第七十七話:汚れなき刃
白煙の中に倒れた氏治を浪紫が抱きかかえる傍らで、羽柴秀吉と真田昌幸の二人は、逃げ去る「子供」の影を逃さなかった。
「……子供を使い捨ての駒にするとはな。浪紫殿が憤るのも無理はない」
昌幸の瞳から温度が消える。
「兄上、あやつら……普通の子供ではありません! 動きが雑賀の練達の者と同じです!」
秀長の叫びを背に、秀吉は自身の精鋭「黄母衣衆」を率いて、迷いなく追撃を開始した。
石山へと続く湿地帯。先ほどまで泣き叫んでいたはずの子供たちは、追手を認めると一糸乱れぬ動きで散開した。
「止まれ! 逃げても無駄だ!」
秀吉が声を張り上げるが、子供の一人が振り返り、懐から礫を放つ。それはただの石ではなく、導火線が仕込まれた「焙烙玉」の小型版であった。
凄まじい爆発音が響き、秀吉の進路が炎に包まれる。
「――ちっ、これほどの小細工、ただの雑賀衆の仕業じゃねえ。あの『影の男』とやらが、子供を教育し直したのか!」
秀吉は、敵が自分たちの「子供には手を出しかねる」という心理的な隙を突いていることに気づき、奥歯を噛み締めた。
一方、真田昌幸は正面から追う秀吉とは対照的に、風下を迂回して先回りを試みていた。
「信繁、向こうの葦原へ追い込め。そこで『真田の網』にかける」
昌幸の指示通り、信繁が一柳直末らと共に子供たちの退路を断つように動く。追い詰められた子供の刺客たちは、湿地の泥に足を取られ、昌幸が仕掛けていた捕縛網の中に転じ込んだ。
だが、捕らえたと思った瞬間、子供たちは抵抗することなく、懐の小刀を自らの喉元へ向けた。
「待て! 死なせるな!」
昌幸の声も虚しく、彼らは一切の躊躇なく自決を選んだ。その表情には、恐怖も後悔もなく、ただ「任務を完遂した」という無機質な安堵だけが漂っていた。
遅れて辿り着いた秀吉と浪紫が、物言わぬ骸となった子供たちを見下ろす。
浪紫は、子供の一人が握りしめていた小さな木札を拾い上げた。そこには、この時代の文字ではなく、浪紫にとって見覚えのある「洗練された意匠」の紋章が刻まれていた。
「……あいつ、わざと残してやがったな」
浪紫は、怒りで震える手で木札を握りつぶした。
(……この手口、この徹底した全体最適。あいつは、この戦国時代を自分の理想の形へ作り変えるための試験運用として、氏治様を狙ったんだ)
浪紫は、まだ名の知らぬその敵が、自分と同じく「情報の価値」を極限まで理解していることを確信した。
「秀吉殿、昌幸殿。これ以上、彼らを追う必要はありません。奴の目的は、俺たちに『恐怖』と『限界』を植え付けることだ」
浪紫は昏睡する氏治が運ばれた本陣を振り返り、低く、重い声で独り言を漏らした。
「……いいだろう。これほど一方的に先行投資を許したままじゃ、コンサルの名が廃る。誰だか知らないが、その慢心、必ず清算してやる」
二人の怪物による知略の応酬は、もはや後戻りできない領域へと突入していた。




