第七十二話:九条の「仕掛け」
石山本願寺の奥深く。九条は、自身が持ち得る「未来の理」を、この戦国という盤面に最適化させていた。
「羽柴秀吉……。彼の強みは、人を取り込む力と、それを支える莫大な富にある。ならば、その前提を崩せばいい」
九条は冷徹な笑みを浮かべ、雑賀衆の残党にある「策」を授けた。
揺らぐ信用
播磨灘で封鎖を続ける秀吉の艦隊に、異変が生じたのは数日後のことだった。羽柴秀長が、困惑の色を隠せず兄・秀吉のもとへ駆け込む。
「兄上、妙なことになっております。我らと商いをしていた備前や淡路の湊の者たちが、一斉に取引を拒み始めました」
「何だと? 浪紫殿が結んだ契約があるはずだ。金なら不足なく払っておるだろう」
「……それが、金の問題ではないのです。『小田の出す永楽銭は、石山の呪いによって触れた者の命を奪う悪銭である』という噂が、恐ろしい速さで広まっております。現に、我らと関わった商人の一人が急死したとかで……」
さらに、海面には奇妙な「浮遊物」が大量に流れ着いていた。一見すればただの流木や藁屑だが、その内側には九条が仕込んだ「毒」が含まれていたのである。
浪紫の分析
本陣でこの報告を受けた浪紫は、地図上に記された情報の出どころを繋ぎ合わせ、その意図を読み解こうとしていた。
(……単なる迷信の流布ではないな。物流の要所を戦略的に狙い、同時に通貨の価値を失墜させている。まるで、経済の基盤を根こそぎ破壊し、こちらの資金の流れを凍結させるような動きだ)
浪紫は冷静に事態を整理しようと努めるが、その手法の「現代性」に、内なる警戒が跳ね上がる。
(……顕如。お前、この時代に『信用恐慌』を持ち込むつもりか。もし市場の信頼が崩れれば、小田家の屋台骨そのものが崩壊するぞ)
そこへ、息を切らした伝令が飛び込んできた。
「報告! 秀吉様の陣にて、流れ着いた藁屑を片付けた兵たちが、次々と高熱を発して倒れております! 医官によれば、これは見たこともない悪しき病の兆しだと……!」
「病だと……? いや、違う」
浪紫は立ち上がり、周囲に聞こえぬよう、絞り出すように独り言を漏らした。
「……九条、貴様。雑賀の知恵を悪用して、『生物兵器』の真似事をしやがったな。兵糧攻めで敵を枯らす俺たちを、逆に内側から腐らせるつもりか」
浪紫の眼鏡が、本陣の火に妖しく反射する。
顕如の執念と九条の知識。その結託が生んだ、理屈を超えた「呪い」という名の罠。浪紫は、かつてない危機の予兆に唇を噛んだ。
「源鉄斎殿、直ちに秀吉殿の陣を封鎖し、負傷者を隔離してください。これは病ではなく、敵の『策』です!」




