第七十四話:影の邂逅(かいこう)
浪紫からの密命を受けた真田昌幸は、ただちに精鋭の忍びを石山本願寺へと送り込んだ。率いるは、昌幸の腹心である、名を望月という老練な男であった。
「浪紫殿がそこまで警戒するとなれば、ただの曲者ではあるまい。用心せよ」
昌幸の言葉を胸に、望月たちは闇夜に紛れて石山の堅牢な堀を越え、内部へと侵入した。
石山本願寺は、まさに一つの巨大な城塞都市であった。幾重にも張り巡らされた防衛線と、信仰に燃える門徒たちの目を掻い潜り、望月たちは顕如が住まう本丸の奥深くを目指す。
(……それにしても、奇妙な静けさだ。兵糧攻めで飢えているはずの者が、これほど統制が取れているとは)
望月は、違和感を覚えていた。門徒たちの顔色には疲労が見えるものの、不平不満を口にする者は少なく、むしろ不気味なほどの熱気が感じられるのだ。彼らは、まるで何かに「期待」しているかのように見えた。
やがて、望月は顕如の居室から漏れる光と、複数の人影を捉えた。一向宗の重鎮らしき僧侶たちが集う中、望月の視線は、彼らの中にいる「異質な男」に釘付けになった。
その男は、他の僧侶とは明らかに異なる装束を身につけていた。武士のそれとも違う、かといって坊主でもない、まるで異国の民のような飾り気のない直垂。そして、何よりも目を引いたのは、その男の持つ「雰囲気」だった。
(……あれは……)
男の顔は、燃える蝋燭の光に照らされ、その輪郭がはっきりと見えた。細身ながらも研ぎ澄まされたような立ち姿。そして、他の僧侶たちとは異なり、微動だにせず、ただ一点を見つめるその瞳の奥には、感情を読み取らせない冷徹な光が宿っていた。
男は顕如の耳元で、何事かを囁いている。顕如はそれに頷き、時折、地図らしきものに目をやっていた。
(……間違いない。あれが浪紫殿が申された「言葉の通じぬ男」。だが、武士でも僧侶でもない、あの異様な気配。まさか、海の向こうから来た南蛮人か……?)
望月は、男の顔が、どこか浪紫と似た「理」に縛られたような印象を受けることに、漠然とした不安を覚えた。しかし、それを深く考える暇もなく、男がふいに顔を上げた。
その瞬間、望月は背筋が凍りつくのを感じた。男の視線が、まるで望月の隠れる場所を正確に読み取ったかのように、一瞬だけ望月の潜む物陰を射抜いたのだ。
「……ッ!」
望月は即座に身を隠し、呼吸を殺した。勘違いか、それとも――。
「……顕如様。鼠が一匹、こちらを覗いておりましたな」
九条の声が、静かに居室に響き渡る。その言葉は、望月の耳にもはっきりと届いていた。




