流石ですな」
昌幸が不敵に笑う。
「……当然です。専門外の分野で素人判断をかますほど、愚かな経営判断はありませんから。餅は餅屋、毒は真田。それが今回の最適解だったというだけです」
浪紫は眼鏡を拭き直し、再び冷静な軍師の顔に戻った。
氏治の意識が戻ったその瞬間、石山の方向から地響きのような鬨の声が聞こえてくる。顕如が、氏治の昏睡を好機と見て総攻撃を仕掛けてきたのだ。
「……さて。専門外の治療は終わった。ここからは、俺の本業……戦場の管理といくとしょうか」




